「成人」ランナー“フル完走100回”ひで会長の日記

フルマラソン完走100回を達成! ランナー生活30周年、ランナーズマイスターのランニングクラブ会長マラソン日記

私のランナー履歴書 9 「フルマラソン挑戦・成長期編(1) “世代闘争”が勃発! そしてついにフル初挑戦を決意!!」 

2018年08月31日 | 私のランナー履歴書


前回までは「ランナー創設期編」として1992〜96年を振り返ってきましたが…。
1997年は私にとってランナーとして転換期を迎えます。この時期はいよいよ本格的に記録への挑戦を意識した時期となり、先輩からの「師匠越え」、すなわち「世代闘争」を挑んだ時期ともなりました!
(世代闘争なんて「アントニオ猪木対長州力」のようですが…(笑))

そして・・・

いよいよフルマラソンが登場です!!

ということで、今回からはいよいよ「フルマラソン挑戦・成長期」のスタートです!!





96年に発足したクラブは私にとっての3人の師匠を始め、マラソン好きの人たちが勢揃いしたことで、私もこれまで以上に「記録」というものを意識するきっかけとなりました。

また、当時のクラブは個人のタイムもさることながら会員同士の競争意識が非常に高く、「レースでの勝敗」が極めて重要視された時代でした。

そんなこともあり、97年11月には当時の主要メンバーが勢揃い横浜マラソンにエントリーして「クラブハーフマラソン選手権」を開催することになったのです!!
(ちなみに当時はクラブでもハーフマラソンへの出場が主流であり、ほとんどの方はフルマラソンには挑戦しないままクラブを離れて、そしてランニングから遠ざかってしまいました…。)

私にとってこれはまたとないチャンスだと思いましたね。師匠が3人揃って出場してくる訳です!
これ、一気に「師匠越え」を果たすチャンスと思ったのです!!

一方の師匠たちからは当時最若手としてようやく成長し始めていた私には「絶対に負けない。勝てるものなら勝ってみろ!」と逆に宣戦布告を受けたのです!(まあ、クラブの飲み会の場での話ですが…(笑))
かくして「世代闘争」が勃発したのでした!!

実は3名の師匠のうち、第1の師匠にはすでに何度か勝利しており、第3の師匠にも96年3月の神奈川マラソンで「大金星」をあげていたのですが、第2の師匠にだけはこれまで勝てないでいました。ですので、私は特にこの第2の師匠からの勝利に焦点を合わせてレースに挑んだのですが…。

結果としては10kmまでは第2の師匠よりも先行していたのですが、まさかの痙攣が起こってしまい途中で抜かれてしまいました。その後も必死に食らいついていったのですが・・・。

第2の師匠とはわずか1分差での悔しい敗北となってしまいました!!(共にタイムは1時間30分台前半)
また結果的にも最後の対戦となってしまい、ついに第2の師匠からは勝利することはできませんでした…。

なお、当時クラブ最強のエースだった第3の師匠は1時間20分台と「クラブハーフ選手権」も貫禄の勝利となり、第1の師匠からは今回も私が勝利することができました。





そんな世代闘争とは別に私はいよいよ「未知の世界」に向けて動き始めていました。そうです、初フルマラソンへの挑戦です!

すでにフルマラソンを5回完走していた第3の師匠の影響もあり、私はついに横浜と同月に開催されるつくばマラソンへのエントリーを決意したのでした!!
(続く)


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