人生道場

お互いに悩みや考えを述べ合い、それぞれの人生の糧にしませんか。

ひとりぼっちじゃない(命の大切さを知る)

2004-10-15 06:07:59 | Weblog
「人は生まれる時もひとり、死ぬ時もひとり」と言われ、
よく耳にする言葉である。

私もそう思っていた。確かに、その一面をもっていると思う。
如何に集団で自殺をなさったとしても所詮は一人なのだと。

私は、最近、いやそうではないのではなかと、考えるようになった。
確かにこの世に生まれ出るときは、真っ裸でひとりである。
しかし、視点を変えてみると、ひとりの自分がこの世に命を与えてもらうのに
母を始めとして、母を支えてくれた人々、父、先祖、先生他等々の
多くの人達が係わり、祝福してくれているわけである。

「死」も又そうである。確かに生きている自分の機能を停止するのは
、自分ただひとりである。
しかし、生前自分に係わる多くの人が悲しみ、見ず知らずの人も含めて
多くの人の手によって見送られるわけである。

このことを考えると、自分ひとりが生きるのに見える手、見えない手、
如何に多くの手に支えられていることか。
決して一人ではないし、多くの人たちに支えられている命、
大切にしたいものである。

誰のために死ぬのか。(より良く生きるために)

2004-10-14 05:51:41 | Weblog
生きることこそ、大切なのであるが。
もし、「死ぬ」として、「誰のために死ぬのか」を自問自答する人は
どれ位おられるものだろうか。
勿論多くは、誰の為に死ぬ、など考えが及ばないものと思う。
自然死の場合は否応なし、であろう。
しかし、自殺をなさる方は、何を思い考えて大切な命を絶たれるので
あろうか。確かに理由は様々であり、命より重たいものと思う。

しかし、与えられた命、確かに自分の命、だからとて身勝手にその命を
絶ってもいいものだろうか。
もし、どうしても死を選択せざるをえないとするならば、
それは人のための死であるべきではなかろうか。
人のために死ぬ場所が得られなければ、生き抜かねばならないのでは、
ないだろうか。それがこの世に命を与えられた者としての責任では
ないかと思わずにはいられないのである。
生き抜いてこその人生であり、いずれ大なり小なりの幸せは訪れのである。

集団自殺に思う(「生」を大切に、死して花実は咲かない)

2004-10-13 13:54:01 | Weblog
昨日、集団自殺のことが報道されていた。みなさん、若い、残念なことである。
当然、ご本人達にはそれぞれ其れなりの理由のあることだろう。ご冥福を祈りたい。

しかし、まだ、生きてる我々は、もっと真剣に「生きること」「死ぬこと」について
考えるべきではないのだろうか。我も人もそれぞれの「命の大切さ」を考えるべき
ではないのだろうか。

「死にたい」「今死ねたらどんなにか楽だろう」と私も思ったことは1度や2度では
ない。そう思ったり、頭を過ぎった人は沢山おいでになるのではないだろうか。
しかし、縁を受けてこの世に「生」を受けた以上、好む好まざるに係わらず、
我々は「生きる義務」を負っているのではないのだろうか。
例え、今が暗闇であっても、生涯暗闇ではないはずである。必ずや夜明けは来るはず、
である。それを信じて日々を生きることこそ大切ではないだろうか。
若くて死するは国家的損失である。
この世に生きてこそ花実は咲いても、決して死んで花実は咲かないのである。
「若き人よ、若き命を散らすことなかれ」、そう願わずにはいられない。
亡くなった方々のご冥福を新めてお祈り申し上げます。

これでいいのだろうか

2004-10-12 04:52:41 | Weblog
私達には「権利」がある。「権利」が与えられている。
誰もが、そう教えられ知っている。そして、その権利を主張しなければ損であるとも。
それら「権利」は、大きな声で叫ばれ、主張されている。

しかし、その権利は、我々自らが守り、乱用してはならず、公共の福祉を守るためには
制限されることもあり得ることなどは、聞こえない位の小さな声でしか、叫ばれていない
のではないだろうか。
「権利」が与えられているのと同じ位に「義務」も与えられているわけであるが、
そのことは、大きな声で叫ばれていないのではないだろうか。

私は、戦後教育で「権利」を教え込まれた方なので、戦前の教育は知らないけれど。
昔は、今とは逆に「義務」だけが大きな声で叫ばれ、「権利」は形を潜めていたのでは
ないのだろうか。

これからの時代、益々お互いが権利を主張仕合い、ギクシャクさを感じることが
多くなることと思われるけれども、我々は「権利」の主張だけでなく、「義務」をも
大きな声で叫び、「権利と義務のバランス」を図る必要はないのだろうか。

「愛の炎」

2004-10-11 04:41:13 | Weblog
私は、「愛の炎」をよく「ロウソクの炎」に例えている。
「ロウソクの炎」を思い浮かべて欲しいぃ。
ロウソクに火を点けると先ず真っ赤、とは言わないまでもオレンジ色の
赤い炎である。そして、しばらくすると青い炎に変わり、やがて透明の炎となる。
しかし、この炎は、オレンジから透き通った青白い炎に変わっても炎は炎である。

「愛の炎」についても、最初は真っ赤に燃え盛る愛の炎であっても、やがて、
あれほど真っ赤に燃え盛った愛の炎も色褪せてくる。
この色褪せた時に、お互いが心変わりしたと思い悩むのではないだろうか。
真っ赤に燃え盛る愛の炎をそのまま生涯維持することは至難であり、
全くと言っていいほどできないことではないだろうか。

「愛の炎」が色褪せたとしても、「ロウソクの炎」のごとく、「愛は愛」なのである。
もし、愛がなくなったんだと悩むことがあるとしたら、
「愛の炎」の色が変わっただけであって、「愛は愛」なのであることを信じ、
お互いがそれに悩むことなく、愛を育てることこそ大切ではないだろうか。

男も女も色々

2004-10-10 04:56:20 | Weblog
「人生いろいろ」の歌の文句ではないけれど、最近、お互いに男も女も
それぞれに違うのだぁ、と考えるようになった。

一時期は、男は所詮男、女も所詮は女、とそんなに変わるものではない、
と考えていた。でなければ結婚の繰り返しはないはず、と考えたからだ。

しかし、育った環境等々を考えるとそれぞれ微妙に違っているはずである。

男として、女として、大きく思い考えることは差して変わりのないところ
だと思うが、やはり、それぞれに違っている訳で、そこに希望を感じるのである。

みんなの子供

2004-10-09 16:11:20 | Weblog
子供の頃を思い出すと、先ず貧乏だったことだ。皆が貧乏だった。
麦飯で白い米粒が少なく、徐々に麦から白米に変わっていった。
しかし、みんな伸び伸びと元気で力溢れていたように思う。

そして当時、子供は誰々の子供というより、みんなの子供では
なかったのではないだろうか。
我々が悪戯すれば、大人達は分け隔てなく、臆することなく
子供達を叱り付けた。子供達の将来を夢見て、国や社会の為に役立つ
大人になれよと。叱られては泣いた。

そんな時代に育った大人達は、私を含め、そんな時代を忘れてしまった
のだろうか。
今の時代を見て見ぬ振りをして、それぞれの人生を終えていかれるのだろうか。
自分の責任ではないと思いながら。
今の親達は、今の大人達は、子供の権利を高らかに叫びながら、果たして、
親として、大人として押さえるべきを押さえているのだろうか。
押さえるべきを押さえられずして、子供の権利を叫ぶは、口だけにして
ただ、子供を放任してるに過ぎないのではないだろうか。


男と女は平等になり得るのか。

2004-10-08 13:49:29 | Weblog
男と女は平等なのだろうか。
確かに男も「人間」、女も「人間」である。お互いに「人間」としては
平等である。
人としては平等である。しかし、「男」と「女」と言った時点で全てが
平等とはなり得ないのではないだろうか。
「男と女」と言えば字も違うとおり、形も機能も違う。
そして、「男の役割と責任、女の役割と責任」を互いに持っているのでは
ないのだろうか。
昔はそれがはっきりと区別されていた。そのため女を抑圧していたところも
あったと思う。しかし、現在よく耳にする言葉の中に「男だから何、女だから
何、男も女も一緒じゃない」がある。
女の権利が叫ばれ、女がより男らしく、男はより女らしく家庭に目を向けろ、と
果たして、これでいいのだろうか。
男の役割と責任は何か、女の役割と責任は何かをはっきりと互いが自覚し、
お互いが立場を尊重仕合い、一家を、社会を、そして国家を形成していかなけ
ればならないのではないのだろうか。


夢多き子供

2004-10-05 05:58:53 | Weblog
昔は、貧乏だった。殆ど皆が貧乏だった。
靴は穴があき親指が外を覗き、ズボンも上着も継ぎはぎだらけ。
新しい服は、正月の新年を迎える時だけ買って貰えた。
その新しいものを着て親に連れられて初詣に出かけた。
正月が待ち遠しく、嬉しかった。

今のように新しくても捨てて仕舞うような時代ではなかった。
もう着れなくなるまで着古し、其の後は雑巾になった。
物を嫌がおうにも大切にしなければならなかった。

しかし、そんな時代ではあったけれど、時の流れは緩やかで、
夢をもち、生々として、おおらかに心豊かに生きていたと思う。

大丈夫か。自分は被害者にはならないか。(オレオレ詐欺に思う)

2004-10-04 16:34:26 | Weblog
「オレオレ詐欺」の原型は、昔から時々発生し、社会面や三面記事に掲載報道
されていた。詐欺というよりは恐喝婦女暴行が主である。

被害に遭ってない私を含め多くの人は「私は大丈夫」と思っておられるのでは
ないでしょうか。しかし、ほんとうに被害者にならずに済むでしょうか。

突然、電話が鳴り、「○○さんですね、警察ですがご主人が事故に遭われて
病院へ、直ぐにきて下さい」との電話の声に、あなたは鼻からそれは嘘、と
判断できますか。これは「オレおれ、・・・」とは違いますが、類似してる
のでほぼ心理的には同じ状況におかれることでしょう。

咄嗟の判断機転が要求されるこの種の事案に対しての予防意識として、
「オレは、私は大丈夫、その時がきたらそんなもの信じないから・・」だけで
果たして大丈夫なのでしょうか。私は、それだけでは不十分であると考えます。

やはり、万が一の際の家族的連絡方法の確立。更には、時々、そのような場面に
自らが遭遇した時を想定し、どのように予防するか、其の真偽を確かめるか、を
シュミレーションしておくことが大切ではないでしょうか。


引き出し合う二人【幸せな生活をおくるために】

2004-10-03 12:30:30 | Weblog
私は、こんな性格ではなかった。もっと・・・・だったのにぃ、と思うことはないだろうか。

人は、能力性格等含めあらゆるものもっていると思っています。
例えば、ひとりの人を見る目も色んな味方があります。それは確かに見る側の見方の違いも
あるのかもしれません。しかし、そうであっても、同じ人を見た評価なのです。

そのことから考えると、人は表にあまり出ていない性格性質をもっていて、傍にいる人に
合わせてそれが出てくるのではないのだろうか、ということです。

特に、夫婦は毎日の暮らしの中でお互いが性格性質を引き出しあい、その中には自分は
こんな性格ではなかった、というものあるのではないでしょうか。
しかし、こんな性格も自分であり、奥に仕舞われていたものを引き出してくれた、
と考えられるのではないでしょうか。

そうであれば、お互いにマイナス的な引き出し合いではなく、プラス的な引き出し合いを
したいものである。それが、互いが選択する相手によるものなら、よくよく検討したい
ものである。

子供を育てるに当たっての反省

2004-10-02 22:18:34 | Weblog
色々ある反省の中で、これは失敗ではなかったか、と思うことがある。
それは、子供部屋を与えるということである。
反省は、与えるべきではなかったのではないか、ということである。
ある程度までは、親と一緒に寝ることがよかったのではないのか、ということである。
私は子供のころに自分の部屋が欲しくて親に強請ったものである。
それがあるため、我が子には子供部屋をと思い狭い家ながらも寝る部屋を
小学4年生位で別々にした。
確かに自立面ではある程度はいい面もあるのかもしれない。
しかし、現在、親への情の面で薄い感じを受ける。
これは、その子の性格かもしれない。
しかし、もう少し親と共に寝起きを共にしていれば、と思うのである。
知り合いの子はやはりある程度親と一緒に寝ていて、大人になった時、
中々、親子の情の面においても良さを感じるのである。

結婚生活の難しさ(幸せな生活をおくるために)

2004-10-01 21:16:30 | Weblog
バラ色の生活を夢にみてた結婚生活。最初は、確かにバラ色に輝いていた。
ところが、ある日突然急変し、これが「結婚生活かと」悩み始めた。

何故、このように変わったのか、振り返り反省してみると。
先ず、お互いのわがまま。
男は、楽になり、外で思うがままに振る舞い、愛する妻に寂しさを感じさせ、
楽な生活をさせようと仕事仕事、家庭は明日への憩いの場となり、
妻への気遣いが薄れ、妻の不満を増大させてしまう。
我慢の限界を超えた妻の逆襲が始まる。
男は慌て、その原因さへ掴めず、日常生活に変わるところはない。
妻の不満は益々募り、更なる逆襲がつづく。
その理由さへ掴めぬ男は、今度は逆にそんな妻に不満を抱く。
それからというもの、お互いに不満のぶつけ合いとなり、留まるところなく
続いていく。

男は、仕事を大切にしながらも妻をいたわり、気遣い、大切にしなければならない。
妻あっての男だから、と今は、そう思わずにはいられない。