どうも、こんにちは。
リアルの桜の時期より始めるのが少し遅くなってしまいましたが、今年(2023年、令和5年)の『霊場魔所の桜』シリーズを始めます。
今回は、京都市内の桜名所のひとつで、清和源氏の祖・源経基(みなもとのつねもと)が龍神となって祀られている古社・六孫王神社(ろくそんのうじんじゃ)を訪れました。
まずはいつもの通り、交通アクセスから。
最寄りの交通機関には、京都市営バス「六孫王神社前(東寺北門前)」停留所があります。
そこから八条通りを西へと歩くと、八条壬生(はちじょうみぶ)の交差点があり、その北西角に鳥居が見えてきます。
ここが六孫王神社、入り口の鳥居です。
なおここには、JR・近鉄京都駅(及び京都市営地下鉄「京都」駅)南側の八条口から、八条通りを西へ20分ほど歩いても行けます。
外側からも満開の桜が目に入ります。
こちらの花も。
境内へ。
鳥居の先、石畳の境内参道は、まさに桜のトンネルに覆われているようです。
主祭神として祀られている源経基(みなもとのつねもと)は、第56代清和天皇の六男・貞純親王の子として生まれ、皇室内では六男の「六」と、天皇の「孫」という字とを組み合わせ、それに「王」を付けた「六孫王」という愛称で呼ばれていました。
それが、源基経を祀った「六孫王神社」の名の由来となりましたが。
延喜9年(909年)、源の姓を受けて、臣籍に加えられたと伝えられています。増えすぎた皇族はこうして減らされるのですが、これが後に武士の時代を切り開いた源氏の始まりとなりました。その八代後の子孫が、鎌倉幕府を開いた源頼朝です。
源基経自身も、文武だけでなく、和歌にも優れ、また平将門や藤原純友の乱の鎮圧に加わった際には功績を評価され、鎮守府将軍にまで任じられるなど、武士としても大きな活躍をした人物だそうです。
源基経はこの地に住居を構え、付近を開拓し、これがこの古社のはじまりになったと伝えられています。
参道途中に建つ弁財天社。
琵琶湖・竹生島の弁財天を勧請したという弁財天社です。
その奥には、以前からあった井戸の上に弁財天社を祀り、安産祈願をして産湯にも使ったという「誕生水弁財天社」もあります。
後に歴史の表舞台で活躍したり、鵺や酒呑童子などの鬼や妖怪たちとも戦ったりした源氏の武士たちも、生まれた時はここで汲まれた産湯を浴びていたのでしょうか。
再び桜のトンネルへ。
桜のトンネルを抜けると、境内庭の池にかかる池にかかる石橋へ。
源経基は臨終の際、「霊魂は滅しても、我は龍(神)となってこの西は地上の池に住み、子孫の繁栄を祈るから、この地に葬れ」と言い残したので、現在でもこの地に眠っているそうです。
経基の遺言通りだとすれば、現在でもこの池には龍神となった経基の霊が棲んでいます。
龍神となった経基を祀る社も建っています。
石橋を渡りきって、本殿に礼拝。
この本殿裏には、源基経を葬った石積みの廟があるそうです。
本殿横にも桜(?)の花が。
古来、雨は龍神が降らせるものと信じられていました。
「龍神となって子孫の繁栄させる」という遺言を残しました源基経は、この地を開拓もした人物です。「龍神になる」ということは、恵みの雨をもたらし続け、農耕を助け続けるということを意味します。
源基経という人は、この地と自分の一族に、相当な愛着を持っていたようですね。
この桜の花々も、こうした愛着心の反映のひとつでしょうか。
この日は雨でしたが、龍神を祀る古社を訪れるにはちょうどよかったかも。
今回はここまで。
また次回。
※ところで2023年の目標で、「新規スポットの記事を最低でも20以上、出来れば30以上書く」としましたが、今回で8カ所目。
目標まであと12本(12カ所)です。
*六孫王神社へのアクセスはこちら。
*六孫王神社のHP
http://www.rokunomiya.ecnet.jp/
*『京都妖怪探訪』シリーズ