北山修は、加藤和彦がメンズクラブで呼びかけ、それに応じたのをきっかけにザ・フォーク・クルセダーズ(フォークル)に参加した。フォークル解散後、精神分析医と作詞家、音楽活動や文筆活動に活躍している。
きたやまおさむという別名義をはじめ自切俳人、足柄金太などのペンネーム?を持っている。はしだのりひこのところでも作詞活動について書いたが、「戦争を知らない子供たち」(ジローズ)や「さらば恋人」(堺正章)などの大ヒット曲をここに付け加えておく。
音楽活動では「ばあすでぃ・こんさあと」(25歳だったと思う)「35才バースデー・コンサート」を発売し、「ヒューマン ズー」というバンドでも活動していた。バースデー・コンサートは45歳以降も発売しているかは未確認。2002年にはザ・フォーク・クルセダーズの新結成に参加した。加藤の死去以降も音楽活動を行っている。はしだのりひこが最後に姿を見せたのも北山修のコンサートだった。彼の飄々とした人柄がみんなが親しみを持って集ってくるのだろう。
各精神学のおいては、大家というかすごい先生なのに、エラそうなふるまいをせず、坂崎からいじられながらニコニコしている姿に学ばなければいけないと真剣に思っている。
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