人生道場

お互いに悩みや考えを述べ合い、それぞれの人生の糧にしませんか。

男子たるもの・・・

2007-11-27 05:08:34 | Weblog
貧乏だった・・・  あの頃・・・ みんな等しく貧乏だった。
国も、我々も・・・

だから、みんなで協力し、力を合わせてた。

我々は国を思い、国は国民を思い・・・みんなで弱い者を守り。
弱い者を虐めるなんて、強い者、男たる者がやることではなかった。

なのに、よってたかって、弱い者を食い物にし、虐めて平然としていられる
世の中になってしまったのだろうか・・・

モ一度、帰ろうよ・・・  弱い者を守れる世の中に、我々に・・・。

想いだされること・・・

2007-11-23 04:35:18 | Weblog
小学・中学の頃をふと想うと・・・
幼いながらも、「卑怯」という言葉が、片隅に残っている。

◎ 弱い者を虐めるな
  ◇ 女、子供、老人を虐めるな

弱い者を虐めるのは「卑怯者」である、と子供心に大人達に教わった。

男子たるもの、弱気を助け、強気者に立ち向かえ、と教わった。

そんな良き時代に子供時代を過せたことは幸いである。

なんと、今の世の中、弱い者虐めが、はびこっていることか。

心の空洞

2007-11-22 03:40:53 | Weblog
心の中に満たされない空洞は、誰にもあるのではないだろうか。
埋めようにも埋まらない。
埋まったかと思いしや、又もや、空洞が・・

どこから生まれるのだろうか。
どうしたら、うまるのだろうか。

その空洞は、いつも想われていたい、という欲望ではなかろうか。

いつも、想われていると、実感できる時に心は満たされるのではないだろうか。

夫婦の問題・・・

2007-11-20 04:30:13 | Weblog
全ての夫婦ということではないと、想いますが、
何故・・ 夫婦は、あんなに愛していたはずなのに・・・
いつの日からか、共に歩けなくなるのでしょうか。
よくは解りません・・・が・・。
ふたりの生活の中で、互いに悪気があるわけではないことが、
知らず知らずに度重なり、何時の間にか、互いに許せなくなり、
夫婦共に歩けなくなってしまうのではないだろうか。

出会いによって・・・

2007-11-09 04:15:23 | Weblog
人の人生というものは、出会いによって変化していくのでは、
ないでしょうか。

人それぞれに、色々な出会いがあり、それが人生の大なり小なり
岐路となっているのではないでしょうか。

また、人それぞれに、人間形成にも影響している場合もありますよね。

その大元、根本は自らの意思でしょう。

人は、どんな人と出会うかによって、人生もまた、変わるものと想います。

と、考えると、人との出会いを大切にしながらも、よくよく吟味したい、
ものですね。

自殺について想う

2007-11-07 15:15:42 | Weblog
「死にたい」と、大なり小なり思われた方は、かなり多いのでは
ないでしょうか。実は、私も過去に何度となく「死にたい、死んでしまいたい」
と思いました。
それは、人生が楽しくもなく、苦しい日々であり、先行きも見えず、
こんな人生なら・・・  生きていてもしょうがないじゃないか、
と思えるときでした。

でも、今生きている、確かに死んだら今の苦しみからは逃れられる。
しかし、今は苦しくても、死ぬまで苦しい訳ではないだろう。
まだ、自分の人生の結論はでていない。
今、死ぬ気になれたんだ、死んだつもりなら、何でもやれるではないか、
と、もう少し頑張ってみようと、夢に生きてみようと・・・、
思い直して今日に至っています。

今思うに、死なずに頑張ってきて良かった、と思っています。

そして、今は、日常の生活と判断が出来うる限りは、命を大切に
どんなに苦しくとも、精一杯生きることが大切だと、思っております。


末尾ながら、亡くなられた方のご冥福をお祈り致します。

「海」

2007-11-05 00:10:40 | Weblog
海は、いい、広くていい。
常に、人、人、顔、顔、狭い人間社会に
生きているからだろうか。
広い海、限りなさを感じれる海
だから、開放感に浸される。

海は、いい、深くていい。
心の浅い人間社会に
ウンザリしているからだろうか。
深い海、限りなく深さを感じれる海
だから、懐深く抱かれている安らぎに浸される。

海は、いい、広くて深くて、いい。

であい

2007-11-04 01:14:08 | Weblog
いろいろな「であい」がありますよね。

その「であい」が、人生の折り目となっているのでは、ないでしょうか。
「であい」たくて「であえる」ものではないし、
しかし、「であいたい」と望んでいれば、望みがかなうこともあるのでは、
ないでしょうか。

「望み」が「夢」が、自然と現実化の環境を創るのでは、ないでしょうか。

私は、常に「恋をしたい」と夢みています。
いつか、素敵な人と出会えるのではないでしょうか。
いや、もう既に私の傍にいてくれているのかもしれません。

心の豊かさ

2007-11-02 04:14:45 | Weblog
なにか、私の子供の頃はまだ、みんな心が豊かだったと思う。

みんなが等しく貧しかったから、互いに助け合わないと、
生きてゆけなかったからなのだろうか。

隣の人の方が、私の家の中を知ってるような、そんな時代だった。
それ故に、煩わしさもひとしおだったのだと思う。

隣や近所に干渉されないことに憧れがあったような気がする。

人のことを必要以上に思うほど、皆が心豊かだった。
そんな時代もあったのだ。
そんな時代に子供の頃を過せたことに感謝したい。

今をどう生きるか。

2007-11-01 04:42:32 | Weblog
難しい課題ですね。

ただ、押し流されるままの日々のような気がする。

何とか、何とか、と思いながらも・・  流されている。

ただ、子供の頃を振り返ると・・・ 貧乏だったぁぁ・・
みんなが等しく貧乏だった。

継ぎはぎだらけのズボンや上着、運動靴からは親指が覗いていた。
手はあかぎれていた。
遊び道具は無かった、遊びを見つけ、遊びを創った。
一人で遊ぶことは殆どなかった、先輩後輩入り乱れて、みんなで遊んだ。

そんな時代を過したから、今があるのだと思う。
そんな貧乏な時代に育ったことに、時に感謝する。

今をどう生きるか、明日を生きるために・・・