出水市野田町の感応寺は建久五年(1194)に島津家初代忠久公によって創建された禅寺です。
日本臨済宗の祖「栄西禅師」は宋(中国)に渡り臨済禅を究めた後日本に帰国し、九州に7つの禅寺を開山されました。感応寺もそのひとつで日本の禅宗の最古の寺と伝えられています。

山門仁王尊像

島津家菩提寺として明治元年まで高僧名僧が住職として続いた由緒ある禅寺です。

本尊『十一面千手観世音菩薩像』。
明治2年の廃仏毀釈により廃寺となりましたが、明治13年に再興。
廃仏毀釈でほとんどの寺の仏教文化財は破壊されましたが、当時の感応寺住職「梅嶺和尚」は、仏像などを甕(かめ)に隠し命がけで守りました。
※本堂へは自由に入れるので、お線香を1本供えて500円の観音様の御札を購入。
さすがに菩薩像の撮影は駄目だろうと思いながらも恐る恐る1枚…

島津家『五廟社』
島津家初代忠久公から5代貞久公までの分骨された墓碑。

感応寺裏の梅林で
撮影日:2010年1月2日
Nikon D200
Ai AF Nikkor 35mm F2D
AF-S Micro NIKKOR 60mm F2.8G ED
日本臨済宗の祖「栄西禅師」は宋(中国)に渡り臨済禅を究めた後日本に帰国し、九州に7つの禅寺を開山されました。感応寺もそのひとつで日本の禅宗の最古の寺と伝えられています。

山門仁王尊像

島津家菩提寺として明治元年まで高僧名僧が住職として続いた由緒ある禅寺です。

本尊『十一面千手観世音菩薩像』。
明治2年の廃仏毀釈により廃寺となりましたが、明治13年に再興。
廃仏毀釈でほとんどの寺の仏教文化財は破壊されましたが、当時の感応寺住職「梅嶺和尚」は、仏像などを甕(かめ)に隠し命がけで守りました。
※本堂へは自由に入れるので、お線香を1本供えて500円の観音様の御札を購入。
さすがに菩薩像の撮影は駄目だろうと思いながらも恐る恐る1枚…

島津家『五廟社』
島津家初代忠久公から5代貞久公までの分骨された墓碑。

感応寺裏の梅林で
撮影日:2010年1月2日
Nikon D200
Ai AF Nikkor 35mm F2D
AF-S Micro NIKKOR 60mm F2.8G ED