インターネットがまたも突然使えなくなって、どこからともなく"That sucks."という声が聞こえてくる。これは"That's too bad."という意味の俗語で、さまざまな場面で頻繁に耳にする。日本語では「最悪!」というのがぴったりだろう。僕には"That's sucks."と聞こえるのだが、最初の単語の最後のtと、次の単語の最初のsが重なるからであろうか。というわけで"sucks"は形容詞かと思っていたが、"suck"という動詞である。人を主語にするとやや意味が変わるらしい。"It sucks."などとも言うらしいが、たいていは"That sucks."である。さらに強調するには"That totally sucks."となる。女性も使っているが、ボスに向かって言ってはならないとみんなが口を揃える。カナダ人も、多少は目上の人に気を使うようだ。
航空会社から送られてくるメールを暇つぶしに読んでいたら、"Ain't life sweet?"と書かれていてびっくりした。"ain't"を知っている日本人はどれだけいるのだろう。学校では決して習わないだろうし、実際、僕自身はカナダに来るまで知らなかった。テレビを見ているとしばしば使われていて、僕も使ってみたくなるのだが、Andrewから真面目な顔をして「丁寧な言葉ではないから絶対に使ったら駄目だ」と言われ、その教えに従っている。でも、使われているのは事実なのだから、聴き取るために、そして今回のように読み取るために少なくとも教える必要はあるだろう。以前、ESLで"I am too aggressive on the tennis court."を付加疑問にするという練習があった。カナダらしく"eh?"を付けるだけでいいような気がするが、それでは練習にならない。これこそ"ain't"の出番かと思ったが、最も適当な答えは"I am too aggressive on the tennis court, aren't I?"ということだった。日本の某語学学校で"Aren't I cool?"というキャッチコピーが使われていたこともあるように、"ain't"とともに"aren't I"を覚えておこう。そして使うのは後者だけにしよう。英語に"am not"の短縮形はない。
Torontoから9人が3台の車に分かれて、Quebec州のMont-Tremblantへ向かったが、9時間の長旅である。僕らが最も早く出発し、もちろん、僕らが一番乗りだったわけだが、残りの2台はなかなか着かない。僕が「Andrewはどこにいるんだろう」と言ったら、Christianが"He is MIA."と言っていた。実はその前に"He is AWOL."と言ったのだが、"MIA"の方がいいと言って言い直していた。どちらも軍隊に由来し、"MIA"は"missing in action"の略で「戦闘中行方不明兵士」、"AWOL"は"absent without leave"の略で「無許可外出兵士」を意味するが、一般的な状況にも使われる。けっこう便利な表現かもしれない。困ったことに"MIA"はinitialismで、"AWOL"はacronymである。以前、"You're a VIP."が通じなくて困ったことがある。「ビップ」じゃなくて頑張って「ヴィップ」と言っているのに、どうしても通じない。しかたなく"very important person"と言ったら、ようやく分かってもらえた。後で僕の国語辞典を調べてみたら、「ビップ」として日本語にもなっていることが確認できたが、英語の辞書を見て"VIP"はinitialismであることを教えられた。和製英語には要注意である。
McDonald'sで昼食を食べていたら、朝食の広告が目に留まった。鶏卵の話で、競走馬と同じく、良質の卵をたくさん産む鶏が代々交配されて現在に至っていると。字数制限のためタイトルでは多少省略したが、"It's the great-great-great-great-grand-hens you'll need to thank!"とその広告の最後には書かれていた。最初、"great"は「すごい」という意味かと思ったが、そうではなさそうだ。一代遠い親をhyphenを付けて表しているのである。grand-henはその卵を産んだ雌鶏の母親のことになる。無精卵だろうから父方の祖母はいないはずでgrand-henは1匹になる。great-great-great-great-grand-hensとなると、16匹いる計算になるが、近交配しているだろうから実際にはずっと少ないことだろう。僕は無精卵ではないのでgreat-great-great-great-grand-fatherは岩吉じいさんを含め32人いるはずだが、少なくともgreat-grandparentsの一組はいとこ婚なので、さて何人になるのだろう。ところで、日本では鳥インフルエンザで大騒ぎしていて、何万羽もの鶏があちこちで焼き殺されているらしい。致し方ないとしても、せめて卵や肉を口にする前に、人類の身勝手で家畜にさせられた動物たちへ何らかの思い巡らせたい思う。
St. Lawrence川の南側がAppalachian山脈なら、北側はLaurentian高原で、その最高峰がMont-Tremblantである。スキーを楽しんだMont-Tremblantから7時間以上の長旅でTorontoへ。そして現実に帰る。この「現実に帰る」ことを英語では"Back to reality."と言うが、ChristianとTaraが、"Back to the grind."という表現を教えてくれた。意味は同じである。これだけで「さあ、いつも通りの仕事が再開だ」とか「また退屈な日常生活が始まる」などという意味になる。"grind"はもともと「すりつぶす」という動詞だが、転じて「辛い単調な仕事」という意味も持つ。山や森の奥など、インターネットにアクセスできない状況から、久々に家に戻って来ると"Back to the grind."という気分になる。終わってしまえばあっという間の4日間だったが、カナダ人6人、それにスウェーデン人とポルトガル人、計8人の白人たちとともに一つ屋根の下で過ごしたことは、僕にとってはけっこう辛かった。一対一の会話ならともかく、8人が英語でべらべらしゃべっているのを聴き取るのはほとんど不可能だし、そこに割り込んで行くのもかなりのエネルギーを要する。いや言葉以上に、個人のバックグラウンドを形成している基本的な知識が違うことをひしひしと感じさせられる。これはいくら英語が得意だからといって、またカナダが好きでいろいろなことを知っているからといって敵うようなものではない。カナダでの生活が楽しいといったって、ここは決して僕の安住の地ではないことを再認識させられた。
ドライブ中にTaraが"I'm starving, Marvin."と言ったがそんな男はどこにもいない。これは覚える価値のある英語だ思い、とっさに"Are you starving, Marvin?"と聞き返してみたら、「そうやって言うんだよ」と教えてくれた。腹ぺこな状態を強調して言う俗語だろう。僕の耳には"starving"と聞こえたような気がしたが、rhymeにするため、実は最後の"g"は発音されていないのだろう。というわけで、"starvin', Marvin"が本来の表記だと思うのだが、もはや"Marvin"は呼びかけでも何でもないので、ここでは"I'm starvin' marvin."としておくが、俗語の表記などどうでもいいことだろう。そして僕らの入った店はカナダならではのコーヒー店Tim Hortonsで、フランス語が唯一の公用語であるここQuebec州内にもあちこちにある。彼女はその公用語で注文するが、最近ではこういう場面でしか使う機会はないと言う。バイリンガルのカナダとはいえ、彼女のように二ヶ国語を自由に操れる人に出会うことはめったにない。彼女は幼い頃、両親の意向で、公立の幼稚園、小学校、中学校、そして高校の前半まで、immersionという特別のクラスで、全授業の50%をフランス語で受けている。そこまでしてようやくバイリンガルである。日本では近々、小学校の英語教育が始まるようだが、生半可なことでは何の役にも立たないことだろう。
スキー最終日の朝、9人で3晩を過ごしたしたchaletの台所などを片付け、朝10時、いよいよ車でTorontoに帰る。Christianが"Are you ready?"と聞くから、"Yes."と答えたが、つまらない返事である。つまらないと思ったのは、その直後にTaraが面白い表現を教えてくれたからであって、こういう場面では"I was born ready."と言えばいいとのこと。「すっかり準備は整った」という意味だろうが、どう文法的に解釈すればいいのか。注意すべき点は、常に過去形にすることである。"I am born ready."と言ってみたら、Taraが生まれたのは過去だからそれはおかしいというようなことを言う。"I am ready."は第2文型で"ready"は形容詞である。ということは"I was born ready."は受動態で"ready"はこの場合、副詞になるのか。「Mont-TremblantからTorontoに帰る準備が整った状態で僕は生まれた」とは凄まじい強調だ。本当にそんな意味なのだろうか。必要以上に考えるのはやめにして、丸暗記することにしよう。
日曜日の夜、カレーを作っていたら、久々に強烈な腹痛に襲われた。立っていられないほどの痛みだった。原因不明の痛みは丸2日続いたが、熱も出たので、何かウィルスにやられたのかもしれない。最も心配だったのは、木曜日からのスキーに行けるかどうかである。カナダで初めてのスキー。このチャンスを逃すわけにはいかない。少し時間をずらして、Christianもけっこう激しいfluに襲われていた。そして出発という時になっても彼は頭痛を伴ってそうとうまいっていたようで"I'm toast."を連発していた。僕は彼に"Ride shotgun."と言って、後部座席に陣取った。"ride shotgun"は「助手席に座る」という意味の俗語である。単に"Shotgun!"と叫ぶと、「俺が助手席に座る」という意味になるらしい。後ろでおとなしくしていた甲斐があり、僕は元気になって、みんなとスキーを楽しんだが、一方のChristianは独り、chaletで寝て過ごすことに。"Poor, Christian." その翌日は僕は単独行動を取ったので、けっきょくChristianの華麗な滑りを見ることはできなかった。
木曜日の午前、例によってChristianが意味不明な言葉をかけてくる。"Get out of dodge!"とは何だろう。辞書で見つけられなければウェブで探してみる。由来など、いろいろと調べられるが、とにかく「さっさと立ち去ろう」という感じだろうか。もちろん俗語である。どうでもいいことだが、DodgeとはKansas州の都市名なので、正確にはcapitalizeするべきであろう。彼は最初、"the hell"を省いていたが、入れても入れなくてもどちらでもいいらしい。相手に命令する"Get out of here!"とは違って、"Let's"の意味が含まれているように感じられる。いよいよこれから職場の仲間9人でQuebec州のMont-Tremblantという山にスキーに出かける。東部最大のスキーリゾートらしい。Steveには"See you next week!"と声をかけ、午後1時半出発。僕はTaraの車に乗せてもらった。彼女に"Get the hell out of Dodge!"とうまく決めてみたかったが、覚えたての言葉はやはり口が回らなかった。古都Kingston、かつてTorontoよりも大きかった都市Montrealを経由して、chalet到着は10時半。国内最大の高速道路401号線で、30台の車が絡む大きな死傷事故があり、高速道路が一部閉鎖されdetourを強いられたこともあって9時間以上かかったが、2時間早く出発していたら、その事故に巻き込まれていたかもしれなかった。とにかく、カナダで滑るという、僕の夢がまた一つかなう。
時々、"a.k.a."という省略を見かけることがあるがこれは"also known as"の略である。驚いたことに、これは話し言葉でも使われ、発音はカタカナ読みで「エイケイエイ」と言えばいい。日本語式に「エーケーエー」としてしまっては通じないだろう。僕の所属する研究室では大半のメンバーが自閉症関連の研究に関わっている。自閉症とは、僕の母が間違ったことを僕に教え込んだように、多くの日本人が誤解しているようだが、早期幼児期に発症する脳機能の発育障害による、治療法のない病気である。映画Rain Manなど、多くの映画やテレビドラマで描写されているように、患者はごく普通の日常生活を送ることすら困難であるため、家族の苦労や、偏見から受ける差別による苦悩などは想像を絶するものがある。未だ原因の分かっていないこの病気に対し、遺伝子の立場から説明をつけようとする研究者は多く、Steveもその一人だ。患者の家族の集まりで、よく講演をしたりするので、彼は「遺伝子の男」と知られていて、"Steve, a.k.a. the gene guy."などと紹介されていたのを聞いたことがある。研究がうまく行って、原因が特定できようものなら、この言葉はTorontoだけでなく、世界中に広まることだろう。
最近発表された論文などを当番制にして紹介する勉強会のことをjournal clubと呼ぶ。僕は週に4つものjournal clubに参加していたこともある。2年半前に大学院生のLaylaと僕ら5人の日本人で始めたjournal clubは、今や日本人は僕だけになってしまったが、登録人数は30名を超え、集まった回数はそろそろ100回に迫る。規模が大きければいいというものではないが、ここまで続けてこられたのは、途中から加わって、メンバーを募り、割り当てなどを仕切ってくれたAdamに依るところが大きい。そんな彼が、今度はseminarも月に1回程度開催しようということで"Is there anyone who is itching to talk?"などと言っていた。"itching"には「かゆい」という意味だけでなく、to不定詞を伴って「したくてむずむずする」という意味がある。"anyone"は単数扱いであることに注意。それにしても、Torontoの冬は、かゆくてたまらない。最近は最低、最高気温がそれぞれ-20度、-10度ほどの日が続いている。まだまだ日が短い。そして乾燥の度合いは日本の冬の比ではない。
MLBでもNBAでもNHLでも、たいていは米国チームとの対戦になるので、米国国歌"The Star-Spangled Banner"とカナダ国歌"O Canada"を聴くことになる。学校では毎朝、歌わされるようで、娘は日本人離れした発音で英語でもフランス語でもカナダ国歌を歌える。その英語の歌詞の中には、今ではほとんど聞くことのない二人称の所有格"thy"や目的格"thee"が使われている。主格は"thou"で、所有代名詞は"thine"となるらしい。「なんじ」とか「そなた」とか訳されるが、そんな古い言葉、日本にいたら知る必要もない。しかし、こっちでまともな教育を受けた人たちは、これらを使って詩を書いて遊んだりするので、多少は知っていないと溶け込めないことになる。実は僕は高校生の頃、英語教師早坂から、週に1時間はShakespeareの作品を読まされていて、馴染んでいるべきところだが、まじめに取り組んでいなかったので何も覚えていない。野口英世がShakespeareを読んで英語の勉強し、古いとばかにされたくらいだから、それからさらに100年経った1990年代にShakespeareを読むとは全くばかげているように思えるが、今から思い返すと、ちょっとばかり後悔の念が湧く。ちなみに"O Canada"の"O"も詩で使われる単語で、米国国歌の歌い出しも正しくは"Oh"ではなく、この"O"のはずである。
Torontonianは僕の英語の発音を直してくれるなどということはめったにしてくれないが、一つ、辺りにいたみんなから大笑いされた思い出がある。それは"wood"の"w"の発音である。日本語にも「ウッド」という単語があり、Tiger Woodsのことを「タイガー・ウッズ」と呼ぶが、僕は日本語そのままに発音していたのか、通じなかった。ようやく通じて言われたことは「なんで同じ発音の"would"は言えるのに"wood"が言えないのか?」である。そして「"Would you like to use wood?"と言ってごらん」と言われ、言われた通りに言うとみんな大笑いである。そして次は、「"Would you like to use, would you like to use, would you like to use, would you like to use wood?"と言ってごらん」で、これまた大爆笑になった。僕は、毎年4月になるとラジオ講座のテキストを買ってきて英語の勉強を始める父を見て育ち、その父を見習い、かつその父を反面教師として、中一の4月から独りでもくもくとラジオ講座で会話の勉強を続けてきた。頻発する"would"の発音は自然と身に付いたのだろうが、"wood"なんて単語はめったに出てこない。それに、同じ発音であるということすら、考えもしなかった。日本語でもそうだが"w"はsemivowelである。昔はもっとあったのかもしれないが、現代の日本語にはワ行の音が「ワ」と「ヲ」の2つしかないからこんな問題が起こる。発音する時は、強烈なチューをするように唇を突き出し、息を吐く。ちなみに紹介した英文で"wood"は無冠詞で用いる不可算名詞である。Teresaに聞いてみたら、どうしても不定冠詞を付けたければ"a piece of wood"、定冠詞を付けたければ付けてもいい、複数形にすると「森」という意味になるからこの場合は"the woods"としなければおかしくなると教えてもらった。英語の名詞には性がないだけいいが、単数形か複数形か、冠詞はどうすればいいか、発音以上に困った問題だ。
金曜日と土曜日、遺伝的ネットワークなるよく分からないものをテーマにした学会に出させられたのだが、何人もの講演者が"a whole bunch of"という俗語を口にしているのが気になった。これはカナダに来て本当によく耳にする言葉だが、"a lot of"の俗語だと思っていれば間違いないだろう。この"a lot of"でさえ、論文では使ってはいけないとされているのだから、"a whole bunch of"なんて決して論文では見かけない。学校の英語の授業でも、もちろん習った記憶がない。しかし学会の口頭発表というそれなりのフォーマルな場で、意外にも多用されるのである。1週間ほど前、エレベータである2人の教授と一緒になったことがある。その2人の会話を聞いていたら、若い方が"She spent a whole bunch of money to fix it."なんて発言をしていた。僕も多くの場面で、遠慮せずに使ってみなければと思わされる。
英国の科学誌Natureの最新号に、"Lost in translation"というのが出ている。僕は生物におけるRNAからタンパクへの「翻訳」に興味があったので、何かと思って中身をちらっと見てみたら、いきなり"English is the language of science."と書かれていて、どうも英語の話らしい。そして英語のプレゼンテーションで苦労する日本人ポスドクの話が冒頭部で挙げられ、全く僕のようでびっくりさせられた。その次の段落には"Seasoned scientists also feel under pressure when speaking in English."と続く。この"seasoned"は技術者などによく付けられる過去分詞の形容詞的な用法で「ベテランの」というような意味である。「熟練した日本人科学者でも英語で話す時にはプレッシャーを感じる」ということだ。けっきょく何が書かれていたかというと、日本人やドイツ人などネイティブでない科学者にとって研究を進めて行くことがいかに不利であるかということである。大半の読者はネイティブであろうから、別に解決策などが書かれているわけでもない。単なるレポートだ。ざっと一読しただけでは、見慣れぬ表現が多くて、僕などには半分程度しか理解できないのだが、暇な時間にこういう物に目を通すようになっただけでも多少は進歩したのかもしれない。辞書を使って丁寧にもう一度でも読み返せば、いい英語の勉強になるかもしれないが、それほど興味深い結論があったわけでもないので、もう二度と読まないことだろう。