見見楽楽 ~九州ぶらり放浪記~

おむすびころころ
鹿児島を中心にあちこち出歩いております。

明治という時代に翻弄された田原坂…熊本市植木町

2010年06月13日 23時10分43秒 | 訪ねたイイ所…熊本編
「高瀬しょうぶ花まつり」と玉名の街散策の後は、植木町の田原坂へ。

田原坂はご存じ、『西南の役』最大の激戦地です。


明治10年2月、鹿児島を発った西郷隆盛の率いる薩摩軍は熊本城を包囲。

一方、政府軍は征討軍を熊本に派遣。

熊本城に入らせんと薩摩軍は田原坂に防衛線を張った。

同年3月4日から昼夜17日間、春先の冷たい雨が降る中激しい戦闘が行われ、

両軍合わせて6000人近くの戦死者が出た。

西南の役の戦死者は14000人とされるが、このうち40%がこの田原坂で戦死。

薩摩軍は田原坂の敗戦後は撤退を余儀なくされ、これから半年後に西郷隆盛の死で終末した。



『一の坂』
田原坂は標高80メール・1.5キロの緩やかな坂が続く。


曲がりくねった狭い道の藪に薩軍が潜み、官軍の行く手を遮った。


『二の坂』
ゆるかな坂が続く。


『三の坂』
多くの戦死者を出し、慰霊碑も立つ。


頂上付近の大楠と美少年の象。
『雨は降る降る じんばはぬれる こすにこされぬ 田原坂  右手に血刀 左手に手綱 馬上ゆたかな 美少年』
田原坂で戦死した若者を象徴した象。



慰霊碑塔


慰霊碑には西南の役に参戦戦死した14000余の名前が刻まれています。


被弾した土蔵。(復元)


西南の役が日本赤十字設立のきっかけになったと。


丘の上からはのどかな田園風景と鹿児島本線が見える。


公園に咲くクローバー。
ここには幸せの四葉のクローバーはあるのでしょうか?


西南の役は国内最大で最後の内乱だと言われます。
新しい時代に希望をもって生まれた“明治維新”。
そのわずか10年後には、その新しい時代に翻弄された若者達の血がここで流されました。

ここ田原坂は、薩摩武士が農民出身者の集まりである徴収兵に敗れた
いわば、“武士の終焉”の地でもあります。

映画『ラストサムライ』は西南の役がモデルだと聞いた事がありますが、
ここを訪れてやっとその意味が解った気がします。






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2 コメント

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日本人なら一度は (bonn1979)
2010-06-14 10:07:54
田原坂の写真をお借りしました。
(拙ブログ第3740号)

明治のはじめに
流された血によって
今日があることを
考えさせられる場所ですね。

行きたいところが増えていきます。
bonn1979さんへ (BuraBura)
2010-06-15 18:50:11
いつもありがとうございます。

新しい時代を目指したこの時代。
ここで戦った若者は何を求めていたのでしょう?
時代に翻弄されただけ…
そんな気がします。

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