ジョブズ氏スピーチ ③

2019-06-26 11:44:23 | 日記

PART 3 CONNECTING DOTS
 

リード大学は、当時としてはおそらく国内最高水準のカリグラフィ教育を提供する大学でした。

 

キャンパスのそれこそ至るところ、ポスター1枚から戸棚のひとつひとつに貼るラベルの1枚1枚まで美しい手書きのカリグラフィ(飾り文字)が施されていました。

 

私は退学した身。もう普通のクラスには出なくていい。そこでとりあえずカリグラフィのクラスを採って、どうやったらそれができるのか勉強してみることに決めたんです。
 

セリフをやってサンセリフの書体もやって、あとは活字の組み合わせに応じて字間を調整する手法を学んだり、素晴らしいフォントを実現するためには何が必要かを学んだり。それは美しく、歴史があり、科学では判別できない微妙なアートの要素を持つ世界で、いざ始めてみると私はすっかり夢中になってしまったんですね。

 こういったことは、どれも生きていく上で何ら実践の役に立ちそうのないものばかりです。だけど、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する段になって、この時の経験が丸ごと私の中に蘇ってきたんですね。で、僕たちはその全てをマックの設計に組み込んだ。そうして完成したのは、美しいフォント機能を備えた世界初のコンピュータでした。
 

もし私が大学であのコースひとつ寄り道していなかったら、マックには複数書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、ウィンドウズはマックの単なるパクりに過ぎないので、パソコン全体で見回してもそうした機能を備えたパソコンは地上に1台として存在しなかったことになります。
 

もし私がドロップアウト(退学)していなかったら、
 

あのカリグラフィのクラスにはドロップイン(寄り道)していなかった。
 

そして、パソコンには今あるような素晴らしいフォントが搭載されていなかった。
 

もちろん大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで読んで点と点を繋げてみることなんてできませんでしたよ。だけど10年後振り返ってみると、これほどまたハッキリクッキリ見えることもないわけで、そこなんだよね。もう一度言います。

 

未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。

 

だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。

 

自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること。

 

点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。

 

結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。

 

信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。

 


ジョブズ氏スピーチ ②

2019-06-24 11:21:28 | 日記

PART 2 COLLEGE DROP-OUT

 育ての親に引き取られて私の人生はスタートしました。

やがて17年後、私は本当に大学に入るわけなんだけど、

 

何も考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまったもんだから

労働者階級の親の稼ぎはすべて大学の学費に消えていくんですね。

そうして6ヶ月も過ぎた頃には、私はもうそこに何の価値も見出せなくなっていた。

 

自分が人生で何がやりたいのか私には全く分からなかったし、

それを見つける手助けをどう大学がしてくれるのかも全く分からない。

なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を残らず使い果たしている。

だから退学を決めた。全てのことはうまく行くと信じてね。
 

そりゃ当時はかなり怖かったですよ。

ただ、今こうして振り返ってみると、あれは人生最良の決断だったと思えます。

だって退学した瞬間から興味のない必修科目はもう採る必要がないから、そういうのは止めてしまって、

その分もっともっと面白そうなクラスを聴講しにいけるんですからね。
 

 夢物語とは無縁の暮らしでした。

 寮に自分の持ち部屋がないから夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、

 

コーラの瓶を店に返すと5セント玉がもらえるんだけど、あれを貯めて食費に充てたりね。

 

日曜の夜はいつも7マイル(11.2km)歩いて街を抜けると、

 

ハーレクリシュナ寺院でやっとまともなメシにありつける、

これが無茶苦茶旨くてね。
 

しかし、こうして自分の興味と直感の赴くまま当時身につけたことの多くは

 

あとになって値札がつけられないぐらい価値のあるものだって分かってきたのです。
 


ジョブズ氏スピーチ

2019-06-23 09:25:32 | 日記

ステーブ・ジョブスのスピーチ①

 スタンフォード大学の学部生(Undergraduate)の卒業式(2005年6月)で、Apple Computerの創業者&CEO、スティーブ・ジョブスが卒業生に対して行ったお祝いのスピーチ
必見の価値ありです。

心に染込みます。長文ですが是非読んでください。
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PART 1 BIRTH
 ありがとう。世界有数の最高学府を卒業される皆さんと、本日こうして晴れの門出に同席でき大変光栄です。

実を言うと私は大学を出たことがないので、これが今までで最も大学卒業に近い経験ということになります。
 

本日は皆さんに私自身の人生から得たストーリーを3つ紹介します。それだけです。どうってことないですよね、たった3つです。最初の話は、点と点を繋ぐというお話です。
 私はリード大学を半年で退学しました。が、本当にやめてしまうまで18ヶ月かそこらはまだ大学に居残って授業を聴講していました。じゃあ、なぜ辞めたんだ?ということになるんですけども、それは私が生まれる前の話に遡ります。

 「私の生みの母親は若い未婚の院生で、私のことは生まれたらすぐ養子に出すと決めていました。育ての親は大卒でなくては、そう彼女は固く思い定めていたので、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることで手筈はすべて整っていたんですね。

ところがいざ私がポンと出てしまうと最後のギリギリの土壇場になってやっぱり女の子が欲しいということになってしまった。で、養子縁組待ちのリストに名前が載っていた今の両親のところに夜も遅い時間に電話が行ったんです。

「予定外の男の赤ちゃんが生まれてしまったんですけど、欲しいですか?」。彼らは「もちろん」と答えました。
 

しかし、これは生みの母親も後で知ったことなんですが、二人のうち母親の方は大学なんか一度だって出ていないし父親に至っては高校もロクに出ていないわけです。そうと知った生みの母親は養子縁組の最終書類にサインを拒みました。そうして何ヶ月かが経って今の親が将来私を大学に行かせると約束したので、さすがの母親も態度を和らげた、といういきさつがありました。


最期まで家にいたい!

2019-06-22 10:53:48 | 日記

上野千鶴子が聞く小笠原先生に「ひとり家で死ねますか?』 上野千鶴子  小笠原文雄

出版社:朝日新聞出版( 2013-02-20 )

 

命に関わるとき、医師に逆らうことができるのだろうかと自信は揺らぎます。

そんな訳もあって、自分が望んだ通りの最期を迎えるのは難しいのではと、残念ながら私は考えていました。

でもこの本を読んで少し希望が持てた気がします。日本中のお医者さんに、真剣にこの本を読んでほしいと思います。

 

そして日本中に小笠原先生の様な医師が増えることを願わずにはいられません。

 

何かがあったとき家族は驚いて先ずは救急車を呼ぶでしょう。残された日々を、自分の思うように満足して納得できるよう過ごすことは、たやすくはないと思います。

 

高齢になるほど認知症を患っている割合は増えますし。家族や周囲の人と「最期のとき」の話ができる関係は、相互の信頼があったればこそです。

病気の状態や認知症で、希望通りにはいくかどうか判らなくとも、周りにはきちっと自分の希望を言っておきたいものです。

 

家族がいるとしても、遠方に居たり、家族や本人が望んでひとり暮らしをする高齢者は確実に増えています。

遠くにいる家族が、かえって問題をややこしくする例もよく聞きます。

 

「最期まで家で暮らしたい」その願いどおり、

「満足し、納得して死ぬこと、だれにも看取られなかったとしても、

本人の希望がまっとうされたとしたら、その生き方、終焉は喜ばしいものであるといえる」と

誠にもっともだと心から思います。(中西氏)


最期までお一人さん

2019-06-21 07:02:39 | 日記

最期までおひとりさん

「最期まで家にいたい、家で死にたい」という願いは叶いますか、安らかな「在宅ひとり死」を迎えることは可能ですか、どうすれば可能になりますか? では今使える制度は? 実例は?と迫る上野さんの鋭い突っ込みにも、実に細かく答える小笠原先生。

 

最期までおひとりさまだった方たちの、医療保険、介護保険で支払った費用、最期を迎えるまでに実際に使った全費用まで明かされています。誠実に丁寧にお答えになっているので、われわれ素人にも判りやすくて、横でお話を伺っているような気がします。

先生は、「在宅ひとり死」は孤独死ではなく、「希望死・満足死・納得死」

 

「ひとりで死ねる。ひとりで死んだっていいんだよ」ということを日本のみなさんに知っていてほしいと言われています。

 

ある実例。 彼は会社の健康診断でがんが見つかり、精密検査を受けたら、末期がんで余命6ヵ月だと告知されました。自覚症状が殆どなかったからなのです。

彼は、あと6ヵ月の命なら、やり残したことをどうしてもしておきたいからと、経口の抗がん剤を処方して貰って、西アフリカまで行きました。

 

手術もできないというがんを抱えて、たださえ悪化することは判っていたのに、遠い砂漠の国へ行くなどという無茶をしたのですから、帰国したときはとても重篤な状態になっていました。

 

入院を余儀なくされて3ヵ月経った頃、最期にどうしても家に帰りたいと言い、ようやく帰宅を許されたのでしたが、家に帰ってすぐに容態が急変したので病院に連れ戻され、それから一週間後、彼は彼岸へと旅発ちました。

 

当時、西アフリカへ余命6ヵ月というシビアな患者を、行かせていいものかどうか、教授会で論争されたと聞いていました。

「死は敗北」という医学界で、変わったケースだったのだと思います。


一人家で迎える最期

2019-06-20 07:36:01 | 日記

上野千鶴子が聞く 小笠原先生、ひとり家で死ねますか?   

出版社:朝日新聞出版

  

在宅緩和ケア歴40年、在宅看取り率95%という小笠原文雄先生に、『おひとりさまの老後』でブームを起こした当NPO法人上野理事長が、質問を投げかけました。

「在宅ひとり死」の可能性を、小笠原先生は語り、その真実の姿を見せてくださいました。「おひとりさま」のまま、最期を迎えられる希望の光がここにあります。

後期高齢者(ヘンなお役所言葉ですね)になると、どこでどんなにして死ぬのかなと、多かれ少なかれ気になるところ。年齢を重ねるということは、昨日まで知らなかったことを今日見聞できる楽しみがある一方で、大切な人たちに先立たれる悲しみや寂しさを経験することでもあります。

いい相棒だった我がつれあいも、病気だと判ってから僅か6ヵ月で逝ってしまいました。近頃は親しい友人を見送ることが増えてきました。若い方の訃報を聞くのはもっと辛いです。

別れはとても辛いことですが、でも人の死は間違いなくいつかはやってきます。

この本に「生まれる所は決められないが、死ぬ処は自分で決められる」とあります。そう言えばたしかにそうかもしれない。

でも本当に死ぬところを決めることは、条件がいろいろ揃っていないと、とても難しいと思います。

今では病院で死ぬのがあたり前になってしまいましたが、日本人の死に場所が、自宅から病院へと逆転したのは、1976年のことだそうです。せいぜい35・6年前のこと。

改めて人々の暮らしや習慣が、急速に変化していることに気づきます。そういえば私たちの祖母の時代は、お座敷の真ん中に敷かれた布団の上で、家族に囲まれて静かに息を引き取っていましたね。(中西)

 


一生涯のやる気!

2019-06-19 08:29:56 | 日記

本当のやる気は、感謝から生まれる。

 

何かに感謝することで、自然に湧き出てくるやる気こそ、最も健全であり、強力なやる気です。

この意味をきちんと理解できれば「一瞬だけのやる気」ではなく「一生涯のやる気」が続きます。

 

なたが生きているかぎり、いつでもどこでも感じられる感謝です。

せっかく生まれてきたのだから、すべてに感謝して、自己を最大限に生かしきります。

せっかく魂と肉体があるのだから、何かのために生かさないともったいない。

今、一生懸命になります。

 

あなたが、今ここに存在することに報いるとするならば、一生懸命に生きることです。

 

一生懸命に生きてもらいたいために、壮大なスケールであなたが誕生しているのです。

 


やる気と感謝 ー優れた文章に学ぶー

2019-06-18 10:10:35 | 日記

やる気は、感謝から生まれる。

 

あなたには、素晴らしい両手・両足、目や脳などが存在します。

それは長い歳月を経て、生物は進化を繰り返し、最も地球で生きるのに適切な設計図である、DNAの進化を繰り返した結果です。

 

DNAをもとに細胞分裂を繰り返し、手は生活に適した5本の指がはえ、両手両足はバランスよくなるよう2本ずつになっています。

そういうDNAの存在も驚きです。

DNA細密な構造にも感動を覚えることでしょう。

不自然に調和し合って、すべてがうまくいきすぎて、あなたは誕生しました。

神がいるとは信じがたいですが、いるとしか思えないほど、すべての話がうまくいきすぎています。

素晴らしいことです。

 

そうした壮大なスケールで考えていると、頭がパンクしてしまいそうです。

実感として感じにくいかもしれませんが、そうした壮大なスケールで今のあなたが存在していることは、曲げようのない事実です。

あなたが、素晴らしい過去の歴史の証拠になっています。

だから今、ここに、あなたがいます。

その素晴らしい自分に気づけば、生きていることはなんと神秘的なのだろうかと感動します。

お金や地位のような価値はちっぽけに思え、すでに自分は宝を手にしていることに気づきます。

生きているだけで十分、素晴らしいと思えてきます。

生まれてしまったから、ただ仕方なく生きるのが、もったいなくなります。

一生懸命に1秒を生きようと、自然なやる気が出てきます。

それが「本当のやる気」です。


やる気はどこから

2019-06-17 19:30:08 | 日記

本当のやる気は、感謝から生まれる。

                       

本当のやる気はどこから生まれてくるのでしょうか。

それは「自分が、生かされた存在だと気づくこと」です。

今、ここに自分が存在することの素晴らしさに気づけば、吹き上げるような感謝を体感できます。

 

たとえばあなたは、何の原因もなく、この世に突然生まれたわけではありません。

今存在するのは、両親がいて、祖父・祖母がいて、何代にも続くご先祖様から引き継がれた魂のおかげです。

さらに元をたどれば、地球があるおかげであり、太陽系があるおかげであり、銀河系があるおかげです。

最終的には、宇宙があるからという究極にたどり着くでしょう。

想像を絶する歴史があり、あなたが誕生しました。

あなたが言葉を話したり深く考えたりできるのは、親からの教育や先生や友達からの影響があったおかげです。

また、あなたを取り囲む家や土地など、すべての環境のおかげです。

胸に手を当ててください。

心臓が「勝手に」動いているはずです。

勝手に動いているのは、あなたが意識をしなくても働いてくれる自律神経と、それを動かす脳のおかげです。

あなたには、素晴らしい両手・両足、目や脳などが存在します。

それは長い歳月を経て、生物は進化を繰り返し、最も地球で生きるのに適切な設計図である、DNAの進化を繰り返した結果です。

 


好きに生きる⑤ 自由と責任を両立させて!

2019-06-16 12:23:09 | 日記

好きに生きていい⑤

 先にある大人として好きに生きたら

その一人の親の与える影響っていうのはものすごく大きいです

その後の子供、孫、ひ孫に大きな影響を与えるのです。

 親が責任ある大人として好きに生きているのであれば子供にも言ってあげられるのです

 自分がそう出来ているから子どもに対しても言える

好きに生きていいのだよって

好きに生きていいのだよってあなたの人生なんだから

好きに生きなさいという風に言ってあげられたら

子供の人生にどれほど大きな影響があるか

 

孫にひ孫にとどんどんどんどん広がっていくのです

それがだからまずは自分から始めていく必要があるのです。

そしてそういうふうに生きた時が一番うまくいくのです。

 

それがうまくいくっていうふうに思えないとしたら

それは自分にエゴっていう仮面がまだついているからです

後から後天的に作られてしまった

それが自分なのだよって思わせられるような

エゴっていうのが自分にひっついているから

そう思えないかもしれないですけど

それを外せたら当たり前なのです

 

好きだから一生懸命やれる

好きだから知識が習得できる

好きだからスキルが磨けるのです

それを仕事にすれば当然お金っていうのも後からついてくるのです

お金の受け取り方っていうのも自然と見えてくるようになります

 

まずはお金から入るのではんじゃなくてまずは好きから入れば

結果的にはそれが一生涯通してやりたいことに繋がる

 

私は書きたいから書いているのです

私は描きたいから描いているのです

私は喋りたいから喋っているのです

私は聞きたいから聞いているのです

私は作りたいから作っているのですっていうことが

何の迷いもなく堂々と言えるようになる

 

好きに生きていいので

それを是非あなたから始めていっていただきたい

 

表面上で言うのではなくて心の奥底から言ってあげるためには

まずは自分が好きに生きる必要があります

 

 

自由と責任の両方を引き受ける

 自由と責任の両方を引き受けて

自分の人生は何があっても絶対他人のせいにはしない

 自分の人生は何かあっても必ず100%自己責任だと思う

 

そして次に行けると一番やりたいことをやるそれをずっと続けていくと

そして一人一人自分の目の前の人に

自分は好きに生きているから

あなたも好きに生きればいいじゃない

あなたもやりたいことを一番やればいいじゃない

 

あなたならきっとできるよって

その相手の過去とか実績とかを見るのじゃなくて

純粋に目の前にいる相手として

相手には必ず自分と同じように何らか必ず才能があって

ダイヤモンドの原石があって

それを発掘して磨いていけば当然

目の前の相手の人も好きに生きたら一番うまくいくっていうふうに

確信が持ててそれを伝えていく

 

子どもたちにも伝えていく

なぜなぜならやっぱ 子供達っていうのは 希望ですから

 社会の宝なのです

 彼ら彼女たちがやっぱり生まれながらの能力を発揮して

笑顔で愛嬌があって好奇心の塊で 天真爛漫で

そういった子たちがそのままで

大人になっていってね

20歳なのに子供

30歳なのに子供

40歳なのに子ども

笑顔で愛嬌があって途中バカやっているそういう大人が

いい年なのに子供っぽいことをいう

そういう大人が増えていけば社会っていうのは必ず明るくなるのです

もっともっとどんどんの良い社会になっていくのです

だから できることなら子供に対して堂々と親が子供に

学校の先生が生徒に

自分の後の世代の人たちに好きに生きていいのだよと

やりたいようにやっていいのだよっていう風に言ってあげられるような

自分になっていくということが非常に大事だと思います

 

だから私は今回あなたに言いたいことは

あなたの人生なのだから

どうぞ好きに生きてくださいということです。

 

 


好きに生きていい④ 誰かが気づいていく

2019-06-15 08:58:54 | 日記

に生きていい④

 

私たちにはやらなければならない義務なんてないんです

本当は育児も全くそうですよ

育児も義務でやっているのではないわけです

人って愛のかたまりです

エゴではなくて

後天的な教育によって作られたエゴではなくて

本当の自分って愛のかたまりです

 

 

人って何ですかって愛ですよ。一言で言うと。

愛によって生まれてそして愛によって生まれた自分は愛のかたまりなわけですよ

そうしたときに我が子がですよ

笑顔で心から喜んでくれてたとしたら

たとえ頭の理屈で損得勘定でもう圧倒的に損だったとしてもですよ

親はひたすら子供に与えて与えて与えてっていう風にね

頭の理屈やエゴで考えたら損かもしれないけど

そんなの頭の中から完全に吹っ飛んでしまいますよね。

 

もう子供がとにかく笑顔で喜んで幸せそうにして

いてくれてたらもうそれ何よりも幸せなわけですよ

だから育児もやるべきだから育児をしているわけじゃなくて

やりたいから育児をしているわけです

 

 

それが当たり前なのでもその当たり前が

当たり前に見えないのは何故かといったら

社会は本当の自分として回っているのではなくて

エゴの自分として社会が回っているで

みんな不安と恐怖を抱えながら

エゴという仮面を一生懸命で守りながら生きている

 

 

だから世の中にはやるべきことがたくさんあって

やらなければいけないことがたくさんあるように見えるのです

それはエゴという仮面をつけているから

仮面越しの社会しか見えてないなのです。

 

純粋に一番うまくいく時っていうのは好きなことをやっている時なのです。

人っていうのは生まれながらに笑顔があるし愛嬌があるし好奇心の塊だし

心の奥底には善なる良心というのを持っているわけです。

それに従って行った時が一番 人生というのはうまくいく

 

うまくいかない時っていうのはそれが何かが歪んでいるんですよ

いつのまにか表情から

笑顔が消え

明るさが消え

好奇心がきれ

そして良心がかき消されている

場合に何かうまくいかないってことがあるのです

 

これは本当にもう人類が

何百年何千年ってずっと続けているのですよ

 ずっと続けているのです

家庭教育って言ったらいかに躾をするかだし

学校教育って言ったらいかに子どもを管理するか なのです

会社はどうやって社員を管理するかなのです

管理されたい人なんて誰もいないのにね

 親は子供をどう管理するか校は生徒をどう管理するか

会社は社員をどう管理するか

そのことばっかり一生懸命やっているわけですよね

どこかで誰かが気づいて好きに生き始める必要があるのです (中略)

 

 


「あるがまま」と「あるべき姿」 好きにいきていい③

2019-06-14 07:46:02 | 日記

好きに生きていい③

 

エゴは中学高校大学 会社昇給昇進地役職

そういったものをどんどんどんどん提示しつづけます。

 社会の中から重要だと思われていることを重視して

 あるべき姿っていうのを常に提示し続けます。

あるべき姿を提示するってどういうことかって言ったら

あるがままの姿を否定するということですよね

 

今この瞬間はあるがままですそこにあるべき姿っていうのが提示されれば

間接的にあるべき姿とあるがままの間にギャップができますから

あるがままの姿が否定されたってことになる

だからあるがままが否定されているので当然過去全ても否定ですよ

なぜなら今のあるがままに導いてきたのは過去なんだから

あるがままが否定されたということは過去全てが否定された

その教育で自信を持てと言われてもそれは不可能に近いわけですよ

 

 

いいいい中学校に入りましたとね頑張って勉強しました 。

いい中学校に入ったすぐにいい高校が提示されます

あるがままのあなたじゃダメなんだとあるべき姿は

こっちだよとで頑張って勉強して高校に入りました

そしたら 大学が提示されるわけです。

あるべき姿はこっちだよと

それはもう間接的にあるがままの否定なわけです

 大学でまた今度はいい会社

いい会社に入れたら貴方は素晴らしい

しかしいい会社に入れなかったらあなたは素晴らしくないと

 

権力的にずっと続いていくわけです。

いつもどの瞬間もあるがままを肯定してはくれないわけです

 常にあるべき姿を提示し続ける。

それは 相手のためでもなんでもない

相手のためでもなんでもなく 言う側のエゴなんです

 

 自分に対してあるべき姿を提示できるって言うのは

どこか上から目線なのですよ

私はもっと上のものをあなたに提示します

そしてあるべき姿を否定して

間接的に自分自身のエゴというのを守っている わけです。

親は常に子供よりも上なんだよと

そして親の権威親のエゴという牽引を守っているわけです。

だから 教えるって言うことをするわけです

こっちがいいよとこうした方がいいよと

学校の先生も一緒です本当は子供のためにも何でもないんですよ

あるべき姿を提示するっていうのはね

ただ単に自分のほうがものを知っていると

自分は正しい答えを知っていて

あなたは知らないから私が教えてあげるっていう方です

 

ただそれだけなんですん

それはね本人たちも悪気はないのです

意識的には悪気はないのです

ただ先祖代々ずっとそういうことが続いてきて

いるというだけなのですね 淡々と淡々と

その自分の親も自分を担当してくれた

学校の先生もまたその親その先生からそういう

ふうに教育されてきたわけです

好きに生きていいなんて言われたことがないだから

当然相手にも言えない自分自身も好きに生きていないわけです

 でもそれはエゴが不安と恐怖によって作られた社会においてのものです

本当の姿ではないのですね

 

本当は 私たちにはやるべき義務っていうのはない

行ったほうがいい事っていうこともないんですよ

やるべきとかね行ったほうがいいとかっていうことはないのです

もしそれをやろうとしても結果的にはあまりうまくいかない

 

 私たちがやった方がいい事っていうのは

やりたいことをやったときに一番うまくいくんです

やりたいからやるって

何でやってるんですからやりたいからやるそれだけなんですよ 。

 

 

でもとんどの方が高この話っていうのはね

すっと受け入れられないんじゃないかなと思います

そんなことをやったらねぇ 人は堕落するのではないか

社会はダメになるのではないか

思うのですでもそれは教育が間違っているのです

 

私たちには義務っていうやるべきってという義務もないし

行ったほうがいい事っていう頭の理屈もないのですよね

勉強も仕事も育児も全てやりたいからやるのです

 やりたいからやるのです

 

勉強は本来しなければならない義務ではないし

 行ったほうがいいことでもないのですよ

やりたいから勉強するのです

なぜなら人っていうのは生まれながらに好奇心っていうのを持っている

自分が知らないことは知りたいのです

 未知のものに触れたいのです

それが私たちの本来の姿です (中略)

 

 


好きに生きていい その2

2019-06-13 09:04:34 | 日記

好きに生きていい  その2

人は あるがままの自分ではなく

あるべき姿っていうのを目指させられている。

未来将来こんな小学校に入った方がいい

こんな中学校に入った方がいい

こんな高校に入った方がいい

こんな大学に入った方がいい

こんな会社に入った方がいい

こんな地位についた方がいい

いい続けるわけですいわゆる教育者と呼ばれる人たちというのは

常に未来のあるべき姿 というのを提示し続けます。

それは

重要人物であるということが大切だとエゴは思っていて

その重要人物だと周囲の人から思われるために線路を引いているからです。

 

中学高校大学 会社昇給昇進地役職

そういったものをどんどんどんどん提示しつつ

そういったものを持っていることを 社会の中から重要だと思われていることを

重視して あるべき姿っていうのを

常に提示し続けます。

 

あるべき姿を提示するとは

どういうことかって言ったら

あるがままの姿を否定するということ

 

今この瞬間はあるがままです

そこにあるべき姿っていうのが提示されれば

間接的にあるべき姿とあるがままの間に

ギャップができますから

あるがままの姿が否定されたことになるわけです

 

だからあるがままの姿が否定されているので

当然過去全ても否定ですよね

なぜなら今のあるがままに導いてきたのは

過去だから

あるがままが否定されたということは

過去全てが否定された

その教育で自信を持てと言われても

それは不可能に近いわけですよ

 

 

じゃあいい中学校に入りました

頑張って勉強しました

いい中学校に入ったすぐにいい高校が提示されます

 あるがままのあなたじゃダメだから

あるべき姿はこっちだよと

頑張って勉強して高校に入りました

そしたら 大学が提示されるわけです

あるべき 姿はこっちだよと

それはもう間接的にあるがままの否定なわけです

 

大学でまた今度はいい会社

いい会社に入れたら貴方は素晴らしい

しかしいい会社に入れなかったら

あなたは素晴らしくないと

 

権力的にずっと続いていくわけです。

いつもどの瞬間もあるがままの姿を肯定してはくれないのです

 常にあるべき姿を提示し続ける。

それは 相手のためでもなんでもない

相手のためでもなんでもない

 言う側のエゴなんです

 

常に 自分に対してあるべき姿を提示できるって言うのは

どこか上から目線なのですよ

私はもっと上のものをあなたに提示します

そしてあるべき姿を否定して間接的にいう側は

自分自身のエゴというのを守っているわけです。

 

親は常に子供よりも上なんだから

そして親の権威、親のエゴという牽引を守っているわけです。

だから 教えるって言うことをするわけです

こっちがいいよとこうした方がいいよと

学校の先生も一緒です本当は子供のためにも何でもないんですよ

あるべき姿を提示するっていうのはね

ただ単に自分のほうがものを知っていると

自分は正しい答えを知っていて

あなたは知らないから私が教えてあげるっていう方です

ただそれだけなんです。

それはね本人たちも悪気はないんですよ

意識的には悪気はないんです

 

ただ先祖代々ずっとそういうことが続いてきている

 淡々と淡々とね

その自分の親も自分を担当してくれた学校の先生も

またその親その先生からそういう ふうに教育されてきたわけです

 

好きに生きていいなんて言われたことがないだから

当然相手にも言えない自分自身も好きに生きていないわけです

でもそれはエゴが不安と恐怖によって作られたものです。

社会において作られたものであって

本当の姿ではないということを理解したいのです。

 

 

 

 


「好きに生きていい」  -心に残る文章ー

2019-06-12 07:22:48 | 日記

 

ー心に残る文章! ネットからー

◆好きに生きていい

最初に質問をさせてください。

あなたは 誰かから「 好きに生きていいよ」と

何人ぐらいの人から言われたことはありますか

もしくは何度言われたことがありますか。

 「あなたは好きに生きていいんだよ」と

「あなたの人生なんだから好きに生きていいんだよって」いうことを

何人の人からもしくは何度ぐらい 言われたことがあるでしょうか 。

 

もし たった一人でも たった一回でも

言われたことがあるなら おそらくその時

あなたはとても 勇気を感じて

自信が持てたのではないかと思います。

 

 ほとんどの場合はおそらくただの一人からも言われたことがなく

 たった一度さえ言ってもらえたことがないかも知れません。

 

ただの一人でも 、ただの一回でも

言われたことがあるとしたら

それはものすごく幸運なことだというふうに思います。

 

ではなぜ多くの99.9%の人は あなたに対して好きに生きていいんだよ

と いう風に言ってくれないのかということです

 

何故かといえば理由は非常に簡単で

 言ってくれる側の相手も

好きに生きてないないからです。

 

人は自分にできないことは相手もできないと無意識に判断します。

これがエゴと呼ばれるものです。

自分に出来ない事は相手もできないとエゴは思うのです。

 

エゴというのは本当の自分とは関係がない

後の教育によって 作られてしまった

もう一人の自分と呼んでいます。

だから人はエゴという仮面をかぶりながら

みんな生きているのです。

生まれながらの自分とは何の関係もない

後天的に作られてしまったもう一人の自分です

 

エゴの役割っていうのは非常に簡単です。

エゴ自身が重要な存在でありたいと思っています。

つまり自分自身は重要な人間であると

社会的に大切で重要な人物

重要人物でありたいという風に

思うのがエゴの働きです。

 

自分には出来なかった

 しかし相手はできたとなれば

エゴは完全否定されたことになるわけです

 

だから人はみんなエゴという仮面をかぶりながら生きている以上

自分にできなかったことっていうのは

相手もできないというふうに判断するんです

 

だから自分が好きに生きてないので

相手が好きに生きてうまくいくとは思ってないわけです

 

自分は好きに生きていないので

相手は好きに生きてうまくいくとは思えないのです。

家庭教育とか学校教育っていうのは

基本的にエゴによって作られています

 

だから あるがままの自分ではなく

あるべき姿っていうのを目指させられている。

 

未来将来こんな小学校に入った方がいい

こんな中学校に入った方がいい

こんな高校に入った方がいい

こんな大学に入った方がいい

こんな会社に入った方がいい

こんな地位についた方がいい

いい続けるわけですいわゆる教育者と呼ばれる人たちというのは

常に未来のあるべき姿 というのを提示し続けます。

それは

重要人物であるということが大切だとエゴは思っていて

その重要人物だと周囲の人から思われるために線路を引いているからです。

 

しかし、人には必ず才能っていうのがあります。

必ずどんな人だって間違いなくあるのです。

では、自分はどんな才能があるかっていうのは簡単です。

 

自分自身がこれをやっているときは

時間をすごく短く感じるって言う何かなんですよ

その時、その人は才能を生かしているのです

 

どこかで誰かが気づいて好きに生き始める必要があると思います。

好きに生きるって言うのはもちろん

その結果に対しての責任も100%自分が引き受けるということです

途中過程としての責任というのも全て引き受けるということです

その時に

不安や恐怖を感じてもいい

失敗してもいい

落ち込んでもいい

泣いてもいい

自分の人生なんだから

そこから本当の学びが始まると思うのです。

本当のプロ意識も芽生えると思います。

 

だから「好きに生きていい」ということを

もっと広めて行けたらそれぞれの人生が深まると思うのです。

 


「幸せチャイム」 素敵な儀式

2019-06-11 12:22:45 | 日記

かもがしらさんというご家庭の

「幸せチャイム」という素敵な儀式が

ネットに紹介されていました。

転載です。

 

★僕の長女の名前は一花(いちか)って言います。

以前、世界でひとつだけの花っていうスマップの歌が大ヒットしましたね。

その歌詞の『ナンバーワンにならなくてもいいって、もともと特別なオンリーワン』っていう

歌詞が好きで一花(いちか)っていう名前をつけたんです。

でも、なぜか人と比較するのが大好きな子に育っちゃいました!

(笑)彼女は弟と真逆でけっこうロジカル派なんです。

僕はハッピーマイレージの活動やっていて休みの日でもスイッチON!なのですよ。

だから、スーパーで買い物をして駐車場係の女性に

「笑顔ほんと素敵ですね」って声をかけてお金を払ってます!!

すると助手席に座っている 一花は・・・
「また素敵な笑顔かよ・・・」ってぶつぶつ言うような子なんですっ(笑)

じゃぁ、一花ってすっごい冷めたタイプかっていうと

実はそうではなくて、たとえば学校の成績でいうと

オール5で授業中背中ピーンとしっかり先生の目を見て授業を聞くような子で

、障害者の子だったりとか外国からきたなかなか友達の出来ない・・・

そういう子の面倒を見るようなめちゃくちゃ、やさしい子なんです。

なんで、そういうやさしい子に育ったのかな?って考えたときに・・

・ひとつだけ思い当たることがあります。

 

それは、『幸せチャイム』っていう儀式のお陰なんじゃないかなと思ってます。

この儀式は・・・一花とうちのかみさんが取り決めたすごい素敵な儀式なんです。

夜寝るときにうちのかみさんは自分が真ん中で、

左右に息子と一花がいて、川の字になって寝るんですね。

僕は大体ずっと働いてるから夜いないんですが、

子どもたちは夜9時になると必ず寝ます。

その寝る瞬間にやるのが『幸せチャイム』っていう儀式なんです。

 

どんな儀式かというとかみさんが

「いっちーは かあちゃんの たからもの♪はるは かあちゃんの たからもの♪しあわせ~♪」

そう言うと2人が「しあわせ~」って繰り返して、

かみさんが「お や す み♪」って言うと 2人が「お や す み♪」って言って

寝るっていうのが幸せチャイムなんですが、この儀式をやらないと絶対に一花は寝ないんですよ。略