大阪道修町医薬の神さん、少彦名神社(すくなひこなじんじゃ)ご鎮座220年を記念して、春琴抄の碑が道修町資料保存会により神社参道の入口に建立されてた。
谷崎潤一郎が「春琴抄」で、その妻松子夫人への思慕を春琴と佐助に託した、日本近代文学史上屈指の名作として広く知られており、道修町が舞台となっていると道修町の史記に書かれている。
石碑には地唄筝曲の人間国宝 菊原初子師による「春琴抄の碑」の文字と、谷崎潤一郎の原稿からとった「春琴抄」冒頭部分の自筆が刻まれていた。
大阪道修町医薬の神さん、少彦名神社(すくなひこなじんじゃ)ご鎮座220年を記念して、春琴抄の碑が道修町資料保存会により神社参道の入口に建立されてた。
谷崎潤一郎が「春琴抄」で、その妻松子夫人への思慕を春琴と佐助に託した、日本近代文学史上屈指の名作として広く知られており、道修町が舞台となっていると道修町の史記に書かれている。
石碑には地唄筝曲の人間国宝 菊原初子師による「春琴抄の碑」の文字と、谷崎潤一郎の原稿からとった「春琴抄」冒頭部分の自筆が刻まれていた。
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大阪道修町は昔は薬問屋街 、医療を中心とした、商いの原点があり、またそこに様々な人々が集まることで、歴史的に文学や芸術の原点になり「薬の町」というだけでなく「文化と薬の町」として栄えた。 今日、運良く戦災を免れました北船場は近代建築が集中する、国内でも有数のエリアのようだ。
国指定重要文化財 の「旧小西儀助」
谷崎潤一郎の「春琴抄」の 映画のセットは、小西儀助商店の雰囲気そっくりにつくったとう話があります 、道修町の歴史書によると、1870年に製薬の製造販売を行う「小西屋」として創業。創業当初は製薬だけでなく洋酒や缶詰などの食品類を取り扱い、1884年には「アサヒ印ビール」(現・アサヒビールの源流)の製造・販売を開始した。その後アルコール飲料類は子会社「大阪洋酒醸造」に移管。
今は接着業界でも有名な合成接着剤「ボンド」の発売で、日本を代表する接着剤のトップブランドとして成長、「ボンドといえばコニシ」と言わせる程有名である。インターネットでのドメイン名もずばり「bond.co.jp」。現在の社屋ビルは別にあり、この建物は記念館的な意味合いで保存され堺筋オフィス街のビルの谷間に異彩をはなっている。
建物名 :コニシ(旧小西儀助商店)
建築年 :明治36(1903)年
設 計 :基礎:渋谷五郎 意匠:本間乙彦
所在地 :大阪市中央区道修町1-6-10
備 考 :国指定重要文化財
午前中梅田第二ビルでSA連協のHP委員会の集まりがあった、食事をしてから西日本の道路 の距離計算の起点である「里程元標」がある高麗橋を撮る為に京阪北浜駅に下車、存在感ある 難波橋を横目に見て直ぐに「北浜レトロビルディング」が目に入った。
大阪府登録文化財によると「北浜レトロ」は明治45年(1912年)、株仲買商によって建てられた地下1階・地上2階建てイギリス様式の洋館。熟練した職人による贅を尽くした造りは銅板葺きの屋根や内部の木製階段、地階の金庫などに鮮明に残っている。大阪府下に現存するレンガ造の建造物としては最古の部類に属し、西洋建築導入期の色合いが強く残る、まさしく『株の街、北浜』のモニュメントともいうべき文化財建築である。第二次世界大戦後は、建築資材の専門商社「桂隆産業株式会社(平成6年倒産)」の本社社屋として利用されてきたが、平成9年(1997年)、大規模な保存・改修工事を経て、建築当時の雰囲気そのままに『北浜レトロビルヂング』として蘇った。現在は、純英国式ティールーム『北浜レトロ』として有名である。
向かいの立派な大阪証券取引所とは対照的な建物である。