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どうも、こんにちは。
シリーズ前回の続きで、安珍・清姫伝説、クライマックスの舞台となる道成寺を巡ります。
今回は、この古刹に遺る、安珍・清姫伝説の痕跡となるものを観て回ります。
シリーズ前回の続きで、本堂前から。
これは確か、本堂から南西方向の光景だったかな。
地蔵菩薩像の向こう側に見えるのが、「宝物館」と「縁起堂」。
「宝物館」には、仏像や絵画、道成寺物の歌舞伎などに使われる道具などが展示されていました。
その中で特に面白いと思ったのが、あちらの世界で仏になった安珍・清姫が和解している姿を表現したという仏像でした。
なお、縁起堂では、ここで一日数回、「道成寺縁起」の写本を用いての「安珍清姫の絵とき説法」が行われているそうです。
この時、雨の降りしきる平日だったこともあって、境内には私の他には参拝者の姿はほとんど見当たりませんでした。
予約もしてなかったし、ここの名物のひとつともされる「絵とき説法」を聴くことが出来ませんでした。
うーん。またしてもここで、私の計画性の無さが・・・。
次に訪れる時は・・・。
さらに境内を散策。
「鐘巻之跡」。
・・・ということは、この小さな池のようなものが、あの事件の起こったまさにその現場であるわけですね。
「鐘巻の跡」の向こうには三重塔が。
案内板によれば、当時は大黒柱に使用できるほどの大木が他になかったので、隣町の神社の御神木を切ってきたという話。
「神仏習合のお導きを示す塔となっています」とは言うものの、当時としてはバチ当たりのゴリ押しみたいなものだったのでは、という気も・・・。
三重塔の隣に、何か怪しげな場所が。
ここは、あの安珍が焼け落ちた鐘と共に葬られているという「安珍塚」でした。
合掌。
ただ(他にも指摘する方が居られるようですが)、安珍塚の案内板の一部が欠けたままになっていたようですが・・・いいのですか?
他にも、何やら怪しげな場所が。
何と、ここは「安珍・清姫の事件で焼け落ちてから数百年後に再興されたがやはり呪われて放棄された」という二代目鐘楼があったという場所。
なお、二代目鐘楼は現在、京都・妙満寺に奉納されています(※その詳細についてはシリーズ第273回など参照)。
また、安珍・清姫事件のから数百年後に再興された鐘楼も呪われたというエピソードも、能や狂言などの題材となっています。そのうちのひとつが、シリーズ第487回と第488回で紹介しました、「千本ゑんま堂大念仏狂言」の『道成寺』です。
ところでこの時、二代目鐘楼の案内板にかたつむりが。
その近くには、「えんま堂」が。
ただこの時、残念ながら中のえんま像をよく見ることが出来なかったような・・・。
境内をさらに移動すると、大きな桜の木が。
やはり有名な桜の名木だったようです。
この木に因んだ文楽作品もあったそうです。
日本の神社仏閣の多くもそうなのですが、桜の時期に訪れるのも良さそうです。
ところで、この桜のあたりにこんな案内板も。
最近の発掘調査でこの辺りにかつて鐘楼があったことが判明し、しかも焼けた土まで発見されたそうです。
単なるたき火や護摩行の跡なのか。
あの安珍・清姫伝説が本当にあったのか。
或いは、その元ネタとなった何らかの事件があったのか。
私には確かめようがありませんが。
しかし、やはり本当にこの古刹には鐘楼は無いままでしたね・・・。
さらに奥、本堂裏の方へ。
これは、護摩堂だったかな? 念仏堂だったかな?
本堂裏へ。
本堂のご本尊について、こんな看板が。
かの秘仏が・・・。
「もうひとつの安珍・清姫物語」で、安珍が愛する人の姿を重ねて拝んだという千手観音像が。
次のご開帳は平成50年、西暦では2038年。
果たして自分は、それまで生きてその姿を拝むことが出来るだろうか、などと思いましたが。
「道成寺裏門ノ跡」という場所まで。
さらに「奥ノ院」や、清姫の霊を祀ったという「蛇塚」という場所もあるそうなので、裏門から出てさらに散策を続けます。
それでは、今回はここまで。
また次回。
*道成寺へのアクセスはこちらを参照。
*道成寺のHP
http://www.dojoji.com/
*『京都妖怪探訪』シリーズまとめページ
https://kyotoyokai.jp/
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