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どうも、こんにちは。
リアルではもうとっくの昔に桜の時期は過ぎていますが、せっかくですので、『霊場魔所の桜シリーズ』も開催したいと思います。
最近のコロナ危機、新型肺炎感染拡大危機やそれによる外出自粛推進のムード等により、外出がしにくくなり、本シリーズの取材活動にも大幅な制限をかけることを余儀なくされました。
それでも今年(2020年、令和2年)の3月末頃、感染症のリスクが高い、いわゆる「3密(密閉、密集、密接)」の状態を徹底的に避けるなど、自分なりの感染症防衛策をとりながら、何とか続けました。
まずは今年の最初に、心霊スポットの噂もある、京都・日ノ岡付近の粟田口刑場跡の桜を。
まずはいつもの通り、交通アクセスの紹介から。
最寄りの交通機関には、京阪バス「日ノ岡」停留所があります。
しかしながら、コロナ危機下の昨今では、いわゆる「3密」の発生しやすいバス・電車などの公共機関は仕事(本業)でどうしても必要な場合しか使用しないことにしています。
その他にも、
・移動手段は自家用バイクか徒歩のみにする。
・マスクや手袋を常時着用し、使用後は破棄や洗浄をする。
・帰宅時だけでなく、移動する毎に、こまめに手洗いやうがい、消毒をする。
・人混みを徹底的に避ける。人混みを見かけたら「回れ右」をして、遠回りになっても迂回する。
・そもそも他人と接するのをできるだけ避ける(もっともこの点だけは、たいていいつも一人で行動していますから普段とほとんど代わらないのですが)。
などの、できる限り、考えられる限りの防衛策をとりました。
すみません。
また前置きが長くなってしまいましたので、話を戻します。
京都と山科、滋賀とを結ぶ幹線道路のひとつ三条通り、京都府道143号四ノ宮四ツ塚線の途中に立つその場所は。
シリーズ第18回やシリーズ第271回で訪れたことがありますが、かつてここには平安京遷都の時代から江戸時代まで当時日本最大級だった刑場があり、その間に1万5000人以上の罪人が処刑されたと言われる曰く付きの場所でもあります。
その為か心霊スポットとされ、「首なしランナーが走っていた」などの噂もあります。
「南無阿弥陀仏」と書かれた石塔。
あの明治の廃仏毀釈の時、この石塔は破壊も破壊され、工事用の資材として使われようとしていたそうです。
その時の傷跡が遺り、廃仏毀釈の酷さの一端を顕しています。
この他にも、京都市内にはこういう廃仏毀釈の暴虐を今に伝える遺構が、現在でも幾つも遺されています。
ここを含めた各地の無常所(墓場、墓地)に永代供養のための碑を建てたという木喰上人(安祥院開基木食養阿、1687~1763)の像が、桜の花の合間から見えます。
失礼しまして中へ。
供養塔の一部にも廃仏毀釈の痛々しい爪痕が今も。
供養の気持ちも込めて、少し礼拝してからこの霊場を後にします。
「桜の木の下には死体が埋まっている」という有名な言葉の影響でもないですが、こういう霊場魔所の花や紅葉こそ美しいという私の信念(?)の下、こういう場所の桜などの花、紅葉の光景を追い続けてきました。
この霊場は千数百年もの間、人間の罪業や暴虐、世の無常を見続けてきただろうな。
もし意思があるならば、ここに咲き続けてきた桜は一体今、何を思っているのだろうか。
こういう霊場に来て、桜を観る度にそんなことを考えてしまいます。
そして、これからもずっと・・・。
今回はここまで。
また次回。
*『京都妖怪探訪』まとめページ
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