人生道場

お互いに悩みや考えを述べ合い、それぞれの人生の糧にしませんか。

「非常」について思う

2005-08-22 19:29:40 | Weblog
今回の解散総選挙における擁立劇を見ていると、「非常」さを強く感じてならない。

確かに、今までが良かったとも思えないし、今回に類似する行為はあったと思う。
反対派に対する当然の行為という評価もある。
特に英国では既に行われていることだとも。
今まで国内ではそういう行動を取る人がいなかっただけだという声もある。
やっと、日本も外国並になったんだとの声もある。
「非常」だという声もある。国民が「非常」を受け入れるのか?との声もある。

この「非常」さは、自分の提出した法案に反対した者はトコトン潰すということ
だろうか。
かって、我国の歴史においても血をみるまでトコトンやらなけらば気がすまない、
という時代もあったようである。
今の時代はそのようなことにはならないけれども、
それを彷彿とさせるような「非常」さを感じられなくもない。

この「非常」さは、反対者だけに向けられたものなのだろうか?
「非常」であるということは、我々国民に対しても「非常」といこではないだろうか?

我々が望む年金改革について何等の進展もなく、成立させて欲しくない年金法案は
一方的に成立させられ、このことを捉えても我々国民に対しての「非常」さを
垣間見せるものではないだろうか?

我々一人一人が国の行く末を考え、今まで以上に国政に感心を抱き、
よく見極めて選択すべき時期に入ったのではないだろうか?

民で出来るものは、民へ、でいいのだろうか?

2005-08-21 13:03:03 | Weblog
「民でできるものは、民へ」に私も全て反対する気持ちはない。
しかし、それだけで、いいのだろうか?の疑問が残ってならない。
今回の郵政の問題にして、確かに民でできるものだと思うし、
実祭に民でやっていることである。

だけど、果たして今のような郵政のようにやれるのだろうか?

やはり、民でやれたとしても国がやるべきこともあるのではないだろうか?

今回の郵政法案が成立すれば、今の郵便局は将来半分はなくなるだろう、
という人もおられる。多分それに近いのではないのだろうか?

もし、そうなったとして、それは国民我々の為の改革なのだろうか?

「郵政法案は難しい、そんなものは議論の必要はない」との声があるが、
ほんとうにそれで、いいのだろうか?
そんなことを言う政党を信じ、任せていいのだろうか?

言葉の不思議。自分の不確かさ。

2005-08-20 14:28:35 | Weblog
私は、時々思うことがあるのだが、話を聞いて、或いは言葉を聞いて、
直ぐに頷き、わかった気がしてしまうのである。
しかし、そのわかったつもりの言葉を深く掘り下げてみると、
なんにも解っていなかったことに気が付くのである。このよなことが度々である。

今回の「郵政民営化」についても同じことがいえる。
「郵政民営化」ね。それはやらなきゃ、大切なことだよ。と納得してしまうのである。
しかし、ところで「郵政民営化」ってどんなこと?、何が「郵政民営化」?
解らないのである。確かに郵政公社を民間化することくらいは解るが、それ以上のことは
解らないし、尋ねらえても応えようがないのである。

多くは、私と同じではないのだろうか?

「340兆円が郵政に集まり、それが官に流れ、無駄遣いされている」と聞けば、
それは大変だ、郵政改革をしなけらば、と納得してしまうのである。
しかし、どういう風に流れ、どのように使われ、どのような問題があり、その何処を
改善すべきなのか?と問われても答えられないのである。

多くは、私と同じ程度ではないのだろうか?自分では解ったつもりでも、ちょっと
考えてみると、ほんとは何も知らないのではなかろうか?

そして、今回なにがなんでも、否決された郵政法案を成立させようとされている法案は
郵政改革にふさわしいぃ法案なのだろうか?
我々はどのような郵政改革を望んでいるのだろうか?
国民一人一人の中に郵政改革のあり方や姿があるのだろうか?

今一度、言葉に納得するのではなく、しっかりと考えてみる
必要があるのではないだろうか?

政権党として今のやり方は真ともなのか?

2005-08-19 16:32:24 | Weblog
私は、政治には無縁に生きているだけに、それなのに今のやり方って
真ともなのか、否、真ともじゃないんじゃないか?、と疑問に思えて
ならないのである。
少しは、国を思うものとして、これで日本はよいのか?と疑問が消えないのである。

今の候補者擁立劇をみていても、確かに遥かに優れた人々に違いはないと思う。
しかし、政治理念や国家観はどうなのだるか?
ただ、今回否決された郵政法案を通過させる為に、賛成票を投じる為にのみ推薦され
ているようにしか、思えないのである。
言わば、右向け右と言えば右を向き、左向け左と言えば左を向き、
をする人々が集められているのではないだろうか?
ただ1人の指導者の言うことに賛成する者達だけが集まった集団になりつつ
ある、或いはなっていくのではないだろうか?
もし、そうなれば、過去のドイツや敗戦前の帝国日本であったり、イラクや北朝鮮の
ような独裁政治に近づいていくのではないだろうか?

我々国民は、そのような党に政権を託して良いのだろうか?
戦後60年間自民党一党による政権の歪は生じていないのか?
今の1000兆とか、700兆と言われる借金の責任は何処にあるのか?
国民にあるのか?それとも政権を担ってきた政権与党にあるのか?

どなたか、「政官癒着を打破する」とおっしゃっておられたような記憶があるが、
今回の推薦候補の多くは官僚ではないのか?
果たして、官僚出身者が多くて政官癒着を打破できるのだろうか?
郵政に係わる公務員だけが、改革すべき公務員なのだろうか?

今、我々国民に提示された、言わば国民をバカにしているともとれるような
国会で否決された郵政法案の賛否を問う総選挙に対し、言葉に惑わされることなく、
賢い選択を国民一人一人がすべきものと思わざるをえません。

もう一つ、何故、この郵政法案の賛否が郵政改革の賛否なのだ、ということです。
この法案の成立以外には郵政改革はありえないのか?それほどまでにこの郵政法案は
優れたものなのか?なのです。

郵政改革の言葉の元に否決された郵政法案を成立さていいのでしょうか?

もっともっと議論をしてからでもよいのではないにでしょうか?
アメリカにおいては郵政は国営であるそうですが、何故日本は民営化を急がなければ
ならないのでしょうか?

今の政治手法に疑問

2005-08-18 16:40:25 | Weblog
今までに「独裁的」とかの話を耳にしながらも、今の時勢もあってか、
左程頷くような思いも起きなかった。しかし、今回の解散劇なり、
その後の様子をみるにつけ、何か、これはおかしくないか?
もしかして、やはり時代が時代なら「独裁」か?との疑問が湧いてきたのである。

今回の国会で否決された郵政法案への賛成か?、反対か?賛成でない者は
自分の党には入れない。この法案に反対するものは郵政改革に反対する者だ。

何か、感じるものはないだろうか?何か危うさを感じるものはないだろうか?

今提出されている法案の賛否が、即郵政改革への賛否と決め付けていいのだろうか?
それほどまでに、この法案は優れたものなのだろうか?
この法案でなければ郵政改革にはならないのだろうか?
何故、郵政法案の賛否が、郵政改革の意思の有無に摩り替えられるのだろうか?
郵政法案に反対と言えば、郵政改革の意思までが否定されるのだろうか?
否決された郵政法案の成立への賛否なのに、
郵政改革の賛否に摩り替えられていないか?

この否決された郵政法案に賛成か?反対か?を問い、郵政法案に賛成者だけを集め、
て一定方向へもって行こうとする手法は、戦前の帝国日本において、大政翼賛会を
創設して翼賛会に参加しないものは議員にあらずのような雰囲気の中で太平洋戦争へと
突入した帝国議会や戦前の我日本を想起させるものではないだろうか?

これで、いいのだろうか?日本の政治。

2005-08-16 02:56:48 | Weblog
私は、一人の平凡な日本人なのです。不偏不党でありたい、とも思っています。
1人で、何等の力もありません。
それだけに、ひとりで、これでいいのか、日本の政治は?と
小さな胸をかきむしっています。

政治は、国家の為にあるのでしょう。しかし、国家形成の基礎は国民では
ないのでしょうか。国家の為は、国民全体の為と同意義であり、同意義で
ないとしても、国民全体につながるのではないのでしょうか。

その国民を忘れた政治になっているのではないのか、との疑問が消えないのです。

今、郵政民営化が叫ばれています。郵政改革の必要性は誰しもが、必要と考えて
いるのではないでしょうか。

しかし、今、郵政民営化なのでしょうか?我々国民が求めているものは、
年金などもっと切実な身近なものではないのでしょうか?

国会で問題ありと否決された郵政民営化法案に賛成する、しないが、
郵政改革なのでしょうか?
法案に賛成する政治家が改革推進派で、
問題ありとされる法案に賛成しない政治家は、郵政改革を考えていないのでしょうか?
この法案は我々国民の為になるものなのでしょうか?
誰の為に、これほどまでにこの法案を成立させようと、今の政府はしているのでしょうか?
どうしても、国民の為に急がれているようには思えないのですが、そう疑問をもつのは
私一人でしょうか?