前回の続きで、六道珍皇寺を訪れた時の記事です。
六道珍皇寺といえば、前回で紹介しました小野篂伝説の残るお寺です。
冒頭の画像は、六道珍皇寺に伝わる「迎え鐘」です。
毎年、お盆に精霊(冥土から帰ってくる祖先の霊魂)を迎えるためにつく鐘です。
この迎え鐘のように、六道珍皇寺には人の生死について考えさせられるものがいくつもあります。
さすがは、かつては葬送の地・鳥辺野の入り口であった場所、なおかつ“冥府の判官”小野篂伝説の残る六道珍皇寺ならでは、でしょうか。
今回の特別公開で展示された、六道輪廻の様を描いた『熊野観心十世界図』や地獄絵図など。
期間限定で特別公開された地獄絵図などは撮影が禁止されたため、ここで読者の皆様にお見せすることができませんが、「六道のいずれに行くかは、それぞれの心次第である」と説くそれらの絵図も、人の生死などについて考えさせられるもののひとつです。
今回は、そういった生と死について考えさせられた珍皇寺の遺産についての話もしたいと思います。
境内の一角、大木の下に小さな祠が見えます。
近寄ってよく見ると……。
「延命地蔵大菩薩」と書いてあります。
これと同じ祠を……そうそう、確か清水寺近くの三年坂・二年坂で見かけました。
こんなところにもあったとは。
水子が祀ってあるらしい場所の隣にも、小さな祠があります。
どんな神様を祀ってあるのでしょうか。
近寄って、よく見ると……。
なんと、「お岩大明神」と書いてありました。
「お岩大明神」って……まさか、あの『四谷怪談』で有名な幽霊・お岩さんのことでしょうか?
祟りのないように、そっと拝んでおきました。
多くのお地蔵さんが並ぶ一角。
その奥の方に水子地蔵尊があります。
この寺では、水子供養もやっているそうです。
ここで、清水寺で見た百体地蔵堂や千体の石仏群などを思い出しました(シリーズ第19回と第25回とを参照)。
ここの地蔵も、明治の廃仏毀釈を逃れてここに集まってきたものだろうか?
そう考えて、「ここのお地蔵さんたちは、京都市内から集まられてきたものですか?」と、ガイドさんに尋ねてみました。
そうしたら、年配のガイドさんが答えてくださりました。
「いえいえ、これは京都中どころじゃありませんよ。全国から集まってきているのですよ」
そしてガイドさんは、いくつもの絵馬がかけられている一角を指差し、声を詰まらせるようにして言いました。
「あそこの絵馬をご覧ください。ここに全国から集まってきた親御さんたちの想いが綴られています。本当に、本当に悲しくなってきますよ」
水子地蔵尊の横には、いくつもの絵馬がぶら下がっていました。
ガイドさんに言われたとおりに絵馬のうちいくつかを拝見しました。
そしたら……。
「いっしょにいてくらたのに、産んであげられなくてごめんね」
「どうか、お空で安らかに。いつまでも私たちを見守ってください」
「もう同じ過ちを繰り返しません。どうか、パパとママを許してください」
……などと書かれた絵馬がいくつも見られました。
もう、これ以上語る必要もないでしょう。
京都の街中には、多くのお地蔵さんが見られます。
私も京都で生まれ育ったので、幼い頃は町内の地蔵盆を楽しみにしていた思い出があります。
京都の人たちの地蔵信仰も深さと広がりを表すものですが、同時に地蔵とは、子を亡くした親が子供を供養するために造ったものでもある、という話を聞いたことがあります。
この寺に集まった、そして京都中に無数に存在するお地蔵さんのひとつひとつには、そんな悲しい背景が秘められているのかもしれない。
単なる趣味の「魔界・妖怪スポット」めぐりだけではなく、人の生と死についても考えさせられる旅となりました。
*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm
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