「成人」ランナー“フル完走100回”ひで会長の日記

フルマラソン完走100回を達成! ランナー生活30周年、ランナーズマイスターのランニングクラブ会長マラソン日記

私のランナー履歴書 12 「フルマラソン挑戦・成長期編(4) “サブ3.5”、そして“師匠越え”への壁・・・」

2018年09月07日 | 私のランナー履歴書


1998年の私はハーフで「サブ90」を達成し、フルでも3時間30分台まで記録を更新と「マラソンバカ」人生の中でも一番の成長期を迎えていました。
そして次なる目標はフルで「サブ3.5」の達成、そして当時最大の師匠でありライバルとなっていた「第3の師匠からの勝利」となっていました!

しかし、目標はそうは簡単には達成できないのでした・・・。





1999年当時、私は11月のつくばマラソンと翌年3月の荒川市民マラソン(現板橋City)のフル2本を基本に、練習レースの位置づけでハーフや10kmレースを走るスタイルに変化していました。
完全に主戦場がフルへと移行していった時期といえます!(ハーフはサブ90を達成して満足したというのもありましたね…)

そんな中でやはり目標は当時も「速い人」のステータスとなっていた「サブ3.5」の達成ということになります。

しかしこれがやはりなかなか難しい!!
3時間30分台までは出せるのですがそこからが「壁」なんですよね…。

結局1999年まではフルマラソンには5回挑んだもののサブ3.5には手が届きませんでした・・・。





そしてもう一つ。

当時、私の所属するクラブで「最強のエース」として君臨していた第3の師匠からの勝利、「師匠越え」です!

当時この方はフルを3時間20分程度、ハーフも軽く1時間30分を切って走っていたのですね…。
正直、しばらくは「雲の上の人」であったのですが1999年くらいからは熾烈な争いを演じることになるのでした…。
(いま思うと追われる側(この場合は師匠側)からすると私以上にプレッシャーだったのではないかと思います)

この方とは10km、ハーフ、フルを問わす常に対戦してきたのですが、初対戦である1996年の神奈川マラソン(ハーフ)で大金星を挙げて以降、連戦連敗が続いたのでした…。

通算の対戦成績は2勝11敗と散々たる内容でしたが、これでも東京マラソンの勝率よりははるかに良いです!(笑)
あ、もう1勝はどこかというと、次回に登場します・・・。

2000年3月の三浦国際市民マラソン(ハーフ)ではその前のレース(戸田マラソン)で1時間29分台を出して勢いに乗って出場、終盤まで並行して走り勝利まであと一歩のところまで届いていたのですが…。
私の心の弱さにより最後は逆転負け…。途中で追いついた際に遠慮して並走してしまったことが逆に相手を元気付けさせてしまったのです…(でもこの経験は次回の荒川市民マラソンに活かされることに…)

そんなことで2つの目標は2000年3月まで達成することはできなかったのですが…。
ついに現在でも自己ベストレースである運命の荒川市民マラソンを迎えことになりました・・・!!
(続く)


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