長いこと下書きのままだったんですが、公開。
ちょっと旧聞になってしまいましたが、滅多にない慶事なので、手前味噌の記事を書きます。
サブカル系(?)読書情報誌と目される月刊誌『ダ・ヴィンチ』の3月号↓
に、『幽』企画「怪談 of the year 2012」のベストテンが掲載されているのですが、なんと、『死霊解脱物語聞書』が10位に入っています。
「2012年もっとも面白かった怪談本とは!?」というので、総計821票の内21ポイントだそうです。どのくらいすごいことなのか、全くピンとこないのですが、何はともあれ、高校卒業以来、順位づけられる生活から完全に抜け出た身として、久しぶりにめでたい事だと思っております。
勿論、『幽』18号にインタビューが掲載されたこと、関連して、東雅夫氏、門賀美央子氏等、関係各位の強力な御推薦があったものと想像し、感謝する次第であります。
にしても、錚々たる怪異小説群の中に古典の翻刻が入っている事の意義、というのはちょっと考える価値があるように思うのです。
『死霊解脱物語聞書』出版の頃のブログ記事を、ちょっと引用します。
『死霊解脱物語聞書』は私にとって、というか怪談研究にとって、非常に重要な本です。
従って、すでに複数翻刻出版もされています。
しかし、現在、それぞれ必ずしも入手しやすいものではなく、また手に取ったとしても読み易い本文とは言えません。
研究者にとっては、読みやすさより正確な本文の提供が優先されるので、一般の怪談ファンにとっては取っつきにくいまま、存在は知っていても読んでいない本になっていると想像されます。
今回の出版は、私が所持する板本『死霊解脱物語聞書』をもとに、句読点や読み仮名を整理するなど、本文を多少いじり、元の文章の雰囲気を残しながら、現代人でも読める文章にして提供したところが一つの特徴です(従って、研究者の本書からの本文引用は推奨しません)。
その上で、時代背景や仏教用語など、わかりにくいところには脚注を施してあります。
『死霊解脱物語聞書』に注が付いたのも今回が初めてだと思います。
さらに、それでも古文はちょっと、と言う人のために、章段ごとに粗筋よりは詳しく、逐語的現代語訳よりは簡略な、"大意"を加えています。
従って、すでに複数翻刻出版もされています。
しかし、現在、それぞれ必ずしも入手しやすいものではなく、また手に取ったとしても読み易い本文とは言えません。
研究者にとっては、読みやすさより正確な本文の提供が優先されるので、一般の怪談ファンにとっては取っつきにくいまま、存在は知っていても読んでいない本になっていると想像されます。
今回の出版は、私が所持する板本『死霊解脱物語聞書』をもとに、句読点や読み仮名を整理するなど、本文を多少いじり、元の文章の雰囲気を残しながら、現代人でも読める文章にして提供したところが一つの特徴です(従って、研究者の本書からの本文引用は推奨しません)。
その上で、時代背景や仏教用語など、わかりにくいところには脚注を施してあります。
『死霊解脱物語聞書』に注が付いたのも今回が初めてだと思います。
さらに、それでも古文はちょっと、と言う人のために、章段ごとに粗筋よりは詳しく、逐語的現代語訳よりは簡略な、"大意"を加えています。
この企画は白澤社、坂本さんのご提案で、一般書として『死霊解脱物語聞書』を世に出す、と言うことを非常に熱心に説かれたことと、煩わしい作業の殆どを引き受けて下さったために出版できたのでした。
江戸時代以前に書かれた様々な書物の中で、一般の人が気軽に読める形で世に出ているものがどれくらいあるでしょうか。教科書にも載るような“古典文学”は、現代語訳や漫画も複数あります。しかしそれらは本当にごく一部だし、時代時代の政治的な理由で選ばれた“ニッポンの古典”は、素晴らしいことは否定しないけれど、やはり“よそ行きの文学”のような気がします。で、世間一般の人は「古典文学って、そういう物でしょ」と思う。
大学に入って、特に近世小説に触れるようになって、ちょっとした衝撃があったのですよ。「こんなに面白い世界を知らずに来たなんて!」。
30年以上経った今も、大学で近世文学の授業がなければ出会えない状況は変わっていません。もし、出会えたとしても、扱う作品も、扱い方も様々だから、出会い方の幸不幸はつきまとう。
黄表紙に関しては、かつて教養文庫に『江戸の戯作絵本』全6冊があって有難かったのだけれど、今は入手困難。お化け物の草双紙は、アダム・カバットさんの一連のお仕事のお陰ですこしは世間に知られるようになっている。しかし、例えば、江戸時代を通して最も読まれた小説である八文字屋本は、或いは洒落本は、網羅的な翻刻が出ているとは言え、一般の人が気楽に読める状態ではないわけです(これも教養文庫に中島隆さんの訳注で『世間子息気質・世間娘容気』が入っていたのだけれど……)。
こういう状況では「古典の日」とか言ってキャンペーン張っても愛好者は増えないと思うのですよ。「国民文学」みたいな選ばれた「古典」を昔ながらの読み方で読むなんて、いま、大学では殆ど行っていないし。
もっと楽しく読めば良いのに。でも、教室で講義を受けるわけじゃ無い人たちは、その「楽しみ方」がわからない。
昨年『高校生からの古典読本』(平凡社ライブラリー 776)と言う本が出ました。
この本は、日本の古典文学の面白いところを、本文・読みどころ・現代語訳を付して「作品の深みをとらえてみせる独自な読み方を提示して、古文読みの楽しさを伝授する」という、まぁ、上に書いたような問題意識に基づいて作られたと思われる入門書です。
こういう本がどんどん出てきてくれれば、状況は変わると思います。若い人は、結構食い付く。特に江戸の物は二次創作というか、表現の面白さがたっぷりなので、勘所が解ればかなり楽しい。古文としてもそれほど難しくないし。
というわけで、今年は意識的に“啓蒙活動”をしようかなあと思っています。そうしないと、自分の働く場所が無くなってしまうし。
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