京都の闇に魅せられて(新館)

東福寺・退耕庵の紅葉 @ 京都妖怪探訪(458)





 どうも、こんにちは。
 しばらくオフの多忙や、PC不調などで、前回記事までしばらく弊ブログの記事更新が滞っておりましたが、何とか再開していきたいと思います。
 紅葉の季節を迎えましたので、今年も「霊場魔所の紅葉」シリーズを始めます。
 その第1回目は、小野小町ゆかりの寺院でもある、東福寺・退耕庵(たいこうあん)を、紅葉の光景と共に紹介していきたいと思います。




 まずは交通アクセスから。





 最寄りの交通機関は京都市営バス「東福寺」停留所
 他には、京阪電車「東福寺」駅、JR奈良線の「東福寺」駅からも近いでしょう。


 ここから東福寺に続く道の途中に、退耕庵の門が見つかります。





 退耕庵とは、東福寺の塔頭(たっちゅう)寺院のひとつです。
 創建は東福寺第43世・性海霊見(しょうかい-れいけん)という人物です。
 応仁の乱 で潰されたそうですが、慶長4年(1599年)安国寺恵瓊(あんこくじえけい)によって再興されています。
 ところで安国寺恵瓊といえば、元々は禅宗の僧でしたが、毛利氏や豊臣氏に仕えた武将、交渉人としても活躍したことで有名な人物です。最後は、あの関ヶ原の戦いで負けて、石田三成らと一緒に処刑されますが、東福寺や南禅寺の住持まで務め、いくつもの寺院の再興に尽力した人物でもあります。
 この退耕庵も、恵瓊によって再興された寺院のひとつです。
 なかなかに京都と縁が深く、京都の仏教や歴史文化の存続に貢献した人物でもあったのですね。


 塀の向こう側からも、紅葉が見えます。






 門から中へ入ります。










 まずは本堂に礼拝します。





 ……っと、本堂と思ったら違いました。
 ここは地蔵堂。
 退耕庵のご本尊は千手観音。
 中に祀られていたのは、「玉章地蔵(たまずさじぞう)」というお地蔵さんです。
 「玉章(たまずさ)」というのは、「手紙」という意味だそうで、つまり「手紙地蔵」さんです。その名の通り、このお地蔵さんの中には、小野小町に宛てられたという大量の恋文が納められているという言い伝えがあります。
 このお地蔵さんを撮影することは禁止されていましたので、ここでその姿を皆様にお目にかけることができませんが。
 真っ白で、ふくよかというか……少し艶っぽい感じさえする印象のお地蔵さんでした。
 ところでこのお地蔵さん、小野小町自身の作だとも伝えられ、「ホンマかいな」と驚きましたが。
 昔は、「供養や罪滅ぼしの為に写経や仏像を彫る」というのが多かったようですが、絶世の美女と歌われ、多くの男どもを袖にしてきた小町さんは、何か罪の意識を感じていたのでしょうか。
 あと、昔の有名人が作ったという仏像が多く遺されていますが、昔の有名人って、仏像などの彫刻を創るのが上手かったのでしょうか。
 この「玉章地蔵」さんは、江戸時代の中頃に「洛陽48願所地蔵巡り」の第42番に数えられ、さらに悪縁切り、良縁祈願の御利益があると言われて若い女性にも人気だとか。
 うーむ、しかし当の小野小町さんは、愛欲や愛執の罪を断ちたくて、このお地蔵さんを創ったのでは無いか。それが悪縁切りはともかく、恋愛祈願の神様みたいになってしまうのは、少し皮肉な気がするのです。小町さん、草葉の陰で苦笑しておられるのでは、と思いますが。


 地蔵堂入り口横に小さな井戸が。





 これは「小野小町百歳の井戸」です。
 小野小町がこの井戸の水面に映った自分の姿を見て、こんな歌を詠んだと伝えられています。

「おもかげの かはらでとしの つもれかし たとえこの身に限りあるとて」

 直訳しますと、「面影が変わらないまま年月が過ぎてほしい。たとえこの命に限りあるとしても」ということらしいです。
 そういえば百人一首の歌には、

「はなのいろは うつりにけりな いたずらに わがみよにふる ながめせしまに」

という小野小町さんの有名な歌が遺されています。「はなのいろと同じように、私の容色も衰えてしまった」という意味らしいですが。
 人間、老いは避けられないとはいえ。
 絶世の美女と称えられた小野小町さんは、歳と共に自分の容姿が衰えていくのを相当気にされていたみたいですね。
 私みたいな、大して美男子ではない凡人でさえも、おっさんと呼ばれておかしくないような歳になって、気になるものですからね……。
 もっとも、ここの地蔵堂や小野随心院など、小町さんゆかりの場所には老衰した小町さんの像が遺されている場所もあります。
 どんな若い時にどんな知性や美貌を誇った女性でも老いて容色も衰えていく。仏教の「生・老・病・死」、無情の理を説くための見本として、自分の老いた姿も後世に晒されることになってしまった小町さん。
 当のご本人はあの世で、どう思っておられるでしょうか。
 イヤで、不本意に思っておられるのか。
それとも今頃、悟り、達観して、そんな悩みすらとっくに超越されて、「敢えて老いさらばえた自分の姿を晒し続けてやる」というくらいの気持ちでおられるのか。
 果たして、どちらでしょうか。






 この他にも、ここ退耕庵には、美しい枯山水の南庭と池泉回遊式庭園の北庭。鳥羽・伏見の戦いにおける戦死者の菩提所。石田三成、安国寺恵瓊、宇喜多秀家らが関ヶ原の戦いの謀議をはかったという茶室「昨夢軒」などがあるそうですが。
 普段は非公開らしく、私が訪れた時には地蔵堂、小町百歳井戸の場所より先には入れませんでした。
 それより先は、またいつかの公開の時期を待たなければならないでしょう。

退耕庵を出て、東福寺の境内を目指します。






 次回は、東福寺の紅葉の光景をお届けします。
 今回はここまで。
 また次回。




*東福寺へのアクセス・周辺地図はこちら



*東福寺のHP
http://www.tofukuji.jp/




*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm





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