
どうも、こんにちは。
霊場魔所の紅葉シリーズ。
愛宕道の霊場を巡り、その紅葉の光景をお届けする3回目です。
今回は、祇王寺(ぎおうじ)とその紅葉の光景を……。
……との予定でしたが、変更します。
撮影した写真を見直してみますと、まだ紅葉が十分に赤く染まっていませんでしたので、単に祇王寺を紹介するだけの記事にします(笑)。
白拍子・祇王の物語は、『平家物語』の中でも有名なエピソードのひとつです。
その祇王ゆかりの寺・祇王寺も「一度は行ってみたい」と思っていた場所のひとつでしたので。
シリーズ前回の壇林寺の前からです。

ご覧の通り、祇王寺は壇林寺のすぐ近く、というより隣です。
入り口から中へ入ります。



ここで、『平家物語』の祇王のエピソードを簡単に紹介しておきましょうか。
当時、祇王(ぎおう)と祇女(ぎじょ)という都に名高い白拍子の姉妹が居ました。
特に姉の祇王は、当時の最高権力者・平清盛の厚い寵愛を受け、名声も富の絶頂期にありました。
ある時、仏御前(ほとけごぜん)という若い白拍子が清盛の元に「舞を披露したい」と訪れます。
最初のうち清盛は断っていましたが、祇王が優しく取りなしたので、舞と歌を披露させることになりました。
しかしそこで清盛は仏御前の方に心を奪われ、祇王と祇女はお払い箱となって館を追い出されます。
祇王は祇女、母・刀自と共に、次の歌を残して去っていきます。
「萌え出ずるも 枯るるも同じ 野辺の草 いづれか秋に あはではつべき」
(意訳:芽生えたばかりの草も枯れようとする草も、野辺の草は結局みな同じように、秋になると枯れ果てる。同じように人も誰しも、いつかは飽きられ、終わる時が来るのでしょう)
この話にはさらに後日談がありますが、それは後にして、一旦境内散策に戻ります。


入り口にからす瓜の実が。
境内では三脚の使用が禁止されています。京都の自社仏閣にはこういう場所が少なくありませんので、私はコンパクトデジカメを愛用しております。
境内庭園の光景です。




苔の庭を基調としたわびさび感のあふれる風景です。
私のつたない写真でそれが伝わっているのか正直不安ですが。
こういうわびさび感のある光景って好きですね。
ただこの時は、まだ紅葉が赤く染まりきっていませんでした。祇王寺を紹介・宣伝するパンフレット等には、紅葉の落ち葉によって上から下まで真っ赤に彩られた庭の光景が紹介されていて、その光景を撮りたかったのですが。
ただそれでも。
こうして庭に落ちた落ち葉を撮ってみると……いかがでしょうか?

なおこの庭は、四季毎に違った光景が楽しめるそうです。
季節や時期をずらして再訪するのもいいかもしれません。
本堂が見えてきました。

ここで、先ほどの祇王の物語の続きを。
静かに暮らしていたところに、あの清盛から「仏御前が退屈しているから、出てきて舞をしろ」との命令が下りてきます。
祇王たちが追いやられたのは清盛と仏御前が原因ですから、彼女らにとっては屈辱的な仕打ちですが、祇王は結局従わざるをえません。
再び訪れた清盛の館でも、かつてよりはるか下座に置かれるなど、境遇の変化を嫌でも思い知らされることになる中で、歌と舞を披露されることになります。
この屈辱的な体験に祇王は世をはかなんで、妹・祇女、母・刀自と共に世を捨て出家し、今の祇王寺の場所に草庵を建てて暮らしました。
この時、祇王21歳、祇女19歳、刀自45歳でした。
それからさらに後、ある秋の夜のことでした。
夜中に草庵を訪ねてくる者が居ました。
それは出家して尼の姿になった、あの仏御前でした。
祇王が舞わされている姿を見て彼女も、「自分もいつかあのようになるのか」と世の無常とはかなさを思わずにいられなかった、とのことでした。
仏御前も今までのことを祇王たちに謝罪し、一緒に出家させてほしいと願います。
祇王たちはそれを受け入れ、4人は仲良く仏道に励み、最後は往生を遂げました。
以上が祇王の物語のだいたいのあらすじです。
本堂の周辺の様子です。





本堂内部は撮影が禁止されていましたので、その様子をここでお届けすることはできません。
中には、本尊の大日如来像が祀られていました。
本尊の周りには、祇王、祇女、母・刀自、仏御前と、そしてあの平清盛の像が安置されていました。
それを見て私は少し複雑な想いに囚われました。
考えてみればそれは、何とも凄い光景です。
何しろ一人の男が、愛人1号、愛人2号とさらにその家族に取り囲まれているのですから。
これを見て「うらやましい」と思うのか。
あるいは「こりゃ大変な修羅場だな……」と思うのか。
人それぞれでしょうが、私は後者です……。
参拝路を本堂よりさらに奥へと行きますと、墓所のような場所があります。

その一角に、平清盛の供養塔(写真右)と、祇王・祇女・刀自の墓(写真左)が立っています。

こうして見ると、生前のいきさつはともかく、今は仲良く並んでいるようですが。
ただ私としては……。
あれほど酷い仕打ちをしたあげく捨てたような身勝手な男と、それでも自分の道を歩き出した女性たちとを、今更一緒にしてやる必要もないのではないか。
それは余計なお世話って気もするのですが……いかがでしょうか?
祇王の物語も、『平家物語』全体のテーマである「諸行無常」をよく表しています。
そして「いかなる者もいずれ変化や滅びを迎えざるをえない」という諸行無常は、現在にも通じるようです。
例えば、祇王の物語などは、今で言うアイドルやタレントなど芸能人の悲哀とも重なって見えるようです。
現在で言えば、マ○ンナの後に出てきたレディ・○ガとの関係も、「モー○ング娘」とその後に台頭してきた「A○B48」との関係も、何だか祇王と仏御前の関係と重なって見えるような気がするのですが。
いかに人気を誇っていても、いつかは後から来る若い者に取って代わられてしまうという……。
祇王寺境内の美しくも、一種の儚さを感じる光景はまさに、そんな世の無常をも連想させてもくれるようです。


それでは、今回はここまで。
また次回。
シリーズ次回もあと1回、愛宕道沿い霊場の紅葉の光景をお届けします。
*祇王寺への地図・アクセスはこちら。
*祇王寺のHP
http://www.giouji.or.jp/top.html
*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm



