コニタス

書き留めておくほど重くはないけれど、忘れてしまうと悔いが残るような日々の想い。
気分の流れが見えるかな。

弱い者が、

2008-11-20 20:37:04 | 
私は署名活動とか、デモ行進とか、みんなで鉢巻きしたりプラカード持って声あげたりするのが嫌いだ。

とはいえ、選挙には行くし、考えはいろんな形で発信する。
ネットみたいな曖昧な「不特定多数」じゃない場所でもね。

無力感に嘖まれつつ、それでも自分の場所は居心地良くあって欲しいから。



mixiでマイミクさんが話題にしていて気づいたニュース。
20日20:27現在、アクセス・日記・フォトニュースのランキングで、全て一位になっている。

発信元の『日刊サイゾー』記事から引用。


1万人が怒りの声を上げた『ベルク』立ち退き騒動とは?
 たった15坪の小さなビア&カフェが、大きな反響を呼んでいる。新宿の名物店として知られる『ベルク』が、家主であるルミネから立ち退きを求められているからだ。

 発端は、06年4月にベルクが入店している駅ビル「マイシティ」の家主だった新宿ステーションビルディングが、同じJRグループのルミネに吸収合併されたこと。名称も「ルミネエスト」へと変更したのに伴い、各フロアで店舗のリニューアルなどが進められてきたが、そんなルミネからベルク副店長の迫川尚子さんが呼び出しを受けたのは07年2月。そこでの話の内容は、「契約を新たに結び直したい」というものだった。

「ただ、この新しい契約が"くせもの"なのです」(迫川さん)

 ルミネ側が提示した新しい契約とは、一定の契約期間が満了すれば貸主がテナントを自由に入れ替えられる「定期借家契約」と呼ばれるもの。それまでの賃貸借契約では、特別な事由がない限り、貸主が契約更新を拒否することはできなかったが、不動産、とりわけショッピングセンター業界の強い希望に応えるかたちで00年に行われた借家借地法の改正により可能になった契約形式だ。まだ一般にはあまり周知されておらず、実際、それを知らずに定期借家契約に結び直した結果、契約の更新はもちろん、再契約できずに、泣く泣くビルから出て行った店もあるという。事前にそうした話を耳にしていたベルクが、ルミネ側から求められた契約の変更を拒否し続けたところ、立ち退きを求められた──というのがコトの経緯だ。

「私たちには新しい契約を拒否する権利がありますし、法的にも出て行く必要はないはずです。それでもやっぱり、個別に密室に呼び出された中でサインを拒むのは勇気がいりました。退店を迫られたことを公表するまでも3カ月間悩みましたが、こうした定期借家契約を迫るやり方に警鐘を鳴らす意味も込めて、声を上げることにしました」(迫川さん)

 07年11月、店内で配布していた「ベルク通信」とホームページ上で窮状を訴えると、客の反応は早かった。すぐさまファンによる応援サイト「LOVE! BERG!」が立ち上げられ、営業継続を求める署名は半年で1万人超集まった。

「今回の件が起こる前までは寡黙にコーヒーを飲んでいた常連のお客さんが、ある日、レジで『(ルミネ側の対応は)許せない。頑張って』と励ましてくれたり、素敵な経験をさせてもらっています」(迫川さん)

 こうした客の声をルミネはどのように受け止めているのか。取材を申し込むと、「契約にかかわることなのでお答えできない」(同社広報)との返答。だが、その一方で、ベルク側には、契約が切れる来年3月までに退店するようにとの文書を9月末日付けで送付していた。そして文書には、「退店しなければ、賃貸料を大幅に値上げする」との一文も付記されているという。既に届けられた先の1万人分の署名は無視された格好だが、迫川さんは、年内中にもう一度、新たに集まった署名を提出する予定だと話す。店長も、裁判に訴えずに、あくまでルミネ側の理解を求めていく意向とのことだが、強硬姿勢を貫くルミネにその思いは伝わるのか。成り行きを注視したい。
(編集部)

「ベルク」ホームページ
「ベルクの営業継続を求める嘆願署名」のページ


平等な扱い方をしている記事ではないので慎重にみる必要はあるけれど、それでも憤りは感じる。
そして、この“運動”は、確実に拡がっている。
店を知らない人、新宿に余り行かない人も、おかしいと思えば動ける時代。
ネットの力は時々、そして「マスコミ」もたまには、こうして「民主的」に機能する。

次はルミネがどう動くのか、注視。




さて、ここまでは、実は長い枕。
今日、また会議で不愉快な話が出た。

半期の授業を確実に15コマ確保する、と言う至上命題をクリアするために、暦がぐちゃぐちゃになっている。
来年度以降、それは更に強化されていく見通し。
そのことと大学の学生や成績の管理が電算化されたことも微妙に絡んで、どうしようもない状態になってきた。

授業の回数を確保しなければならないから、例えば月曜の授業の最終回は火曜日に追加する、としよう。
それで数は合う。

しかし、例えば非常勤講師として来ている人、行っている人など、他にも仕事がある人は困るとか。
問題は、しかし、もっと教育の質に関わってくるのだ。
その授業が、しっかり予習復習しなければならないような質の高い物(ていうか、当たり前なんだけど)だった場合、月/火と続けたら、いつ勉強するんだろう。
演習等の場合も、準備が出来ない。
私の授業の場合、プリントが作れなくなる。
それでなくとも、共通教育などは、第1回が抽選などで実質授業になっていない。昔は事前に抽選が行われたから1回目からしゃべれた。シラバスや履修登録が電算化しているわけだから、事前にシラバスをチェックし、希望を出して抽選することは可能だろう。
こうやって、時間を無駄遣いしながら、コマ数だけは確保、というのは大きな矛盾だ。

質の問題にはなんの頓着もなく、数を合わせればいいと考えている大学の上の方の連中は、もう、学問なんかに興味ないんだろう。
予習も復習も要らない、教員の準備も必要ない授業しかしたこと無いんだろうな。


電算化も同じ事で、我々が、地方国立大学らしいきめの細かい指導体制を確保するために作った仕組みを、プログラムが煩雑になると言う理由で単純化してくれと言う。
入試問題でもさんざん訴えてきた学科のポリシーが、利便性や経済性によってまたしても打ち負かされようとしている。

理念がテクノロジーに跪く場所で、まともな教育が出来るわけがない。

断言できる。
こうした「改革」は、教育や学問の質的向上には全く効果がない。
むしろ、低下させる。


こういう問題は、学科会レベルではおおむね反対なのに、学部教授会では「まぁまぁ穏便に」と言うことになり、結果的に上が決めたことがどんどん既成事実化していってしまう。

この間、学生達は何も知らされない。
学生運動という物が見事に消滅して、今は交渉団体もないから、学生の意見を反映させる場所もない状態。

ここに私が書くことに、どれほどの効果があるのか、と言われれば、たいしたことはないと言わざるを得ない。しかし、もっと発言力も影響力もある人達に、ここを見てくれと言いつつ、話すことは出来る。

ここを私の基点にして、闘うべき所は闘う。

ベルクのようには行かないかも知れないけれど、大きなうねりが生まれてくることを期待している。

教育の質を作っていくのはまず学生。そして、教員。
教育や学問の理想を棄てて数字の競争に血眼になっているような連中に、ここをつぶさせてはいけない。


とりあえず、ここを観た人は、考えて欲しい。
そして、人に伝え、話題にして欲しい。

少しずつでも、広げていくことが大事。

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7 コメント

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もう一編 (グラボソ)
2008-11-20 23:24:54
国立大学に戻る方が良いと思うのですがね。。

東大なんか、教養ビジネス会社みたいになりつつありますよ。

東大が東京駅前の郵便局を建て替えたあとのビルに入居するというから何をするかと思ったら、博物館を作るんだそうで。

2フロアを使う博物館って、要するに、産学連携の見本市会場になるんじゃないかと思うのです。

わたしは学問は学問だけで終わって良いと思っているので、法人化で国立大学が段々おかしなことになっていっている、数字に現れた「成果(受験者数の変化や就職先の変化など、「大学」の成果じゃない)』など、くそくらえだと思います。

さっさと宝くじを当てて、大学とはおさらばしてひとりで好きな研究をしたいと思う今日この頃。
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数字の選択が (コニタ)
2008-11-20 23:30:47
受験者数ならまだしも、出願者数だったり、採択数ではなく、科研の申請件数を数値目標にする。

誰も利用しないような特許の申請件数とか。


学問の現場で質が問われないというのは本当に嘆かわしいことです。
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意思決定機関 (イシダ)
2008-11-21 00:14:14
「15こま確保」、私が出会う静大の人々は、全てがこれに反対だと話していました。なのになぜ?多数決が万能だとは思いませんが・・・。
「学科会レベルではおおむね反対なのに、学部教授会では「まぁまぁ穏便に」と言うことになり」
って、学科会と学部教授会のメンバーは劇的に違うのですか?学科会での議論を反映するシステムはないのですか?

結局「文科省の方針」というのが「ご印籠」ってこと?だったら大学で議論しても無駄で、文科省を相手にしなければならないのでしょうか。

重要なことなのに、何がいつ、どこで誰によって決められているのかが、わからない。だからどこに訴えればいいのかがわからない。

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闘う相手 (コニタ)
2008-11-21 07:41:43
多分文科省なんでしょうねぇ。
しかし、積み上げ式で意見集約するとどこかで「決まったことだから」という話になって失速、議論はただのガス抜き用だったという感じ。

まともな手続では、ここは突破できないので、ユーザーとしての学生や社会にもっと気づいて貰う戦略が必要だと思うわけです。

ただ、商業施設とちがってお上はもっと訳のわからない理屈で動いていそうだけれど。

そして、票にならないし。
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変な議論だね (人経5年)
2008-11-21 13:40:31
OBとして情けなく思う。

ここでの意見は教授陣の変化に対する抵抗と、提供すべき教育の質の低下…つまり学生を担保にした論理の正当性を主張しているように見える。

「15コマ確保」って当たり前のことだよね。静大の人々のほとんどが反対って、教授にすれば10コマでも待遇はかわらないし、学生も自由時間が増え成績に影響しないわけだから、つまり誰に聞いても反対になるわけよ。

プリントが間に合わないって理由、勘弁して下さい。

もし学生に付与するS評価の前提条件に「15コマ講義を受けた者」というものが設けられたら、これから就職氷河期を経験するだろう現役学生は今回の議論に対しどういった意見を出すんでしょうね?

それと学内にいる教授や学生は反対するような議論でも、外部環境に位置する学生の保護者や企業の採用者は間違いなく15コマ賛成論者でしょう。

教育の質と大学のブランドを構築させるのは教授です。。。今回の議論はOBとして残念でならない。
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あぁ (小二田)
2008-11-21 14:32:47
御意見ありがとうございます。

例によって私の言葉が足りなかったようです。

私は、もう少し長期休暇を減らして、授業期間をきちんと確保できるなら、半期に16回でも17回でも授業をしたいのです。
話したいことはいつだって足りない。
だから、一回目の無意味な説明こま(共通教育ではこの日に本格的な話をするのは殆ど禁じられています)。
授業時間も100分に戻して欲しい。

しかし、現在、セメスター制の導入とか、入試の多様化とか、様々な要因が組み合わさって、それだけの「期間」は確保できないので、上に書いたように年度末などに、元々の曜日ではない日に授業をする。

授業の間が一週間あることにはちゃんと意味があるのです。
同時にいくつもの授業を担当(或いは受講)するのに、翌日に授業準備が出来て当然、と考えるのは、毎年同じ話をするような、ろくな授業を受けてない人の言いぐさだと思いますよ。

私のプリントが翌日では間に合わない理由は、私の授業を受けたことがあるならわかってもらえるはずですが、あなたは違うのかな。


議論しましょう。
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まちがった (こにた)
2008-11-21 14:40:09
「話したいことが足りない」んじゃなくて、話したいことが多すぎて時間が足りないんです。

何かの条件として、「皆勤」をすることには全く意味がないと思っています。
授業の内実の問題を、どう評価するかと言う視点も加味して頂きたい。

雑談と反復で終わる15回と、新鮮で活発な議論のある10回と。
それを、どこでチェックできるかと言う時、学生がきちんとyes/noを言わないきゃならんのです。

幸い、私の授業(全部とは言いませんが)では、もっとやってくれ、と言われることがあるので、回数が増えるだけなら歓迎されると思います。
増やす仕組みのことを言っているのです。
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