Redfordさんの話からまだまだ書き留めたいことはあるのだけれど、次に行きましょう。
午前の部、2番目。
鈴木実佳先生。演題は「イギリスの家政書・料理本ベストセラー」。
その、“家政書・料理本ベストセラー”というのは、The Book of Household Management。
実際には料理本というより、家政全般にわたる本らしいので、とりあえず『英国式家政学大全』とでもして話進めます。
著者はIsabella Mary Beeton(12 March 1836 – 6 February 1865)。
情報整理しましょう。
まずは、日本のwiki。“ビートン夫人”で立項。
ここでは、『ビートン夫人の家政読本』という書名で紹介されていますね。
ここから、本書がプロジェクト・グーテンベルクで既にe-textとして公開されていることも判ります。
ほかにもe-textはあるようで、これが見やすいかも。
さらに、本書の素敵な図版を見るなら、コピーをPDFにした物も完全公開。
オックスフォードのボドリアン図書館のだ。
いいのかこれ。コピーしてる人の指まで映ってる(上の方スクロール)。
念のため、英語版のwiki。
えーと、あと個人のページで詳しかったのが、村上リコさんという人のブログ。
wikiと共通している部分もありますが、伝記ドラマの情報など、結構豊富です。
ここで、どうやら料理関係の所だけ邦訳がe-bookで売られていることが判明(800円)。
あ、ついでに言っておくと、この人は『ビートン夫人の家政の本』と訳しています。
と、ここまで来て、鈴木先生が“種本”と仰った評伝Kathryn HughesThe Short Life and Long Times of Mrs Beetonがあんまり出てこないことに気づきます。さすが、鈴木先生情報早い。
そして、この著者の他の本も結構面白そうだなぁ。鈴木さん、訳してくれないかなぁ……。
きりがないので、あとちょっとだけ日本のこと。
日本のwikiで触れているように、“ビートン夫人”の本は、既に明治九年に翻訳『家内心得草 一名保家法』(穂積清軒訳 東京 青山堂)が出ており、早稲田の物が画像で見られます。
この本の基がなんなのかは、誰か調べてくれれば良いんですが、この序文のジェンダーバイアスのかかり具合は、原本と比較する必要がありそうですねぇ。
ついでに、国会図書館の近代デジタルライブラリーを「ビートン」で検索すると、
「『西洋料理の栞』(ミツセス・ビ-トン著 山田政蔵訳 明40)に行き当たります。
これも比較したら面白そうだ。
*この本は非売品。どこが出してるのかは見れば判る。で、本編よりも付録が人に教えたくないくらい面白い。これだから明治期出版物は楽しい。
さて、準備できたかな。
イザベラさんの生没年に注目。あまりに短い。
それだけではなくて、1836 –1865というのは、今便宜的にそのまま和暦にすると天保七年から慶応元(元治二)年、つまり、日本では天保の改革が失敗して、維新に向かってまっしぐらの幕末動乱期を生きた人です。
鈴木さんのお話は、具体的な料理よりも、その本の書かれ方や、イザベラさんの人生に多くを割きました(レシピについては鈴木さんご自身のwebページで紹介しています)。
とても興味深い。
150年近く前に、こんなに若い人が、どうして大部の書物を著すことが出来たのか。
とてつもなく大量ののレシピを、自分で考案したのか。
そう考えると雑誌を出版していた旦那の存在も考えなければならないし、そもそもオリジナルのレシピではなく、いろんな書物寄せ集め情報であるということもある。料理以外の所もそうでしょう。
そう考えてくるとほら、俄然、日本の18~19世紀の出版状況とヨーロッパのそれとが繋がって見えてくる。
私が、この本を“大全”と呼んだこと、明治九年に『家内心得草 一名保家法』という翻訳(底本はこれではないかも知れないけれど)があることも、日本に、こういう書物が存在することを前提としている(逆に、wikiや村上氏はそういう日本の伝統的命名法から自由なので“読本”“本”というような書名にしたのだろう)。
日本にも、おびただしい量の料理本が存在する。それだけでなく家政全般についても“重宝記”類や“節用集”のコンテンツとして見える。これらは、商業出版が盛んになる江戸時代を通じて、明確な書承関係を辿ることを投げ出したくなるほど、情報をかき集めて肥大化する。
しかし、そこには、彼らなりの秩序もある。
章立てをし、目次を作る。
情報を集積し尽くすことが一つの目的であるにしても、それを如何に検索しやすく提供するか、ということが、つまり商業出版における最も重要な課題だった。そういう知のあり方が、急速に洗練されるのが、東西を問わず、一八世紀だったのはとても興味深い。
*私が昔書いた、こんなのも読んでいただけると嬉しい。
膨大な料理の森に分け入っていくのも面白いのだけれど、それらがどういう意識によって配列されているのか、ということを見るのもなかなか楽しそうだ。
英文でも日文でも比較でも、誰かやらないかねぇ。
でもやっぱり最後は食べたいね。
長くなりすぎたのでこの辺で。
午前の部、2番目。
鈴木実佳先生。演題は「イギリスの家政書・料理本ベストセラー」。
その、“家政書・料理本ベストセラー”というのは、The Book of Household Management。
実際には料理本というより、家政全般にわたる本らしいので、とりあえず『英国式家政学大全』とでもして話進めます。
著者はIsabella Mary Beeton(12 March 1836 – 6 February 1865)。
情報整理しましょう。
まずは、日本のwiki。“ビートン夫人”で立項。
ここでは、『ビートン夫人の家政読本』という書名で紹介されていますね。
ここから、本書がプロジェクト・グーテンベルクで既にe-textとして公開されていることも判ります。
ほかにもe-textはあるようで、これが見やすいかも。
さらに、本書の素敵な図版を見るなら、コピーをPDFにした物も完全公開。
オックスフォードのボドリアン図書館のだ。
いいのかこれ。コピーしてる人の指まで映ってる(上の方スクロール)。
念のため、英語版のwiki。
えーと、あと個人のページで詳しかったのが、村上リコさんという人のブログ。
wikiと共通している部分もありますが、伝記ドラマの情報など、結構豊富です。
ここで、どうやら料理関係の所だけ邦訳がe-bookで売られていることが判明(800円)。
あ、ついでに言っておくと、この人は『ビートン夫人の家政の本』と訳しています。
と、ここまで来て、鈴木先生が“種本”と仰った評伝Kathryn HughesThe Short Life and Long Times of Mrs Beetonがあんまり出てこないことに気づきます。さすが、鈴木先生情報早い。
そして、この著者の他の本も結構面白そうだなぁ。鈴木さん、訳してくれないかなぁ……。
きりがないので、あとちょっとだけ日本のこと。
日本のwikiで触れているように、“ビートン夫人”の本は、既に明治九年に翻訳『家内心得草 一名保家法』(穂積清軒訳 東京 青山堂)が出ており、早稲田の物が画像で見られます。
この本の基がなんなのかは、誰か調べてくれれば良いんですが、この序文のジェンダーバイアスのかかり具合は、原本と比較する必要がありそうですねぇ。
ついでに、国会図書館の近代デジタルライブラリーを「ビートン」で検索すると、
「『西洋料理の栞』(ミツセス・ビ-トン著 山田政蔵訳 明40)に行き当たります。
これも比較したら面白そうだ。
*この本は非売品。どこが出してるのかは見れば判る。で、本編よりも付録が人に教えたくないくらい面白い。これだから明治期出版物は楽しい。
さて、準備できたかな。
イザベラさんの生没年に注目。あまりに短い。
それだけではなくて、1836 –1865というのは、今便宜的にそのまま和暦にすると天保七年から慶応元(元治二)年、つまり、日本では天保の改革が失敗して、維新に向かってまっしぐらの幕末動乱期を生きた人です。
鈴木さんのお話は、具体的な料理よりも、その本の書かれ方や、イザベラさんの人生に多くを割きました(レシピについては鈴木さんご自身のwebページで紹介しています)。
とても興味深い。
150年近く前に、こんなに若い人が、どうして大部の書物を著すことが出来たのか。
とてつもなく大量ののレシピを、自分で考案したのか。
そう考えると雑誌を出版していた旦那の存在も考えなければならないし、そもそもオリジナルのレシピではなく、いろんな書物寄せ集め情報であるということもある。料理以外の所もそうでしょう。
そう考えてくるとほら、俄然、日本の18~19世紀の出版状況とヨーロッパのそれとが繋がって見えてくる。
私が、この本を“大全”と呼んだこと、明治九年に『家内心得草 一名保家法』という翻訳(底本はこれではないかも知れないけれど)があることも、日本に、こういう書物が存在することを前提としている(逆に、wikiや村上氏はそういう日本の伝統的命名法から自由なので“読本”“本”というような書名にしたのだろう)。
日本にも、おびただしい量の料理本が存在する。それだけでなく家政全般についても“重宝記”類や“節用集”のコンテンツとして見える。これらは、商業出版が盛んになる江戸時代を通じて、明確な書承関係を辿ることを投げ出したくなるほど、情報をかき集めて肥大化する。
しかし、そこには、彼らなりの秩序もある。
章立てをし、目次を作る。
情報を集積し尽くすことが一つの目的であるにしても、それを如何に検索しやすく提供するか、ということが、つまり商業出版における最も重要な課題だった。そういう知のあり方が、急速に洗練されるのが、東西を問わず、一八世紀だったのはとても興味深い。
*私が昔書いた、こんなのも読んでいただけると嬉しい。
膨大な料理の森に分け入っていくのも面白いのだけれど、それらがどういう意識によって配列されているのか、ということを見るのもなかなか楽しそうだ。
英文でも日文でも比較でも、誰かやらないかねぇ。
でもやっぱり最後は食べたいね。
長くなりすぎたのでこの辺で。
なるほどぉ。
「三ツ矢印 シャンペンサイダー」と言うのがあることになるぞ。
微妙だ。
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40069190&VOL_NUM=00000&KOMA=63&ITYPE=0