人の最大の敵

2019-07-26 17:32:58 | 日記

人間の最大の敵は自分自身であり、

常に自分自身との戦いが何より激しい戦いとなる。

それに勝てば、生涯最大の勝利となる。

~<ビリー>E.A.マイヤー『わずかばかりの知識と知覚そして知恵』より~

心訓十戒

人を大切にする人は、人から大切にされる。

人間関係は、相手の長所と付き合うものだ。

人は何をしてもらうかより、何が人に出来るかが大切である。

仕事では頭を使い、人間関係では心を使え。

挨拶はされるものではなく、するものである。

仕事は言われてするものではなく、探してするものである。

わかるだけが勉強ではない、出来る事が勉強だ。

美人より美心。

言葉で語るな、心で語れ。

良い人生は、良い準備から始まる。

丸山 敏雄 まるやま としお Toshio Maruyama


コンプレックス

2019-07-21 22:13:37 | 日記

自分の感情が怖い

 

そして極めつけ。ある夜、夢を見ました。母親に「せっかく女性に生まれたのだから、子どもくらい産んでおけばよかったのに」と言われる夢でした。この言葉は、いつぞやの誕生日に実際に母から言われたもの。目覚めた私は、手足ともに指先が冷え切っていて、涙も出ないくらい衝撃を受けていました。

 これは、まずいな。なんとかしなくちゃいけないな。だって、ハフポストの仕事は楽しいし、一緒に働いている人たちのことを尊敬していて、大好き。こんなコンプレックスでへこたれるわけにはいかない。

 でも先程も書いたとおり、私はこれまでコンプレックスと真正面から向き合ったことがありません。見ないふりをして逃げてきました。他の人は、どんな風に闘ったり、向き合ったりしているのだろう。知りたくてたまらなくなりました。そこで、「コンプレックスと私の距離」という企画を立ち上げることにしました(もちろん、それだけが理由ではないけれど)。

「いろいろな人のコンプレックスと、その向き合い方を特集すれば、コンプレックスに悩んでいる人のヒントになるのでは?」なんて偉そうなことを企画説明で口にしていましたが、実際のところ半分くらいは自分が楽になりたいからだったりもします。

 そんなわけで、こうして「コンプレックスと私の距離」を考えるブログを書いています。実はこの原稿の前に、別のコンプレックスについて当たり障りのない感じでまとめたものを8割くらいまで書き上げていました。「だって、未婚・子なしがコンプレックスなんてすごくみっともないし、そんなことを大っぴらに語るだなんてプライドが許さない」と思っていたことに加え、そんなことをオープンにしたら、傷だらけになって、私が私でいられなくなる気がして書けなかったのです。

 ところが昨日、思い切って同僚に打ち明けてみたら、思いもよらぬ質問を投げかけられました。

「もし産めたら、産んでた?」

私は一瞬、言葉に詰まったけれど、「うん、産んでたと思う」と答えていました。悶々と自問自答するのではなく、同僚にそう言えたことで自分のなかで何かが大きく変わった気がしました。

そうだ、私は子どもを産みたかったし、今でももし、そういう機会があれば産みたいとすら思っているんだ。結婚していて、子どもがいる同年代の人たちをうらやましい、と思っているんだ、私は…。

思いがどんどん溢れてきます。そして帰宅後、私は書きかけていた原稿を削除。私の“本当のコンプレックス”を書こう。そう決めたのでした。

 


人生とはコンプレックス克服ゲーム‼  

2019-07-18 22:19:23 | 日記

「母親」になりたくて

 新卒でフジテレビに入社後、フリーに転身。テレビ報道の第一線を走りながら、世界の難民を支援する国連機関のディレクターを務めたり、大学で教鞭をとったりと華々しい活躍を続ける彼女には

「どうしても克服できなかったコンプレックス」があるという。それは「母親になれなかった」ということ。

 

人生は「コンプレックス克服ゲーム」振り返ってみると、コンプレックスだらけの人生を送ってきました。

小学生の頃の私は、丸々と太っていて、足は遅くて、勉強もできない。いつも誰かの影に隠れているようなタイプでした。

あまり覚えていないのだけど、当時のことを母に聞くと、私は家でいつも「〇〇ちゃんはこれができてすごいんだよー」と、友だちを褒めてばかりだったんだそうです。「あなたは?」と聞かれても、ニコニコしているだけ。痩せたいな、足が速くなりたいな、とは思っているけど、努力もしないのんびりとした子供だったんです。

しかし小学校から中学校にあがるタイミングで、多くの「コンプレックス」が少しずつ克服の兆しを見せます。

大きかったのは、小6の国語の授業での一幕。

大学卒業してまもない男の先生が私をさして、みんなの前で教科書の一節を朗読させたんです。その時に「長野さんは読むのが上手だね!」と褒められて。それが今でも忘れられないくらいとても嬉しかった。ああ、私でも褒めてもらえることがあるんだ、と。

運動も勉強も「何ひとつできない私」が、自分の中にある小さな可能性に目を向けた瞬間でした。

今思えば、あれは「目覚め」のような体験だったのかも。

その後、バドミントン部に入って身体を動かし始めたら体重が減り、成績の良い友人が通う塾にも仲間入りさせてもらって勉強を始めました。

少しずつ結果が出てくると嬉しくて、ますます頑張れるようになりました。

中学3年生の時、学校の先生との面談から帰ってきた母親の一言を今でも覚えています。

「あなた、国立(大学)狙えるって。先生に言われたの」。母の喜びと驚きが混ざり合った顔を見て、私は胸いっぱいになりました。

そう、私にとってコンプレックスとは、克服して次々とパワーアップしていくための原動力でもあったのです。

ある時までは…。

 

 


名言:大谷米太郎

2019-07-16 22:20:04 | 日記

大谷米太郎の名言

         大谷米太郎のプロフィール

大谷米太郎、おおたに・よねたろう。大相撲力士、実業家。ホテルニューオータニの創業者。31歳まで小作農として働いたのち上京。大相撲の力士としてデビューするが幕下上位どまりとなり酒屋に転身、その後東京ロール製作所、大谷重工業を創業したのちホテルニューオータニを作った経営者

 

大谷米太郎の名言 一覧

たった今から収入の一割の貯金をしたまえ。自分で苦労したタネ銭がなくては、芽も出てくるまい。


私はこの履歴書を記すにあたって、若い読者に言っておきたいことがある。それはたった今から、収入の一割を貯金したまえ。ということだ。私の履歴書は、この種銭を残すことのできない人にはわからない話である。タネがなくては、芽も出てくるまい。【覚書き:履歴書=日経新聞の私の履歴書】


手にひと包みの握り飯と20銭を懐に、私が初めて東京の士を踏んだのは31歳の春だった。1泊15銭の木賃宿に泊まった翌日、焼き芋で朝食を済ませ深川・高橋の荷揚げ人足に素足のままやっと拾われたのが初仕事だった。1俵23貫(約86kg)ある砂糖袋を2俵ずつ軽々と担いだから、その日の賃金は普通の人足の倍以上の1円28銭。この金で半纏(はんてん)、地下足袋の古物を一通りそろえ、どうやら人夫の仲間入りをしたわけだ。


大谷米太郎の経歴・略歴

大谷米太郎、おおたに・よねたろう。大相撲力士、実業家。ホテルニューオータニの創業者。31歳まで小作農として働いたのち上京。大相撲の力士としてデビューするが幕下上位どまりとなり酒屋に転身、その後東京ロール製作所、大谷重工業を創業したのちホテルニューオータニを作った経営者

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さしすせそ・かきくけこ

2019-07-14 23:41:24 | 日記

女性の「さしすせそ」 男性の「かきくけこ」のご紹介

 

女性が男性に使う5つの言葉。

・さ   さすが~

・し   知らなかった~

・す   すご~い

・せ   センスいい~

・そ   そうなんだ~

 

男性が女性に使う5つの言葉。

・か   かわいいね

・き   きれいだね

・く   口説いてもいい?

・け   結婚っていいよね

・こ   こっちこいよ

お互いにうまく使いたいですね。