京都の闇に魅せられて(新館)

紀伊・道成寺・その1 @ 京都妖怪探訪(631)





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 どうも、こんにちは。
オフの多忙の為、またもやシリーズ前回から間が開いてしまいましたが。
 今回も紀州の清姫伝説の地を巡るシリーズです。
 今回から3回に渡って、安珍・清姫伝説、クライマックスの舞台となる道成寺を巡ります。
 今回は、安珍・清姫伝説の影に隠れがちではありますが、この古刹の由緒にも深く関わる「もう一人の姫」の話をしながら。

 シリーズ前回の続きから。
 道成寺山門へと続く長い石段です。





 伝説上では、この石段を、大蛇と化した清姫が上って行ったことになっています。
 いよいよあの伝説の舞台に足を踏み入れるかと思うと、気分が高揚してきました。
 ご覧のように、石段を上っている途中でも、激しい雨が降り続けていました。






 山門、つまり仁王門はその名の通り、二体の仁王像に守られています。








 石段と仁王門の開口部、参道部と本堂の千手観音像は全て一直線上に配置されているそうです。
 本堂は南北朝時代に建て替えられているようですが、仁王像と観音像の位置は創建から1300年以上変わらないままだそうです。
 ただあの伝説の通りであれば、大蛇(もしくは鬼女)と化した清姫は、仁王や千手観音の守護すらも突破して、道成寺の境内へと侵入したことになりますね・・・。


 仁王門の辺りに立つ石碑には「宮子姫命御願寺」と刻まれています。





 これは、和歌山県最古の寺とも言われる道成寺の創建に関わる伝承を表しています。
 現在では「道成寺」と言えば安珍・清姫伝説が一般には知られているようですが、「宮子姫」の物語も、「道成寺に関わる二人の姫」のうち一人として、重要な話のひとつなのです。
 道成寺に伝わる『宮子姫伝記』という絵巻物には以下の話が伝わっています。

 今から1300年ほど前、九海士(現在の和歌山県御坊市湯川町下富安)の村長に娘が生まれましたが、髪の毛が全く生えませんでした。
 その頃、九海士の海に光るものが現れ、不漁が続きました。
 村長の妻(娘の母親)が、命がけで海へ潜り、海底から小さな観音像を見つけて引き上げます。
 その観音像を毎日拝み続けていると、娘にも美しい髪の毛が生え、やがて「かみなが姫」という美少女に成長しました。
 「かみなが姫」は、藤原不比等の養女として奈良に召され、「宮子姫」という名をもらい、宮中に仕えることになります。
 さらに宮子姫は、文武天皇の后となり、聖武天皇の生母となります。
 しかし宮子姫は、両親と、自分に黒髪を授けてくれた観音様を故郷に残したままであったことを思い悩んでいたので、文武天皇はその恩返しの為に寺を建立することを命じました。
 こうして大宝元年(701年)に建てられたのが、道成寺だそうです。

 ただ一人の姫の為に建てられた寺が、後世に別の姫が起こした惨事の為に、女人禁制となってしまうのは、何とも皮肉なものだという気がします。


 本堂に礼拝。





 この中に本尊・千手観音像がありますが、宮子姫伝説の海底で光っていた観音像とは別物なのかな、と思います。
 本尊は平安時代初期の作とされ、しかも像高3.20メートルで、女性(宮子姫の母親)一人が海底から持ち上げるには大きすぎるからです。
 では、宮子姫伝説の観音像は今、どこに・・・?


 本堂前には多くの蓮の花が。





 蓮の季節に訪れるのもいいかもしれません。
 シリーズ次回では、道成寺境内に遺されている、安珍・清姫伝説の痕跡を観て回ります。






 それでは、今回はここまで。
 また次回。




*道成寺へのアクセスはこちらを参照。




*道成寺のHP
http://www.dojoji.com/





*『京都妖怪探訪』シリーズまとめページ
https://kyotoyokai.jp/




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