人生道場

お互いに悩みや考えを述べ合い、それぞれの人生の糧にしませんか。

考えても考えても・・・

2004-12-25 05:13:24 | Weblog
現在の国家財政に誘導したのは、いった誰なのか。
いったい誰が国の財政を食ったのか。
公務員の人数は適性なのか。

我々、国民一人一人が自分のこととして考えなければ
ならないのではないだろか。
半世紀以上に渡って一政党に国政を委ねてきたのは
果たして正解なのだろうか。
半世紀以上も国政を担えば、目を瞑っても国政が解るのは
当然ではないのだろうか。だから、これから先も
その政党でなければ国政は担えないのか。
この国家財政の赤字を作り出したの長年の与党政府では
ないのか。
国民ひとりひとりがそれぞれの賢明な判断でこれからの
国のあり方を考えていくべきではないだろうか。

妻との闘争(その11)<幸せな夫婦を目指して>

2004-12-24 05:14:50 | Weblog
夫婦の間において全てが理解して貰えない程、辛いものはない。
全てというのは、少しオーバーかもしれないが、しかし、それに
近いのである。
幾ら「そうではない」「そんなつもりない」と言っても、
自分が思いもしてない方向にもっていかれる程、我慢がならぬものは
なかった。特に若い頃はそうであった。
例えば、「そうなんだぁ~」或いは「・・・・・・」でもあれば、
多少救われ、口論に発展することもなく済んだと思う。

ある夜勤明けで帰宅して、夜勤で一睡も出来てなくて辛く、
そのまま寝込んでしまった。
お昼近くに身重の妻が病院へ診察を受けに行くのに車に乗せて連れて
いってと起こされたが、流石に起きれず、タクシーを呼んで
タクシーで行ってくれと頼んだところ、カンカンに怒って出かけて
いった。
そのことは、未だに事あるごとに「寝てて車で送ってくれなかった」
と不満としてぶつけられる。

私は私で、その日は忙しくて一睡もできずクタクタで起きれなかった
んだ、なのに何故そのことを理解してくれない。
何も、タクシーを自宅前まで呼んでタクシーで行ってくれてもいいでは
ないのかと私のことを理解してくれない妻への不満として残った。

私の国家像(その1)

2004-12-22 18:43:06 | Weblog
普段、自分の生活もままならず、自分のことだけで精一杯な
状態の中で政府や国のあり方に不満が時々あったとしても、
自分の頭のハエさへ払うのにままならぬ者が、国家像と
いきなり考えてもハッキリとこうだと浮かんでくるはずも
ない。
しかし、自分なりに自分の国家像を考えてみるのも、
面白く楽しいぃかと思い、試みることにした。

私が、中学生になったか、ならぬ頃にベトナム戦争が始まり、
中学の卒業の日だったか、学校近くに住まわれていた先生宅に
数人で押しかけ、ご馳走になりながら在学3年間の回想や
将来の夢を語らいながら、その中で、先生の「ベトナム戦争を
どう思う」との質問にそれぞれが思い思いに答えていたのが
未だに忘れられない。

特に昭和30年代は映画の時代で、色々なものが上映されて
いたが、戦争に関する映画がかなりあったような気がする。
戦艦・駆逐艦、潜水艦、ゼロ戦、大陸(満州、馬賊、満鉄)
喜劇的2等兵物語から特攻まで様々なものが描かれて、
いたように思う。
私は、戦争に関する映画が好きで好んで見ていた。
何故好きか、残虐性が好きというのではない。
作られたドラマであっても、人間の全てが凝縮されているから
好きなのである。
人間の「生」「死」「残虐性」「愛」「情」「嘘」「希望」
「絶望」「恨み」「嫉み」「忍」「笑」など等あらゆるものが
現され、見ながら怒り、涙したものである。

そん中で10代の自分の心に思いが強く刻まれたのです。
「太平洋に、大陸に、北方或いは南方の島々において若き命を
この国為に捧げられた多くの御魂の上にこの平和な日本が
あるのだ、多くの御魂の願いが込められているのだ。
その御魂に自分は答えて行かなければならない、その為に
生まれてきたんだ」と。
そんな大それた一人善がりの考えを持ちながら、多くの御魂に
未だに何等答えてはいませんが。

妻との闘争(その10)<幸せな夫婦を目指して>

2004-12-21 05:52:02 | Weblog
酒と言えば、どうしても次に来る言葉が「女」である。
「酒と女」切り離せない言葉らしいぃ。
私は、20歳頃には「酒は女で飲むものではない」と気取っていた。
だから、赤提灯を好み、男同士の酒の汲み合いを好んだ。
例え、バー、クラブ、キャバレーに行っても、楽しく飲んで騒げば
それだけでよかった。
兎も角、オジン的考えが強く、古典的考えに憧れていた。
思えば今の方が若いのではないだろうか。

そんな男の気持ちが妻に解ろうはずもなく、毎日毎日飲み歩き、
午前様ともなれば、女が目当てで飲みに通っていると疑うのも
自然のことかもしれない。
しかし、毎日毎日「女女女・・・・・・」と言われつづければ、
飲む目的が違うのに、言われ、説明しても理解して貰えず、
当時は若さも手伝って、「何故解ってもらえぬ」と爆発もし、
爆発すれば、妻は更に疑い、納まるところがなかった。

そんなことが続けば、男は魔が挿すこともある。
そんなに言われるのなら、言っても解って貰えないのなら、
女の一人も口説いてみるか、とモテもせぬのに思ったりも
するのである。そして、それを妻の所為にして自分を納得
させることもある。

妻との闘争(その9)<幸せな夫婦を目指して>

2004-12-17 05:53:06 | Weblog
私は、特に独身時代はサムライに憧れ、侍を気取っていた。
今の時代、ちょんまげを結ったサムライはいないが、
心は侍であっていいのではないか、例え水のみ百姓で、
あっても心はサムライと気取っていた。
同僚先輩から唯一度、「さむらい」と呼ばれたことがある。
その時の嬉しさは未だに忘れられない。
その先輩もまた、サムライだった。

そんな時代の中での結婚だった。結婚して間がないころの
ある深夜、独身時代に食事をご馳走になったり、色々と
お世話になり、可愛がっていただいたお宅のお嬢さんから
電話が入り、「事故起こしてしまった。現場に来て欲しい」
とのことであった。私は、一つ返事で「直ぐに行くから、
待ってて」と答えた。
ところが、それに妻が猛反対、一緒に行こうと言っても
ガンとして首を振らない。口論から大喧嘩に発展し、
とうとう、私は飛んで行けず、思いを断念しなければなら
なかった。

妻と結婚する前にそのお嬢さんを私が好きだったことを
妻が知っていたので、妻の気持ちが解らぬではなかった。
しかし、それは独身時代の妻と知り合う前のこと。
それよりもお世話になった方々への気持ちが強く、
その方の一人が困って電話をしてきてくれたことに対して、
如何なることがあっても飛んで行くのが、私の義である、
と強く考えていたし、少しでも世話になった恩をお返し
するのもこの時と考えていたので、止める妻に対しては
「何故、男の気持ちを解ってくれない」
と断腸の思いをぶつけたが、どうしても解ってもらえなかった。
その口論の最中に
「受けた恩は孫會孫の代まで返す」と言い切った。
その言葉は今にも忘れてはいないが、残念ながらご両親が
他界された今もその恩に報いることなく時が過ぎている。

このことは妻への許せぬことの一つとして、つい最近まで
しこりとして残っていた。

増税を許容するのか。<我々一人ひとりの力を自覚しよう>

2004-12-16 17:51:39 | Weblog
「これ以上、このままでは国は成り立たないから増税已む無し」
の言葉を聞けば、誰もが頷くのかも知れない。
しかし、成り立たなくなったのは、どうしてかである。
国政に係わる人々の自己責任は如何になるのか。
どう見ても、私には国に係わる人々が、国が立ち行かなくなく
なったからと、自らその改善に痛みを感じているようには
思えないのである。
個人だって、収入以上の出費を借金で賄ったら、何れ破産せざる
得なくなる。そんな時、どういう指導が成されるかである。
おそらく、出費を早く抑え、収入の中で少しでも余裕を作りなさいと、
誰もが言うだろうし、そう思うことだろう。
出費の抑えが甘くて、収入を増やすことに力が入れられることも
一つの方法かも知れないが、それが増税ともなでば、
ああそうですかと、スンナリと許容でるものだろうか。

我々、一人一人の力は僅かでもそれぞれが、シッカリと自分のことと
して捉えて、その自覚を持つことによって、何時かは大きな力と
なり、よりよい国づくりができるのではないだろうか。

妻との闘争(その8)<幸せな夫婦を目指して>

2004-12-15 11:19:33 | Weblog
「酒を飲む」ことについては、現在もそうであるが、戦い
続けている。しかし、結婚当初は凄まじかった。
独身気分のままひた走りしている自分に加え、
「酒を飲めない者は仕事ができぬ」
「酒を飲むのは仕事のうち」
と決めていたこともある。
酒を飲みながら仕事を教わり、上司と部下、先輩後輩、
同僚仲間のそれぞれの絆が強まることに一面喜びを
感じていた。当然、毎日のように飲み、電話がくれば
出かけ、飲めば午前様。
それを妻が許せる訳もないのだが・・・。
仕事と絡めてる私にとって、妻の言うことに歩み寄ることは
できることではなかった。
妻に言わせれば「飲むなとは言わない。しかし、時には
早く帰って、一緒に食事もし、ゆっくりして欲しい」
ということだが、
私にしてみれば、「それはわからぬではない。酒を飲む
ことは遊びではない。仕事のうちなのだ。飲むのも
仕事なんだと」
互いの思いは、溶け合うことなく戦い続けた。

しかし、何時の間にか、最近は酒を飲みに出ることは、
殆どなくなったが、未だに飲みに出るに当たっては、
妻の顔色を覗く自分が、何処かにいる。
そして、もっと自由に色んな人と酒を酌み交わし、
時間を気にせず、妻を気にせずに語らいたい、と願う
自分がいる。

妻との闘争(その7)<幸せな夫婦を目指して>

2004-12-14 11:46:52 | Weblog
妻との最初のデイトは11月だったか、寒い朝だった。
震えながらマイカーを洗車して、彼女を迎えに行き、富士急ハイランド
へ出かけた。出かける時は晴天だった。途中から帰宅するまでの間に
曇り、雨、みぞれ、雪、濃霧の全ての天候を味わった。
何か、我々の将来に暗示させられるものを感じなくもなかった。
そのときは、ふっと頭を過ぎった程度だった。
結果論であるが、程度の差こそあれ、波乱に満ちた夫婦となった。

間もなく正月がやってくるが、毎年、正月から喧嘩であった。
その原因は、はっきりとした記憶はないが、「お金が足りない」
「新年の挨拶回りに一緒に行かない」「寝てばかり」
「飲んでばかり」「何処にも行かない」
そんなことだったような気がする。
田舎者の私は、正月は静かに過すものと子供の頃からそう思って
いたが、当時もそれからつい最近まで3度は我慢できたが、
それ以上になると我慢できなくなって、怒りが爆発した。
「やめろ」と言ってやめてくれれば、それ以上は何も無くて
済むのだが、妻は妻で火がつくと納まるところがない。
延々と怒鳴り合いが続くのである。

確かに、喧嘩は必要かもしれないが、余りすべきものではない、と
感じた。それぞれの心に不満が蓄積していき、何れそれが
二人の間に思わしくない火種となることもありえるからだ。

イラク自衛隊派遣延長決定に思う

2004-12-13 20:01:09 | Weblog
イラクへの自衛隊派遣についての是非については、色んな
考えがあると思う。派遣の必要性も解らぬでもない。
自衛隊派遣のあり方、派遣期間、何故に自衛隊でなければ
ならないのか。
考え検討すべきことは幾らでもあるのではなかろうか。

1年の節目を迎えて、自衛隊のイラク派遣のあり方に
ついて、検討するのに良い機会ではなかったか。
当然、決定するのは政府であっても、国民にもそのことを
よく考えさせてくれてもいいのではなかったのでは
ないだろうか。何故なら、テロのリスクを受けるのは
政府だけではないからだ。国民にそのリスクは係ってくる
わけだし。まして、今までの人質事件等をみても、
政府が我々国民を完全に守れるとは考えられないからだ。

なのに、初めから延長ありきで、議論もなく、説明も
左程ないまま、政府与党で決定されている。
我々国民はこのプロセスを許していいのだろうか。
国民一人一人が、このことをシッカリと見守りチェックし、
忘れることなく、今後の国のあり方について考えておく
必要があるのではないだろうか。
そして、国政の選択に迫られた時、今までのように
国を食いつぶすのではなく、未来を展望した国づくりの
選択をしたいものである。

妻との闘争(その6)<幸せな夫婦を目指して>

2004-12-12 06:56:29 | Weblog
私と妻は、対角線の端と端にいるようで、考えが正反対の面が
多いようである。
その点、良き反面教師とさせてもらってはいるが、辛い面も
多い。
私は、田舎物でもあるし、考え的には、言葉で話すことより
言葉にしないで相手に伝えることに興味をもっているし、
そうありたいと願っていた。だから無口である。
ところが、妻は違った。言葉に出して言わなければ、自分の
思いや考えは相手には伝わらないんだ、との考えである。
確かに、そのとおりである。しかし、私は、言葉で伝えるのは
まだまだ未熟、言葉に出さずして伝えたり、相手の思いや
考えを悟らなければダメだとする考えが強かった。

その為に、結婚当初、無口が喧嘩の原因になり、随分と長く
喧嘩が絶えなかった。
「返事がない」「返事が遅い」「言わなきゃ解らない」と。
お陰様で、妻に鍛えられ、喧嘩したくなくて、無口が多弁に
変わった。元々自分が持っていたものかも知れない。
それを妻が引き出してくれたのかもしれない。
しかし、余計なことも口から飛び出し、最近は元の無口に戻る
努力を始めたところである。

妻との闘争(その5)<幸せな夫婦を目指して>

2004-12-10 19:14:52 | Weblog
妻との闘争が結婚と同時に、いきなり始まったわけではない。
最初は、靴下も履かせてもらい、殿様気分にさせてもらった。
色んな小さなことなど等が積み重なって闘争が始まったので
ある。
独身で世間のことなど全く知らず、益してや、女の気持ちなど
残念ながら解るはずもない。ただただ、自分の思いだけで
突き走り、駆け引きもなく、勿論女房教育など考えも
及ばなかった。今に思えば、もう少し教育しておけばと、
思わないでもない、しかし、それはお互い様かもしれない。

そんな中で、私の金銭感覚が足りず、小遣いを使い放題で、
妻から金が足りないと催促されれば、サラリーマンで
決まった給料しかなく、それ以上どうすればいいのだ、
どうしろと言うのだ、決まった給料で遣り繰りするのが
妻の役目ではないかと、私は私で不満を持ち、
卵一つを分け合って食べる食事も何度となくあり、
妻は妻で、やり切れなく。
互いに金のないことで延々と喧嘩の絶える日はなかった。

妻との闘争(その4)<幸せな夫婦を目指して>

2004-12-08 13:44:38 | Weblog
結婚しても、独身の気持ちのままひた走りしていたと思われる
ことに幾つか、思い出される。
その一つに「お酒を飲む」ことがあった。
アフター5が近づいてくると、「どうだぁ~、一杯」
「行こうかァ~」と一つ返事で決まり、職場から自宅へ直行
する日は少なかった。

酔って帰宅すると、電気は真っ暗、妻は不貞寝。
開口一番「夕飯の支度して待っていたのにぃ。電話の一つ
してもいいのだはないの」「仕度が無駄になった」とカンカン。
次の日、悪いと思い、妻に言われたとおりに、「今日は飲んで
帰るから」と電話を入れると「・・・・・」ガチャンと電話を
切られ、「何だよ、電話を入れろと言うから、電話したのに」と
私の中に不満が渦巻く。
また次の日に飲みにいくのに、自宅に電話しようか、しまいか、と
ためらいが生じる。電話してもまた嫌な思いをするし、と
電話をせずに午前様ともなれば、妻の怒りの炎はまた更に燃え盛る。
そんな繰り返しが、互いに不満の種を成長させていく。

この時の私の不満は、電話しろと言うから電話したではないか、
なのに何故、応対が悪いのだ。電話しても文句言われ、
電話しなくても文句言われるのなら、嫌な思いは一度でいい、
電話せずに飲んで帰ってから文句言われる方がいいと、
その後は電話せずじまいに終わったが、帰宅のたびに喧嘩の日々
だった。

ブログ投稿100ページを迎えて

2004-12-07 12:30:05 | Weblog
友達に紹介されて、投稿を始めて3月くらいになりましょうか。
最初は、投稿することがあるだろうか、と自信もなく。
目標としては、毎日1ページ、を念頭において投稿することと
しましたが、これまた難しく、未だ達成できていません。
これからも難しいぃ、かなとの見通しです。

しかし、内容は支離滅裂、あっち飛び、こっち飛びしながらも
何とか、100ページの投稿ができたかと思うと、
「よく書けたなぁぁ」と自己満足の境地です。

これからも目標200ページを目指して頑張りたい、と
思っています。そんなに書くネタがあるかと不安に思いながらも。

妻との闘争(その3)<幸せな夫婦を目指して>

2004-12-06 04:57:12 | Weblog
その当時は、相手の悪い点だけを強調していたが、
振り返ってみれば、片方の問題でだけではなく、
当然、私にもその原因があるわけで、ただ、卵と
鶏に似たどちらが先かのところはあるが。

一緒に暮らし始めた頃、まだ、独身当時の考えや
行動がそのまま継続していて、結婚の喜びはあっても
妻への気遣いは多いに不足してた気がする。
今もまだ、満足をさせてやれていないことからして、
当時は、妻にとっては全てが不満だったのかもしれない。
妻の、いや女の気持ちを全くといっていいほど理解
していなかったようである。
「妻とはこうあるべきもの」と、「べき論」で
ただただ、突き走るだけだった。
その考えは、つい先ごろまで強く、最近その考えは
無くなってはいないが、和らいできた気がする。

妻との闘争(その2)<幸せな夫婦を目指して>

2004-12-05 17:02:49 | Weblog
私の人生の大半は妻との戦いの明け暮れであった。
妻との闘争と同じ位に仕事に打ち込んでみたい、と思った
こともある。
しかし、今、つい先ごろまでは妻への憎しみの炎が
赤々と燃えていたし、また妻も同様に憎しみの炎の塊で
あった、が、思い起こすに色褪せ始めているのである。

一緒に住み始めた頃だったか、同僚が彼女を連れて、
自家用車でドライブに誘いに来てくれた。
妻に一緒に行こうと誘ったが頑として行かないと拒否され、
そのやりとりで、同僚を待たせた挙句、私一人が後部座席に
乗り込み、3人で出かけた。
寂しいものである。その時、確かに妻は妻の考えがあり、
行きたくなかったんだろう、しかし、私のことや同僚への
気遣いがあれば、例え、そんな気持ちであっても、
自分を抑えて一緒に来るべき、と考えた。

妻との闘争の予兆でもあった。