koshinmilkのひとりごと

千葉県から2007年に新潟へ移住したkoshinmilkの、近況報告・自己満足のための日記。2005/03/13~

4月15日

2015-04-15 23:59:59 | 仕事

12年間に及ぶ我が運転士人生、

本日終了いたしました。




先日ふと、8年前のこと、

グリーンさんでの最終日のことを思い出しました。


2007年2月3日のこと。


『今日は学園台の方は2コ上の先輩が走ってて、お昼の休憩時間にはもう一人の2コ上の先輩が休みだってんで遊びに来て、
お昼休みはなんだかワイワイガヤガヤやってるウチに終了してしまいました。』





『お昼休みも終わって1往復して酒々井に戻ってきたら、
その遊びに来てた先輩が待ってて、
1往復乗って行きました。
さしずめ「お名残乗車」といったところでしょうか。』





『印旛→酒々井のラストラン。
そんな返事をもらってしまい、このメールのことやら今までのいろんなコト振り返ったり考えたりしちゃって、
なんかもう途中でウルウル来てしまって…。
お客さんが乗ってなかったからよかったけど、乗ってたらコレはヤバかったです。
そしてお客さん0のまま終点・酒々井に到着。
ココから車庫へ回送で戻るんだけど、
もうその回送中は、…ちょっと大変なものでした。

このままではマズいと思い深呼吸して、
そしてとうとう車庫に到着。
車庫に着くと事務所にはボクと同じ名字の副所長がいて、
その人の顔を見たらなぜかホッとしちゃって、
いつもの自分を取り戻しそしていつもの自分どおり、
今の会社での仕事を終了いたしました。』





その副所長から点呼を受けている様子と、ツーショットを記念に。
点呼は撮影用にわざわざやったんだな、これは(笑)



こんなしてこのあといろんな人と記念写真撮ったんだったなぁ…





同い年(上)と明るい父ちゃん(下)と。

当日の日記の通り大泣きしたあとですから
よ~く見ると目が赤かったりするんですよね(笑)
そしてさらによ~く見ると
アゴヒゲ生やしてやがるんですよね…
辞めたあとの生活を満喫する気満々だったみたいですね(汗)



先日、ローカル線ファイナルで記念写真を撮ってもらいました。
無許可で載せてるんですが、それがこちら↓








いいですか?
そしてこちらが2003年11月9日、
ボクが運転士1年生だった時の写真です↓



若~~~い!!
写真のせいもあるかもしれないけど、
さすが四捨五入すると20歳、肌つやが違いますね!

この写真だけじゃなくてすべての写真が
20代なだけあってやっぱ若いっすね!

ボクにもこんな時代があったんですよ。
つーか、
こんな時代から今の仕事をしてたんですよね…

それが今日、終了いたしました。


 


グリーンさん最終日は当時の記事にもあるように、大泣きしました。
作業服屋さんの最終日翌日、同期が勤めるお店に行って最後大泣き・・・あ、あの時はされたんだったかな?
大学の卒業式。のあとに後輩たちがやってくれた「学祭の卒業式」の時は
人の目はばからず大泣きしました。
あとは、魔女の宅急便とか、九州新幹線の祝!九州とか。。。
テレビはさておき、お別れの時はことあるごとに大泣きしました。


今回は・・・





19:58(営)発駅行、
予告通り途中関屋大川前から
仕事上がりのじょうがんじさんが乗ってこられました。

駅前着いて車内で記念撮影。

ホントありがとう!

そしてラストラン『(営)行きの「グリーン」』、グリーン→みどり→緑灯=終車前。
営業所に戻ると入ってすぐのところにゴールテープが張られ、
多くの皆様に見守られて花束贈呈をされて、
・・・などという盛大なセレモニーも無く

・・・という予定だったのに、

終点(営)の2つ前、緑ヶ丘病院前でふとミラーを見ると
なんだか妙に見たことあるようなお客様が…



   じょうがんじさんじゃん!!



「何してるの?」
「ドッキリ大成功!」
「ホントドッキリだよぉ!え?朝車置いてバスで出勤したの?」
「いやいや、一本前の味方線で行って、関屋大川前で降りたんですよ!」

まるでだまされてました。
仕事上がりに関屋大川前で待ってると思ったのに
まさかそんなネタを仕込んでるとは…

「花束贈呈はありませんが…12年間お疲れ様でした!」





「中身は嫁のアイデアですけどね。」







まさかのまさかだよぉ。
こんなサプライズがあるなんて…

じょうがんじさん、そして奥さま、ホントありがとうございました!!



サプライズ、とてもとても、ホントに嬉しかったんだけど、

さすがに泣きませんでした。

このサプライズの感動よりも
この12年間への思いよりも
明日からの仕事のことへの不安の方が大きくて大きくて…

 


運転士終わるとはいえ明日からも同じ職場で仕事するわけだし


まるっきりバスから離れるわけじゃないんだから。


涙は流しませんでした。


けど、心では大泣きしてるんですよ。


やっぱり、運転士がいい、って。。。


 


18で普通免許取って
22で大型二種取って
23でこの仕事始めて
12年経って今日。。。


 


悔いがない、って言ったらウソになります。
まだこれからとも思うんです。
でも反面、不安に思うこともあるんです。
このままこの仕事つづけてっても大丈夫なもんか?って。


だから、いい機会なのかもしれません。




新しいことを覚えるのに年齢的にちょうどいい気もするんです。
誰かがやらなきゃいけないんだから。
年功も、歳も、下から数えた方が早いボクじゃなくたっていいのに…
でも、辞令が出たんじゃしょうがない。
何言ったってもう変わらないんだから…


事務所の大先輩、でもとても仲のいいN氏も元は運転士。
彼の方がボクよりもバス運転士が天命で適職だったはず。
事務所に入る当時、相当悩んで相当キツかったに違いない。
その苦労はボクよりも何倍も激しかったろう。
それに比べればボクのなんてまだ甘い方だ、きっと。


ボクのバス運転士人生、12年。
ウチの奥さまは今の職場に13年。
ウチの会社のほかの人なんてもっとだ。
12年なんて短いもの。12年働いてから違う職場に行ったり
転職する人なんてざらに居るわけだから、
自分だけ悲劇のヒーローになってちゃいけませんよね。。。


わかる、わかるんですよ。でも、、、
なんて言ってちゃいけないってこと、ですよね。


 


明日からは内勤になります。
「運転士人生終了」とか「運転士を辞める」などと言ってきましたが、
実際は「事務所勤めの運転士」でして、運転士という立場は変わらないんです。
大げさに言ってごめんなさい。
これからも運転士なんです。だから
なにかあれば、当日欠勤が出れば、そしてこの人手不足の昨今
ボクが現場に出るという可能性は大いにあるんですね。
なのでみなさんが心配くださる以上に現場に出る可能性はあると思います。。。


 


ありがたいことにみなさんに心配していただいております。
特にグリーンのみなさんからメールいただいて…ホントありがとうございます。



「精神的にやられないようにね」
その通りで、内勤だと一番やられそうなトコですよね。
そこは一番気を付けなきゃいけないと思います。


「来年には運転士に戻ってくることを願っておりますよ!」
「そのうちヤダッって言えばいい」
前任は10年続けましたし、しかも再雇用だと思うと…
そう簡単には戻ることはできないでしょうね、不祥事でも無い限り・・・


お気持ち、ありがとうございます、ホント。
みなさんのお気持ちを胸に
新しい生活、頑張ろうと思います。


どうぞみなさん、あたたかく見守っていてください。
そして当(営)のみなさん、慣れてませんのでどうか怒らないでください。
そして、いじめないでください、お願いします!


 


 


   


とりあえず、大きな事故もなく無事に運転士人生終われてよかったです。

 


 


 


 

コメント (2)
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