戒厳令の発令を躍起する人たちがいる。
軍を動かす実力行使と言うことになるのだろう。法の限界はある。法も結局は人が作ったもの、100%完璧ではないわけなので、真実が曲げられてきた過去もあった。
法は時に無慈悲である。
法は人の上にはない、法が人の上に来る時は共産化された時だ。
また、法は常に真実を明らかにもしない。
もし、自分の主張する真実が通らない時は、取る手段は二つしかない。黙って法の前に屈するか、実力行使に出るか…。どう判断するか、満を持して決断する時がくる。
それが、来週なのか、来年なのか、バイデン氏の就任後と言う事になるのか。
重要な事は、常に善を行使する事だ。それが、天運を味方につける秘訣なのだと、信じたい。神の仕業は人為の及ぶところではないので、心を尽くし、人為を尽くし、真を尽くして、やり切った先に与えられる、驚くような結果があるのが常ではないか。
思わぬ方向から、新たな展開があったりするではないか。
それは、平成ウルトラマンのクライマックスシーンでよく見られる、人の心の良心や思いが束になり、目に見えない力となり、ヒーローを助けるのと似ている。民意の力だ。
満を持す時が、今か、それとも、来年なのか、もしくはもっと先の4年後なのか…。
今は、すべての結果を受け入れながら、満を持し、真実があからさまにされる時が必ず来ることを信じて疑わない。
どの様な結果になろうとも、その先に真実が明らかにされる時が必ずある。私の考える真実が真実なのか、あるいは、そうではなかったのか…。マスコミに操作されていたのか、そうでなかったのか。真実が何だったのか。