京都市内を中心に、様々なパワースポット、不思議スポット、妖怪伝説の地などをめぐるこのシリーズも、気がつけばもう40回近くになっておりました。
さて。
たのしい、たのしい京都怨霊めぐり……もとい『京洛八社集印めぐり』の3つ目は、水火天満宮です。
天満宮と言いますと、もうおわかりの方もおられるでしょう。
そうです。ここもまた、天神(雷神)になったとされる大怨霊・菅原道真の霊を祀った神社です。
水難と火難などの厄除け、合格祈願等のご利益があるそうですが、ここにはいわくといいますか、不思議な言い伝えのある石がいくつか祀られています。
冒頭の画像は、この神社にある「登天石」という石で、菅原道真の霊がこの石の上に立っていたという言い伝えがあります。
水火天満宮は、京都市内の北の方、市内のほぼ真ん中を縦断する堀川通りの上御霊前、市バス・天神公園前停留場を降りたところです。
辺りは街路樹などの緑がやや多い他は、マンションや企業ビルなども立ち並ぶごく普通の市街地です。
一見したところ……。
実はこの辺り、堀川通りをやや南に下ったあたりには、裏千家のビルとか、“京都の人形寺”とも呼ばれた宝鏡寺、そしてシリーズ第1回と第14回で取り上げた晴明神社、第6回でとりあげた白峯神宮などもあります。
つまり、なかなか面白い地域にあるのです。
なお、“京都の人形寺”宝鏡寺については、またいつかこのシリーズでとりあげたいと思います。このシリーズにふさわしく、いわくつきの人形も伝わっています。
話がそれましたので、戻します。
堀川通りに面した入り口(正面入り口でしょうか?)から、中に入ってみます。
入り口から入ってすぐ右のところにあった、小さな庭です。
奥に水が湧き出している石が。
なんか、いわくありそうな石ですね。
ここには、この他にもいわくありげな石がありました。
「出世石」という石です。
出世にご利益のある石のようです。
もっとも、負け組安月給サラリーマンの私には、あまり関係のなさそうな石ですが(笑)。
その横に、道真伝説に関係の深い「登天石」があります。
この石には、次のような伝説があるそうです。
道真の死後、京の都では災害が相次ぎ、それれらは道真の怨霊の仕業だと考えられました。
比叡山延暦寺の第13代座主で、道真の生前の師にあたる人物ともされる法性坊尊意(ほっしょうぼうそんい)僧正。
醍醐天皇は尊意僧正に祈祷を依頼し、尊意僧正は山を降りて宮中に向かいます。
尊意僧正が鴨川まで来ると、突然水位が増し、町へと流れ込みます。
僧正は怯まず、川に向かって祈りを捧げます。
すると川の水位が下がり、川の水が真っ二つに割れ、ひとつの石が現れます。
その石の上に道真の霊が立っていていました。
やがて道真の霊は昇天し、その途端に雷雨もやみました。
尊意僧正は参内を済ませると、道真の霊が立っていた石を持ち帰って、供養をしました。
このことから延長元年(923年)に道真の霊を祀ったのが、この水火天満宮で、その時道真の霊が立っていたという石が、この「登天石」だそうです。
ちょっと変わった形の、いかにも不思議な感じの石ですね。
隕石ではないか、とも言われているそうです。
本殿へお参りです。
末社の稲荷社です。
この稲荷社は、六玉稲荷・玉光稲荷・生島稲荷を合祀したものだそうです。
大きな紅枝垂れ桜の樹が立っています。
私が訪れた時は、まだ桜の咲く前の時期だったのですが、時期が来れば実に見事な桜を咲かせるそうです。
でも、今年はそれを見る時期を逃してしまいました。
惜しいことをしたものです……。
ところで稲荷社の鳥居の脇に、またしてもいわくありげな石があります。
そこにも近寄ってみました。
ここから湧き出している井戸水は、眼病に効くと言い伝えられている「金龍水」です。
その石組みの上に鎮座する石は、妊娠5ヶ月目に拝むと安産になると言われている「玉子石」です。
シリーズ第28回の「錦天満宮」でも少し触れたましたように、京都市内には良質の地下水が湧き出す場所が多く、それを利用した寺社などもあるのです。
神社敷地の隣の公園から見た水火天満宮です。
こうして見ると、落ち着いていい場所かもしれません。
来年あたり、紅枝垂れ桜が満開の頃に訪れることができればいいな、とも思いました。
それにしても、こういう何気ない風景の中にも、ごく普通に市民生活が営まれているすぐ傍にも、歴史や伝説上の遺産があるというのも、京都の街の面白いところです。
それでは、今回はここまで。
*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm
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