備後国分寺の風景

とき折々の風情を見せるお寺の風景、そして行事の様子をお知らせします

護摩の御祈祷

2005-12-27 07:02:10 | Weblog
壇上の組んだ薪に火を入れ、

そこに仏さんをお招きして供物を供養するお護摩。

月例護摩供は大師堂で行うが、

元旦護摩は本堂の特設檀で行う。

午前0時から。

近隣檀信徒の他、多くの初詣に来られた方々の参詣を歓迎します。

歴代住職

2005-12-25 07:05:16 | Weblog
国分寺の元禄以降の中興住職方の墓。

福性院におられた快範師が中興第一世。

4世如實師は、高野山から転住され、

頼山陽の先生であった儒学者菅茶山さんと交流があった。

11世快雄師は、神仏分離後の宮島・大聖院との兼務。

12世泰雄師は福山明王院を兼務していた。

様々なことが発達した今よりも僧侶の世界は昔の方が

ダイナミックだったのではないか。

そんなことを歴代墓の前に来ると思う。








雪化粧

2005-12-19 07:11:15 | Weblog
昨晩の雪ですっかり白くなった境内。

北部に比べれば薄い雪ではあるが。

サクサク踏みしめる雪の感覚は都会にはないものを感じる。

汚いものを覆い隠して真っ白になってとてもきれいに思えるのも雪の魅力。

そう思うのもたまに降る雪のせいだろう。

茶山顕彰詩碑

2005-12-17 07:33:12 | Weblog
国分寺仁王門前に菅茶山先生の詩碑がある。

当時の住職如實和上をうたったもの。

鴨方の西山拙齋氏との連句で、

花の奇種を好んで植えた和上を面白可笑しく風刺した詩。

茶山さんが揮毫したものをそのまま刻んでいる。

下御領八幡神社

2005-12-13 07:34:41 | Weblog
国分寺の東に位置する八幡神。

江戸時代までは、國分寺の住持職が神主を兼務していた。

明治初年、神仏分離令によって境内を分け、

ご神体は國分寺が引き取った。

八幡神の御本地仏は阿弥陀如来。

今国分寺の本堂に祀られている。

神辺の町

2005-12-12 07:30:12 | Weblog
唐尾山道からの眺め。

近年大型店舗の進出から町並みも変わった。

町内の個人店舗が姿を消し、国道沿いにコンビニや飲食店が展開する。

どこにでもある変化の波に飲み込まれていく。

利便性の追求によって、ますます人と人の繋がりが薄れていく。

来年3月には福山市と合併する。

六地蔵

2005-12-10 07:10:14 | Weblog
唐尾山の道を降りてきたところに佇むお地蔵さん。

六地蔵。

六は六道の六。六道輪廻の六道。

地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天のこと。

みんな死んで六道のどこかに生まれ変わる。

そのどこに行ったとしても御守り下さるのが地蔵尊。

だから六地蔵。

お大師さん道から見た鐘楼堂

2005-12-07 07:29:25 | Weblog
唐尾山八十八カ所のお大師さん道から見た境内の様子。

鐘楼堂と手前に客殿の屋根が見える。

七十番札所付近から下を見た様子。

唐尾山の山も松枯れに晒されている。

昨年森林組合の人たちが枯れ松を伐採してくれて、

その切り倒された松が道沿いに転がる。

その横を今度は食べ物に事欠いたイノシシが掘り起こした跡が点在する。

下の畑にも今年またやってきたようで、

山の自然が失われていっていることを伺わせている。

初雪つもる仁王門

2005-12-06 07:28:23 | Weblog
うっすらと白い雪に覆われた昨日朝の仁王門。

中門から見た仁王門の姿。

左手には地蔵堂。六地蔵さんを祀る。

右手は光明真言を刻んだ曼荼羅石と聖観音菩薩石仏。

石灯籠は昭和7年に奉納された。経済的に厳しい時代のものだ。

世の中がその当時のような時代に逆戻りしないことを念じたい。


備後国分寺旧蔵の国宝

2005-12-05 07:11:47 | Weblog
奈良時代、聖武天皇勅願で建てられた国分寺。

その時代、お寺の中心は、金堂に祀られた丈六の釈迦如来ではなく、

七重の塔に納められたこの経典。

金光明最勝王経10巻でした。

中世にこの地に合戦があり、諸堂焼失した、おそらくその頃持ち出され、

尾道西国寺に一時所蔵されて、今では国宝に指定され奈良国立博物館にあります。

http://www.emuseum.jp/cgi/pkihon.cgi?SyoID=3&ID=w009&SubID=s000#japanese