人生道場

お互いに悩みや考えを述べ合い、それぞれの人生の糧にしませんか。

「こころを養う」その17

2014-08-31 12:29:37 | Weblog

「お返しを思う」という「こころ」、、、

自分以外の人様から、、、何やかれ、やってもらっても、、、

頼んでもないことを勝手にしているんだよ、、、と思ったら、、、

何ら感謝も生まれないだろうし、、、

何をやってるんだと、、、恨みすら生まれてくるかもしれません、、、

一人で生きては生きられない世界においては、、、直接的にも間接的にも、、、

周りの助けに生かされていることが心に感じられたとき、、、

感謝の心が生まれ、、、

するしないは別として、「お返しを」と思うこころが生まれてくるのではないでしょうか、、、

その「こころ」が周りに伝わった時に、、、

こころ豊かな世界に変わっていくのではないでしょうか。。。。。

 


昔の記憶の一コマ一コマと感想(昔を思い出すままに)その55

2014-08-31 08:45:58 | 昔の記憶の辺々・花の写真

小学校時代、、、

当時、、、私の住む村は、6で構成されていて、、、広い一面田んぼの中に、、、

杉に囲まれた八幡宮がありました、、、

この八幡宮は、大宰府に所縁があるように聞いてました、、、

稲刈り脱穀が終わったころ、、、祭りが行われ、、、

大きな村挙げての行事に「流鏑馬」がありました、、、

馬に乗る人の衣装の色が、、、6に1色づつ6色が割り当てられていまして、、、

私のは「紫色」で、一番位が高いとされていました、、、

流鏑馬もさることながら、数日前から餅をついたり、、準備されるご馳走が楽しみでした、、、

お祭り当日は、親戚も集まりますが、、、

担任の先生を学校が終わったらお招きし、、、家族全員でもてなして、、、

先生と家族と子供が溶け合っていましたし、、、

担任でない先生も一緒に同席されて、、、学校と家族と子供が一つになっていましたね。。。。。


楽しく楽しくと、、、

2014-08-28 13:15:09 | Weblog

若く若くと、、、元気で元気でと、、、

呆けないように呆けないようにと、、、

毎日毎日、、、自分に言い聞かせて過ごしていても、、、

ふぅ~~っと、、、隙間風のように、、、不安が、、、焦燥感が、、、

こころをなでていくんですね。。。。。


昔の記憶の一コマ一コマと感想(昔を思い出すままに)その54

2014-08-28 08:35:30 | 昔の記憶の辺々・花の写真

中学校時代、、、

当時、ある小高い山の一角を造成して造られたような空地がありました、、、

ある子が、その空地の崖の土の中に、、、拳銃を発射した後の弾が、めり込んでいる、、、

と拾ってきた弾を見せてくれたので、、、

俺も俺もと友達とその空地に拾いに行き、、、崖の土を掘りながら弾を探していたら、、、

巡回中の白バイのお巡りさんに見つかり、、、こっ酷く叱られ、、、名前と学校名を聞かれて、、、

拾った弾は没収され、、、しょんぼり帰りました、、、

その場所は、、、署員の屋外射撃場として使われたことがあって、、、

崖がバックになってたので、弾がめり込んでたんですね、、、

朝礼の時、全校生徒の前に呼び出されて「警察署から連絡があった、、、」と、、、

大目玉くいましたね。。。。。


「こころを養う」その16

2014-08-27 15:28:13 | Weblog

「相手の心の痛みがわかる」という「こころ」

自分自身が、、、こころの痛む経験をしていないと、、、

中々同じ痛みを感じることは、難しいぃところがあるかもしれません、、、

ある話として、教授が苦学し苦労してなった助教授に娘を嫁がせた、、、

ところが、その助教授は自分ができたのだからと、、、同じ苦労を嫁いだ娘に強いたそうです、、、

教授は、苦労した苦労人だから苦労が解っていて、娘に苦労させず大切にしてくれるだろう、、、

と思ったから嫁がせたそうです、、、

「相手の心の痛みがわかる」ということは、、、相手のこころの痛みを感じて、、、

その痛みをやわらげてやったり、、、こころの痛むことは、取り除いたり、やらない、、、

という「こころ」ですょね。。。。。


昔の記憶の一コマ一コマと感想(昔を思い出すままに)その53

2014-08-27 08:27:06 | 昔の記憶の辺々・花の写真

昭和30年代、、、

昭和40年代、、、昭和50年代初め位まで、、、でしょうか、、、

外出するにも、、、戸締りなんてしてませんでしたね、、、戸は開けたままでした、、、

夜も、、、夏などは、開けたまま寝ていましたね、、、どこの家庭もそうでした、、、

「どろぼう」も発生はしていたんでしょうけど、、、

今は、鍵一つではダメ、屋上階で開けたままでもだめ、、、そんな世の中ですが、、、

当時は、平和な時代だったんですね、、、

隣近所の連帯が強かったんですね、、、誰かが見ている、、、

例えば、醤油探していたら、、、たまたま隣の人が来ていたとしたら、、、

「醤油だったら、そこじゃなくて、、そちらじゃないの」なんて、、、

隣の人の方が、自分の家のことをよく知っている、、、そんな時代だっですね。。。。。

 


まだまだ、、、と、、、

2014-08-26 13:42:08 | Weblog

歳を重ねても、、、若くその時のまま突き走れると、、、

そう思いながら、、、今完成していなくても、、、まだまだ先があると、、、

正直そう思いながら生きてきました、、、

ところが、ドッコイ、、、歳を重ねてみると、、、そうはいかないんですね、、、

闘える年齢の限度があることを、、、痛感しています、、、

意識はあっても、、、闘志やエネルギーやら、、、諸々が不足している、、、

歳は歳なりの、、、舞台が設けられているんですね。。。。。


昔の記憶の一コマ一コマと感想(昔を思い出すままに)その52

2014-08-26 09:03:24 | 昔の記憶の辺々・花の写真

小学校時代、、、

5年生か6年生の頃だったでしょうか、、、

「ドッジボール」という遊びがはやりました、、、

長方形の枠を描き、中央に線を引いて二つに区分します、、、

2チーム作り、1チームごとに別れてそれぞれの枠内に全員入り、、、

バスケットボール大の柔らかいゴムボールで、相手に投げて当てっこをする、、、

ボールを掴めず体に触れたら枠外に出る、ボールを掴んだ人は相手に投げることができる、、、

枠外に出た人も、、、枠外に飛び出したボールを拾った人が対戦相手に投げることができる、、、

チーム全員が枠外に早く出た方が負け、、、といった遊びでした、、、

当時はまだ、男は男だけのグループ、、、女は女だけのグループ、、、と別々に活動していて、、、

男女一緒に遊んだりすることってなかったんですね、、、

我々クラスは、そのドッジボール遊びを男女一緒になって、、、遊び始めたんです、、、

担任の先生は、喜んでいましたねぇ、、、「うちのクラスは、男女一緒に仲良く遊んでいる」と、、、

他の先生たちに自慢していましたね。。。。。

 


「こころを養う」その15

2014-08-25 12:30:54 | Weblog

「以心伝心」の「こころ」

仏教語ですか、、、禅宗の「ことば」でしょうか、、、

この前に書いたものと重複していますが、、、

やはり、、、小学校時代からですかね、、、上級生や、、、大人から、、、

「ことば」でなく、、、「こころ」と「こころ」で話せと、、、

よく言われましたね、、、

「男は、余計なことを言うな」とか、「俺が今何を思っているかわかるか」とか、、、

やってはみましたが、、、できてはいませんね、、、

結婚して、、、「無口だと、、、言葉で言われなければ、、、相手には伝わらない、、、」

と、、、「無口」が喧嘩の種でした、、、お蔭で、、、今や多弁になってしまいましたが。。。。。


昔の記憶の一コマ一コマと感想(昔を思い出すままに)その51

2014-08-25 08:27:59 | 昔の記憶の辺々・花の写真

小学生時代、、、

小遣い銭が、、、5円10円の時代で、それさえ貰うのに子供なりに苦労しましたね、、、

どう、、、小遣い銭を稼ぐか、、、考えてましたね、、、

牛の餌になる草を採ってきて、、、貰うとか、、、

その一つに、、、「ドングリ」を拾い集めて、、、買ってくれるお店があったので、、、

売りに行きましたね、、、

買ってくれるドングリの種類もあるのですが、、、ドングリにはドングリ虫がつくんです、、、

そのドングリ虫が、魚の釣り餌になるんですね、、、

ドングリの木を探して、結構遠くまで歩きましたね、、、

ところが、、、ドングリの木によっては、木汁というか蜜が出てるんです、、、

それに、、、カブトとか、クワガタとか、スズメバチもよるんです、、、

そのスズメバチに追いかけられて、、、辺りかまわず逃げたこともありました。。。。。

 


つれあいを、、、

2014-08-24 13:54:36 | Weblog

亡くすことの、、、何とも言えない、、、自分の中、、、について、、、

いろいろと、、、思いをめぐらしてきましたけど、、、

一つには、、、頼れる支えが、、、なくなったことでしょうか、、、

つれあいに言えないことも多々あっても、、、

つれあいに言えても、、、つれあい以外の人に話せることって、、、

そんなには、ないですよね、、、

言葉に出さずとも、、、つれあいが、頼れる支えなんですょね、、、

私は今更、、、遅いのですが。。。。。

 


昔の記憶の一コマ一コマと感想(昔を思い出すままに)その50

2014-08-24 09:15:46 | 昔の記憶の辺々・花の写真

昭和30年代、、、

まだ、、、物物交換が多かったんではないでしょうか、、、

実家は百姓(農家)でしたから、、、何か、いい野菜が植えてあって、自分ところにないもの、、、

お互いに、苗や種を譲合い、、、それを大切に育てて、、、増やしていましたね、、、

貴重だったのは、、、「お米」、、、では、なかったでしょうか、、、

「食糧管理法」でよかったと思いますが、法律があって、、、

今のように、お米は自由に流通できなかったですからね、、、昭和40年代まで位は、、、

「米穀通帳」が市役所から渡されて、、、その通帳をもってお米屋さんへ行かないと、、、

お米を売ってくれなかったですからね、、、

実家からお米を堂々と「お米」と書いて宅配できなかったですし、中身が「お米」と判れば、、、

法律違反でしたからね、、、

お葬式のお香典に「お米」をもってくる人も多かったし、、、

「お米」で売ってくれるものもありましたね。。。。。

 

 


「こころを養う」その14

2014-08-23 18:40:47 | Weblog

「言った言葉に責任をもて」という「こころ」

小学生頃からですよね、、、上級生や大人たちに、、、

「言葉は記号じゃ、、、ダメだ、、、言ったことは必ずやり通せ、、、出来ないなら、、、言うな」、、、

ことあるごとに、、、叱られ、、、指導を受けましたね、、、

時代劇に登場する侍たちも、、、「武士に二言はない」と言ったことには、、、嘘はなく、、、

命を懸けてやり通してましたね、、、

例え、、、劇だとしても、、、サムライ世界は、、、それに近い世界だったのではないでしょうか、、、

今の世の中、、、なんと言葉に重みのないことでしょう、、、

単に言葉という記号にしか過ぎないなと、、、感じずにはいられないこともありますょね。。。。。

 

 


昔の記憶の一コマ一コマと感想(昔を思い出すままに)その49

2014-08-23 09:00:47 | 昔の記憶の辺々・花の写真

小学校時代、、、

ロケット遊びをしましたね、、、キャップロケットといいますか、、、

鉛筆のキャップに、、、下敷きのチップやマッチを入れて、、、打ち上げましたね、、、

これまた結構、、、飛ぶんですよね、、、

これもまた、何が飛ぶかと、工夫しましてね、、、傘の先を適当なとこで切断して、、、

飛ばしてみたりしました、、、

半円を描くように流れる川の土手の堤防が遊び場の一つだったんですが、、、

対岸に別れ、、、お互いの陣地に向けて、、、ロケットの飛ばしっこをしましたね、、、

ある時、そこへ村の駐在のお巡さんがやってきて、、、注意されちゃいました。。。。。


気の、、、ありようといものは、、、

2014-08-22 17:56:25 | Weblog

一所在住することは、、、ないものなんですね、、、

雲の如く、、、とどまることなく流れ、、、自在に形を変え、、、

消えては生まれ、、、生まれては消え、、、

片時も定まる色もなく、、、自由に色をなし、、、

ひとは、、、気の気まぐれに翻弄されし、、、生涯なのでしょうか。。。。。