感動は命の肥し

曇りなき眼で、物事を見つめるなら必ずや真実を見極めることができる。覚醒の時を生きた記録として。

トランプ大統領の真実の姿

2021-01-18 | 2020年アメリカ大統領選挙
今日は1月17日日曜日。天気がいい。色々と思っている。
先週のテキサスの国境の壁前での寅さんの演説についてだ。

それまで、寅さんを擁護して希望を失わずに来た保守系ユーチューバーの方々が、いよいよこれでおしまいかなと、結論を出したのはこの演説が契機であったようだ。私も見たが、気になったことは、何点かある。

”法の執行機関”に言及する箇所が全体のスピーチの中で、割合が多かったように感じた。ローエンフォースメントと言う言葉を何回も語られたのが、気になった。

とてもお疲れの様に感じた。勝利のガッツポーズがなかったと言う指摘を多くの方がされている。この日の演説の主題が別だからであろうと、私は思ったので、特に、不正選挙に対する話がなかったのは、不思議ではなかった。寅さんの個人的な演説の場ではなかったからだ。
事前にメディアに広報があり、この日に演説するよと伝えている。わざわざ、伝えている。取材に来たのは、保守系のチャンネルだけなので、マスゴミはライブで流していない。

彼が、何か策があって、例えば今騒がれている軍事的策であったりする場合、この様なスピーチの場を借りて、軍を動かすよなどとは、まず十中八九言わないはずだ。

軍を動かすに必要な条件を満たすための内容を語っているのかな、とも考えてみるが…。

深読みをしてみる。
彼が元気がないことに対してだ。
今までの、彼の姿勢、人柄、法を重視して最後まで法に則って闘ってこられた過去、最後まで謀反をおこす人々に救いの手を差し伸べ続けた過去、それらを考えてみる。

かれが、それらの事に哀しんでいるのは確かだろう。謀反を犯す人たちを憐れんでいる姿にも思えてならない。

今までの真実の為に闘う姿勢を思うなら、ここで引き下がる事の方が考えられない。そして、何より、彼はいまだに自分の負けを認めていない。売電さんの就任を祝してもいない。事実に反することに同意できないと言う姿勢を崩していないのだ。
これは、屈していないのであると捉えるべきである。1月20までもが相手の手中に落ちる事になるかもしれないが、それですべてが終わったわけではないと言う事だろうと思う。

それから、もし、彼が本当に軍を動かすのであるなら、それを喜ぶ人ではなく、むしろ、そうするしかなくなった事に哀しみを覚えるはずである。国民の落胆を思うはずである。相手方の不義が不義として裁かれる事になる現実に哀しんでいるはずである。軍を動かすからと、意気揚々とできるだろうか、これから起こる事を思うなら、むしろ気持ちは沈むだろう。

11日のポンぺオさんのライブスピーチと言い、12日の寅さんのライブスピーチと言い、今この時にわずかこれだけの事を伝えるために国民に向けてライブ配信をしたことの方が、腑に落ちない。新聞記者を呼んで会見開いたら済む内容でもある、今までの事なら。これに何の意味があるのだろうか???

すでに、小浜ゲートに対する調査は始まっていて、一部調査結果も公表され始めた。
その内容を信じるなら、小浜ゲートは犯罪で、小浜とひらりは国家反逆罪に等しいわけで、それに加担したかもしれない売電さんも、裁かれる対象にある。もし、小浜ゲートに対してFBIがもっと早く動いていたなら、彼らはとうの昔に犯罪者になっている事になる。

上のグラハム議員は、義人であられる。寅さんの為に今回、私財を投入されてもいる。その品行方正さは、お顔立ちに現れていると、思っている。

民主党政権になったら、当然ながらこの件は闇に葬られる事になるだろうから、寅さん陣営がこのまま捨て置くはずがなく。なにせ、4年間ありもしない事を言われて総攻撃を受け続けたのだから。その為に有能な彼の側近が何人も有罪判決を受け、投獄されたりしたのだから。

以前上げた動画の中に、昔寅さんがどこかの高速で立ち往生してる時に、助けてくれた老夫婦の家の借金を、のちに全部返済してあげたと言う逸話がある。本当の話だ。
遊説の途中で、自分のサインを手渡しながら、売って金にしろと言った彼の姿も忘れられない。自分の名を売るためだと言ってしまえば、それまでだ。しかし、果たして、その様な人助けの気持ちがなければ、思いもつかない行動ではないかと私には思えてならない。これらの出来事は、大っぴらに公表されたものではなく、後になって人伝えに広まった話なのだ。


真実は、実はあからさまに私達の前にある。ただ、それが雑多な周りの音に消されて注視できず、目に入ってこないだけだ。

アメリカは広すぎて、他州で起こっている事が身近に感じるのが困難であったりする。ワシントンで今起こっている2万5千人の州兵による警備や、鉄条網を張り巡らした議事堂などは、実感がわきづらい光景だ。彼らが構える銃の対象が、一般市民であると考えるならなお更だ。


裏の裏をかき、互いの胸の内を読み合いながらの交渉合戦が政治であるなら、その上を行く寅さんであると、私は思うな。人のまわしで土俵を踏むのが政治家なんだなと、思い知らされた。自分は政治家ではないと言い続けた寅さんの真意がわかる。

私の中では、1月20日はもうあまり大きなイッシューではなくなった。この大きな流れの中でどのような歴史が刻まれていくのか、共に見届けていこう、今はそんな気持ちだ。

明日から始まる1週間が、いかなるものとなるのか、今はその現実を受けとめるだけの十分な鋭気を蓄えておこうと思っている。決して戸惑おうまいと思っている。





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