公民・歴史教科書問題を中心に教育問題を考えていくブログ

恐るべき公民教育の問題を中心に扱っています。かなりの割合で小山常実氏のブログ(特に教科書資料)や著書を参考にしています。

【保守と左翼の歴史】反米愛国から「反日原理主義」へ

2024-07-10 04:13:49 | 日本

今回は、戦後の保守派と左翼の中核となる思想がどのような影響を受けて劣化していったかを見ていきたいと思います。

●反米愛国から親米愛国へ

戦後の保守派と左翼は当初、反米愛国という同じ思想を中核に持っていました。したがって、占領者にとってみると、保守派と左翼の共闘が怖かったのです。当時、政権の中枢に居たのは保守派だったので、占領者は保守派を攻撃しました。その結果、保守派は親米愛国になりました。それでも、いまだ愛国という点では共通しています。

そこで、占領者は逆コースを行い、左翼を攻撃するようになりました。しかし、左翼は耐えました。かなり耐えました。その背景には、左翼が根底に反権力思想を持っていることがあります。1952年に日本は独立し、これで攻撃が終わると思われました。しかし、保守派が最初に占領者の攻撃を受けて親米愛国化していため、日本軍の創設を行わず、日米安全保障条約を結んでしまいました。その結果、左翼への攻撃が続きました。

●耐えられなくなった左翼、従米化する保守

そのような中、占領期に行われた反日・対連合国従属教育の影響で、1972年、左翼に東アジア反日武装戦線が登場しました。その結果、左翼はアメリカからの攻撃を逃げること、そして保守との違いを見せたいという考えが重なり、愛国という感情を捨てて、反米反日になりました。ただし、このときはまだ反米思想の方が強く、アメリカからの攻撃は続きました。

左翼の変化に伴い、保守派への攻撃も再び行われるようになりました。したがって、保守派は親米の度合いを強め、愛国感情を薄めました。もちろん、占領期の教育の影響もあります。しかも、政権の中枢にいたため、アメリカからの干渉が強くなるという負のループが生まれました。

親米の度合いを強めに強めた結果、もはや保守派は1980年に入るころには対米従属を催すようになり、従米愛国となりました。愛国の感情は相当薄れました。その結果、1982年、教科書をめぐる重大な主権侵害が発生しました(教科書誤報事件、第一次教科書問題)。

●反日反米→反日+中韓隷属で逃げ切る左翼、ついに耐えられなくなる保守

保守派の変化の次は左翼への攻撃です。左翼は反米の度合いを弱め、1980年代半ばごろには反日反米となりました。その後、保守派における従米愛国も確立しました。

1990年代に入ると、占領期の教育を受けた人物が国や党の指導者層となり、ついに左翼は反米という感情を完全に捨て、代わりに同じ連合国である中国、そしてなぜか韓国に隷属するようになり、反日+中韓隷属となりました。

その結果、それまで反米愛国の気分を保っていた一部の左翼の人は保守派に以降していきました。その結果、アメリカからの攻撃はついに保守派に絞られました。保守派もついに耐えられなくなり、2000年代半ばごろに、愛国という感情を捨て、反日思想を採用しました。従米反日です。

ちなみに、保守派とみなされる安倍晋三氏は2000年代まではいまだ従米愛国の精神を保っていましたが、2010年代に従米反日に変わりました。その延長線上に、第二次安倍内閣における移民法(日本人排撃法)や日本人ヘイト法の制定に代表される蛮行があるのです。反日の度合いは徐々に強くなっていきました。

今の保守派も反日の度合いをどんどん強めています。左翼も同様です。おそらく、保守派は今後もう一段階進んで、反日従米になる日が来ると思われます(既にそうかもしれません)。また、保守派にも親中派がかなりいるので、将来的に左翼と保守は再び統合されて「反日従米+中韓隷属」になる可能性があります。

反日原理主義の左翼と保守を打倒することが今の日本における大きな課題です。

●まとめ

左翼    ↱反米反日→反日反米→反日+中韓隷属

  反米愛国

保守    ↳親米愛国→従米愛国→従米反日→反日従米(もうすぐ?)

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