「好きに生きていい」  -心に残る文章ー

2019-06-12 07:22:48 | 日記

 

ー心に残る文章! ネットからー

◆好きに生きていい

最初に質問をさせてください。

あなたは 誰かから「 好きに生きていいよ」と

何人ぐらいの人から言われたことはありますか

もしくは何度言われたことがありますか。

 「あなたは好きに生きていいんだよ」と

「あなたの人生なんだから好きに生きていいんだよって」いうことを

何人の人からもしくは何度ぐらい 言われたことがあるでしょうか 。

 

もし たった一人でも たった一回でも

言われたことがあるなら おそらくその時

あなたはとても 勇気を感じて

自信が持てたのではないかと思います。

 

 ほとんどの場合はおそらくただの一人からも言われたことがなく

 たった一度さえ言ってもらえたことがないかも知れません。

 

ただの一人でも 、ただの一回でも

言われたことがあるとしたら

それはものすごく幸運なことだというふうに思います。

 

ではなぜ多くの99.9%の人は あなたに対して好きに生きていいんだよ

と いう風に言ってくれないのかということです

 

何故かといえば理由は非常に簡単で

 言ってくれる側の相手も

好きに生きてないないからです。

 

人は自分にできないことは相手もできないと無意識に判断します。

これがエゴと呼ばれるものです。

自分に出来ない事は相手もできないとエゴは思うのです。

 

エゴというのは本当の自分とは関係がない

後の教育によって 作られてしまった

もう一人の自分と呼んでいます。

だから人はエゴという仮面をかぶりながら

みんな生きているのです。

生まれながらの自分とは何の関係もない

後天的に作られてしまったもう一人の自分です

 

エゴの役割っていうのは非常に簡単です。

エゴ自身が重要な存在でありたいと思っています。

つまり自分自身は重要な人間であると

社会的に大切で重要な人物

重要人物でありたいという風に

思うのがエゴの働きです。

 

自分には出来なかった

 しかし相手はできたとなれば

エゴは完全否定されたことになるわけです

 

だから人はみんなエゴという仮面をかぶりながら生きている以上

自分にできなかったことっていうのは

相手もできないというふうに判断するんです

 

だから自分が好きに生きてないので

相手が好きに生きてうまくいくとは思ってないわけです

 

自分は好きに生きていないので

相手は好きに生きてうまくいくとは思えないのです。

家庭教育とか学校教育っていうのは

基本的にエゴによって作られています

 

だから あるがままの自分ではなく

あるべき姿っていうのを目指させられている。

 

未来将来こんな小学校に入った方がいい

こんな中学校に入った方がいい

こんな高校に入った方がいい

こんな大学に入った方がいい

こんな会社に入った方がいい

こんな地位についた方がいい

いい続けるわけですいわゆる教育者と呼ばれる人たちというのは

常に未来のあるべき姿 というのを提示し続けます。

それは

重要人物であるということが大切だとエゴは思っていて

その重要人物だと周囲の人から思われるために線路を引いているからです。

 

しかし、人には必ず才能っていうのがあります。

必ずどんな人だって間違いなくあるのです。

では、自分はどんな才能があるかっていうのは簡単です。

 

自分自身がこれをやっているときは

時間をすごく短く感じるって言う何かなんですよ

その時、その人は才能を生かしているのです

 

どこかで誰かが気づいて好きに生き始める必要があると思います。

好きに生きるって言うのはもちろん

その結果に対しての責任も100%自分が引き受けるということです

途中過程としての責任というのも全て引き受けるということです

その時に

不安や恐怖を感じてもいい

失敗してもいい

落ち込んでもいい

泣いてもいい

自分の人生なんだから

そこから本当の学びが始まると思うのです。

本当のプロ意識も芽生えると思います。

 

だから「好きに生きていい」ということを

もっと広めて行けたらそれぞれの人生が深まると思うのです。