人生道場

お互いに悩みや考えを述べ合い、それぞれの人生の糧にしませんか。

人質殺害に対するマスコミの対応に思う

2004-10-31 17:44:23 | Weblog
これまた、何と日本人である我が同胞の命の軽さか。
NHKが少しその立場上報じてた位で、民放各社に特番が組まれた
ところは見当たらなかった。

自衛隊イラク派遣に係る邦人人質殺害事件であり、大変な事案では
ないのか。にもかかわらず、そんなことがあったのか、という感じ
の扱いではないのか。
それとも、彼に落ち度があるから、殺されても仕方がない、とでも
いうのか。そんな彼が殺された事実などソースにならないのか。

国家に目を向けて、何も言わないとすれば、それは過去の過ちの
繰り返しではないのか。
マスコミは基本的人権を口にすることがあるが、それは自分達の
営業権に係わることだけか。

今回は、本人に問題点があったとしても、「生命」という基本的人権の
根幹に係わるところである。
我国の政府等により「国民の生命」が脅かされ、その責任をまっとう
しない国家であっていいのか。
どんな理由があっても「命の尊さ」を忘れていけないし、「殺されても
しかたがない」とその「命」を軽くすべきではない。

あなたの、私の、あなた達の、私達の「命」は、彼の「命」と同じなのだから。

我が国民の命の如何に軽きことか。

2004-10-31 17:14:36 | Weblog
残念ながらイラクで人質にされた彼は首を切られ、その遺体はご本人と
確認されたとのこと、心よりご冥福を祈りたい。

イラクにおいて人質にされ殺されたのは我国においては、初めてである。
何故に彼は殺されなければならなかったのか。
彼はイラク国民に多大の迷惑をかけ、殺されても止むを得なき人物だった
のか。そんなはずはない、単なる旅行者ではないか。
単なる旅行者が何ゆえに人質に取られ殺されなければならないのか。
我国に対しての要求の為に人質となったのではないのか。
我国がイラク復興支援を名目に自衛隊を派遣してるからこそ、
単なる旅行者の我が同胞が本来されなくていい人質にされてしまうのでは
ないのか。
国民のテロへの危険を誘発しているのは国民を守るべ我が国家ではないのか。
その国家の行動により人質になってしまった彼を救出する責任は誰にあるのか。
一般的にも国家は国民に命を守る義務を負うのに、今回はよりその責任を
負うのではないのだろうか。

にも係わらず、いち早く「テロには屈しない。自衛隊の撤退はない」と明言し、
彼の命を見捨ててしまっているのは何故なのか。
先ず「テロに屈しない」とは如何なることなのか。確かに言葉は格好良く、
耳への響きもいい。私もそれに異論を唱えるものではない。
我が国民の命を救助するのに格好がいるのだろうか。
自衛隊を撤収することが何故できないのか。
彼の命に換えても自衛隊を駐留させるのは何のためか。

我国は今回国民の命を救えない国だということがはっきりしたのではないのか。
そんな国が他国の幸せを実現できるのか。
我が国民の命の如何に軽きことか。我が国民の命は「あらゆる手段を構じ
救出の努力をしたが、残念なことに不幸な事態となってしまった。
残虐なテロの犯人を許すことができない」といった言葉に置き換えられるだけの
何と軽きことか。

家族への非難は心ある行動か

2004-10-30 16:50:16 | Weblog
イラク人質事件或いはその他の事件においてもそうであるが、
その家族への非難の電話等が多数寄せられるとそのたびに報じられるけれども
それは心ある行動なのであろうか。

自己責任を叫びながら家族の連帯責任を問うのか。
少なくとも心に重きをおいて考えたとき、家族のひとりの生死にかかわる事が
起きた時その心痛はいかばかりであろうか。
そんな心痛のところへ個々の思いを投げつけることは、その心痛を理解しない
行動ではないのであろうか。
人は互いにいたわり合いの中に生きる必要はなのだろうか。
今回のイラク人質事件において人質にされた方は、考えさせられるべき点が
あったとしても被害者であり、本人が憎まれるべき犯罪を犯したわけではない
のである。

我々は同じ日本の国民として同胞として被害者の家族に対してはその心痛を
察し、個々の考えをぶつけるのではなく、温かい心といたわりをもって
接する必要があるのではないのだろうか。
侍の国、日本国民として他人の心のわかる心有る行動を願わずにはいられない。


心無き犯罪を許せない

2004-10-29 06:28:07 | Weblog
新潟中越地震の被災者やその関係者に対して犯行を行う
非道な犯罪者に対しては一方ならぬ憤りを感じる。
災害に遭われ、やり場の無い気持ち心労の中におられる方々や
支援者の方々に対しての犯罪は許せない。

犯罪に心があり、許せるものがあるわけではないが、
特に被災者やその関係者そして支援関係者は、
物質的面も然ることながら人の温かい心が支えになる状況に
あることからしても人の心を全て善意に解釈しがちな状態に
あるのではないか。
そんな無防備な状態に乗じて「オレオレ詐欺」や「支援金どろぼう」
その他の犯罪を犯す犯人達は、いかなる犯罪者よりも許しがたい。

あらゆるご苦労に対し、心有る情をもって接しなければならぬのに
余りにも人としてあるまじき非道さである。



「マイナス思考」それとも「プラス思考」

2004-10-27 05:40:54 | Weblog
どうしても「マイナス的思考」になって仕舞いがちなんだけれども、
私は何とかプラスへプラスへと考えたい方である。

「だめ」「できない」と一言で言われてしまうと、そうだと思っても
何だか無性に「何でだめなの何でできないの」と腹が立ってくるのである。
どうしても何とかやれるのではないかと考えてしまうのである。
諦めが悪いと言えば、そうなのかもしれない。
「だめ」「できない」では、もうその先へ進みようがないのである。
それがどうしても嫌なのである。前へ前へと進みたいのである。
引いてもより前へ進める引きをしたいのである。
止めた方がいい場合も沢山あるのだが、またその方が楽な場合もあるのだが、
苦労を伴なっても「何とかやれないか」「なんとかできないものか」と
前向きに考えたいのである。
それの方が明るくて気持ちがいいのである。
そしてその気持ちがあらゆる物事を前に進めてくれるのである。

真面目が一番

2004-10-26 05:38:31 | Weblog
私は、ある程度人生を歩いて来て、僅かなりとも人との出会いも得て、
やはり、「真面目が一番」だなぁ、と感じている。

私は、どちらかと言えば、いい加減な人間なので、尚そう感じるのかも
しれない。
人はどちらかと言えば派手さを求めがちであるが。
にも係わらず、真面目さに派手さを求められないけれども、
第三者的に見ていると、結果的に真面目さが信頼を獲得しているのである。

つまるところ前回の「継続」と並び「真面目が一番だよ」になってしまう。

私のようないい加減な人間は、「基本的に真面目」という言葉を
使うことにしている。これも「真面目の一種」だろうか。
日本語の便利さ、有難さに救われているようなものであるが。

「継続」についての考え

2004-10-25 18:03:48 | Weblog
「継続は力なり」とよく言われますが私も、そうだと理解しています。
ところが、これが中々できない。特に私は3日坊主なのでなお更です。

目の前に直ぐにでも結果を出さなければならないことは沢山あります。
それを実効するためには、コツコツなんてやってられない。
しかし、だからといって、成果が目の前に直ぐにでも例え出来たとして、
それは永遠に続けたくてもできるものだろうか。
これまた成果を継続させなければ、大きな成果とはなり得ない。
そのことに日々悩み続けているわけである。

私は、継続は間が開いてもいいものだと思う。
諦めず、捨てず、また思い起こして始める。挫折してやらないときが
あっても、思い出して又始める。
事柄によっては1年2年空白期間があっても、諦めたリ捨てたりせずに
続けていけば、それが継続していくことより、それなりの成果と結果が
現われのではないだろうか。

私は、そんな継続が繰り返されることにより、真の継続となり、
大きな成果をもたらすものと信じている。

落穂拾い(子供は働き手だった)

2004-10-24 19:34:24 | Weblog
思い出でしかないけれど、未だ私の小学生位までは、農繁期になると、
学校が授業を午前中で終了して家事の農作業の手伝いのために子供を
帰宅させた。
子供達はランドセルを放り投げるとそれぞれに家事の手伝いに田んぼ
へ行ったり、遊んだりもした。

稲刈りが終わった後の田んぼに落ちている「落穂」を学校の全校生徒で
田んぼに入って拾って歩いた。かなりの落穂が集まったような記憶が
ある。

そんな中にあっても勉強もしたし、情操的に育まれた気がする。
貧しかったけれども、それなりにやる気もあり、それこそ今に言う
「ゆとり教育」ではないのだろうか。
そして、立派に日本の牽引力を努めてきているのではなかろうか。

自分が変われば世界がかわる。

2004-10-23 20:39:51 | Weblog
私は自分を理解しようとしても、自分が分からない。
これが自分だと、言いたいけれど、中々これが自分だというものが
自分では見つからない。しかし、他人は十分色がありますよ、と
言ってくれる。それでも、自分の色が語れない。そして、さ迷っている。

私は、身近な人を自分好みに変えようと永年頑張ってきた。
どんな努力もした。しかし、中々変わらなかった。
ここまで来て、諦めたり、投げ出したくはなかった。
それは、自分が許されなかった。何故なら、何故ここまでそのために
苦労してきたのか、わからなくなるからだ。

しかし、ある時ふと、その人をありのままに認めようと思った。
変わるべきものとそうでないものがある、素直に受け止めようと
考えた。その途端、世界が変わったのです。
その人との世界ですが、今までその人の嫌な面、許せない面が無くなったわけ
ではないのですが、軽くなり、イライラが和らいだのです。

やっと、実感として自分が変わることで世界が変わるのを感じました。

子供の虐待に感じるもの

2004-10-22 12:51:03 | Weblog
最近、報道されてる中で心にかかるものの1つに子供への虐待がある。
報道される内容だけで判断するのは危険かもしれないが、愛故というより
やはり余りにも程度を超えた虐待ととった方が適切と思われる事案が多い。

それも母親が子供を死なせてしまう。2歳とか5歳とかまだ幼児に対して。
私が何故と疑問に思うのは、母親が子供を死なせてしまうほど摂関するのか、
である。それは母親は自分の身を捨ててでも子供を守るもの、との意識が
強いからかもしれない。それが動物の本能であり、昔も今も変わるべきもの
ではないと考えるからである。

しかし、何かがかわってきてるような気がしてならない。
残念ながら、その答えを明確にこれだと言えるわけではないのだが、
個々の欲求を満たすことが優先され、それぞれの役割と責任が薄れ、欠如
しているのではないのだろうか。

幸せの青い鳥は、何処に

2004-10-21 12:05:20 | Weblog
「幸せの青い鳥は何処に」と、探し求めました。きっと、「青い鳥」はいるはずだと。
童話のように自分の家なんかじゃ、ない。きっと、何処かにぃ。
「青い鳥」との出会いを求めて、随分と長い間、さ迷いました。

それ程、辛くてどうにもならない時期があったんです。
もう、こんな人生なんかいらない、と思いながらも、もう少し、もう少し、
きっと「青い鳥」がいるはずだと、「青い鳥」を求めて重い足を1歩、1歩と
踏み出しながら、やっと生きた人生の時期があったんです。

しかし、捜しても探しても「幸せの青い鳥」との出会いはありませんでした。

ふっと、ある時、自分自身の意識が変化したとき、周りの状況にも
明るい変化が見えました。今までにない幸せ感を感じました。

そのとき、もしかして童話の「青い鳥の話」は、このことを意味しているのかも
しれない、ということに気付いたのです。
そうなのです、「幸せの青い鳥」は、自分自身の中にいたのです。自分の外では
なく、既に自分の中にいたのです。
以来私は、「幸せを感じる感じない、幸せになるならない」は自分次第なのだと、
外に「青い鳥」を探すのを止め、自分の中の「幸せの青い鳥」を死なせて
仕舞わないよう、大切に育てています。

気付くということ

2004-10-20 11:22:30 | Weblog
「気付く」ということ最も大切な中のひとつであり、
中々自分の身に付けることの難しいぃものの一つではないだろうか。
あらゆる現象、予兆などに気付けたら回避や変革の端緒に、
先ず、なることだろう。
それを実効あるものにするには、「気付き」だけでは不足で、
その他の分析、判断その他の要素が総合的になされなければ
ならないのかもしれない。
しかし、「気付く」ことができなかったら、何ら手のうちようは
ないわけである。
 
 神棚の榊の水を替える時に今までになかったことが起こった。
 ほんの僅かに袖がお神酒入れに触れ、お神酒入れが落ちて
 割れてしまった。

私はこれは不吉な予告と感じ、私、妻子、親に何か起きるのでは
ないのか、としばらくは用心するようにしていた。
しかし、2週間が過ぎても何も起こらないので一安心していた。
ところが、1~2ヶ月後に若い弟が急死してしまった。
 
私は、その現象を何等かの予告と気付きはしたものの、
若い弟にまでは思いが至らなかった。結果論ではあるが。

気付くということも、やはり自分自身が育て磨かなければ、
中々気付かずにとおり過ぎてしまうのではなかろうか。

ある切っ掛け、「死って、何」(よりよく生きるために)

2004-10-19 13:11:21 | Weblog
我々にとって「死」とは何であろうか。
私は僅かな期間だが、亡くなった方々を扱う機会に恵まれ、
人生観が変わったのです。

今隣同士で歓談してた人が、くだものナイフで一突きされて
亡くなり、今まで泣き笑いしていた人がもう二度と泣き笑い
できない人になってしまう。
今の今まで泣き笑いしていた人が、たったの一突きで、もう
泣くことも笑うこともできない、人から単なる物体になってしまう。
如何に人は脆いものかを思い知らされるとともに、
「死とは何ぞや」を自問自答するきっかけにもなり、
この時から「例えあの世に夢の世界があろうとも、死して
花実は咲かない、生きてこそ花実は咲くもの」と心に決めました。
しかし、生きることの辛さに負けてしまいそうにもなりながら、
今は、まだ何とか生きています。生きていて良かったと思う時も
あります。生きていれば何とかなるものとも知りました。

子供の目の輝きの今と昔

2004-10-17 13:28:26 | Weblog
昔は人力が頼りだった。
したがって、子供も立派な働き手だった。
ランドセルをホッポリ投げて、遊びもしたが、家の手伝いもした。
子供でできることは、何でも手伝った。
そして、子供心に早く大人になって親に楽をさせてやらなければ、と
思っていた。親もまた子供の成長が頼りだった。
確かに、今も親にとって子供の成長は頼りであることに代わりはないが、
少しばかり今と昔では趣が違っている気がする。
其の当時の子供達の目はそれぞれに輝きに満ちていた。

日本の子供達の目に東南アジアの子供達の目に比べて輝きがないと
言われて久しいぃ。
何故なのだろうか、時代の流れと言ってしまえばそれまでだが。
  今や子供達は働き手だろうか。
  親は子供を頼りにしているだろうか。
この二つが全てではないが、昔と今が違うとすればこの点ではないだろうか。
子供心に早く大きくなって働いて沢山のお金を貰って、
それで親を楽にさせてあげたい。そのために何になりたいと夢を描き、
目を輝かせながら遊びに勉強に勤しんだのではなかったか。

人生捨てたものではない。(生きてこそ人生)

2004-10-16 15:28:11 | Weblog
私は裕福に楽な人生を歩いているわけではない。寧ろ逆である。
もう、これ以上の人生はいらないかぁ、と考えたことも何回となくある。
しかし、私の場合はそれを決行せず、「死ぬ気になれば何でもできる」、
「死ぬのは何時でも死ねる」とその時々において思い返してきたこともあってか、
今、ここにある。

人はどんなに頑張ってみても直ぐに目に見えて変わるものと変わらないものがある。
私は時々思うのだが、大きな船が急に右舵、左舵をいっぱい切っても正面の風景は
中々変わらないのとよく似てる気がしている。
しかし、ゆっくりと変化しているのである。

それと、いつものことであるが、ふっと考えると自分が人生の中において
何処にいるのか分からなくなることである。
日々を暮らす中で自分はいったい何処へ向かっているのだろう、と。
果たして、今歩いているこの道は自分の夢や描いている方向へ通じているのだろうか、と。

しかし、そのように悩み苦しみながらも焦らず、自分のペースでコツコツと
人生を歩いているが、決して楽にはならないが、其の時見えないものが見えてきたり、
真っ暗な目先に明かりが見えてきたり、と生きてて良かったと思える時もあり、
まんざら人生も捨てたものではない、なぁ~と感じずにいられないのである。