Julieの新居でのホームパーティーのお知らせの中に、"Start time can be anytime after 5pmish."という文があった。"5pmish"という見慣れない単語があるが、これを分かり易く、かつ文法的に正しく書き直せば"5 p.m.-ish"だろう。"ish"は形容詞を作る接尾辞で、口語ではよく時間に添えられて「何時頃」という意味でよく使われる。口語だから、表記法なんてどうでもいいようで、ウェブで検索してみるといろいろあることが分かる。切りのいい時刻だけでなく"1:30-ish"や、こっちの人はquarterが好きだから"2:15-ish"などというのもよく耳に入る。ところで、米国とカナダではquarterと呼ばれる25セント硬貨がみんなに愛用されていて、最初は使い勝手に戸惑うが、慣れてくるとかなり便利である。これに相当する25円硬貨というのが日本にないのは、ちょっと残念に感じられる。逆に50セント硬貨はあるにはあるものの、不思議なことに北米両国では一般に流通していない。
Prince Edward島に行ったことをChristianに話したら、「あっちの人たちは親切だ」とか「困っていると助けてくれる」とか、彼は行ったこともないのにそんなことを言い出した。それには僕も同感で、「そういう時は"People in Maritimes bent over backwards for us."と言えばいい」と、また新しい表現を教えてくれた。辞書を見ると「人の便宜のためできるだけ努力する」と書かれていたが、要は人が"helpful"ということである。実は"bend [fall, lean] over backward"と書かれていたのだが、Christianは"fall"も"lean"も聞いたことがないらしい。それに彼は"backwards"と言っていた。辞書に載っていたからといって、余計なことは覚えない方がいい。さて、ここでカナダ東部の地理を。Maritimesは時に沿海州と訳されるが、西側からNew Brunswick州、Prince Edward島州、Nova Scotia州の3州を指す。さらに東にあるNewfoundland and Labrador州を含めた東部4州はAtlantic Canadaと呼ばれる。僕はその4州とも足を踏み入れたことがあるが、そんなOntarianはめったにいない。
Christianが"Wong and his wrong don't make a right."と言ってみんなが受けていた。しかし説明してもらわなければ僕には理解できなかった。内輪話といってしまえばそうなのかもしれないが、"Two wrongs don't make a right."という英語の言い回しを知っていることが大前提である。中学校の数学で、時々、2度の過ちのために運良く正解と同じ解答が出るようなことがあった。しかし、常にそんなことが起こるわけではないし、そうやって出された解答は正しいように見えても実は誤りである。"Two wrongs don't make a right."とはこのようなことを指しているのだろう。Christianは「誰かに殴られ、殴り返すことは"right"ではない」という例を挙げてくれた。さて話を元に戻すと、Wongという恐らく中国系の研究者が、誤った手法で何らかの実験データを出し、それが全く役に立たないことを皮肉っていたのだ。"Wong"と"wrong"とでは違うような気がするが、「中国人は同じように発音するから」などという、神経質な人が聞いたらやや差別的に聞こえるかもしれない発言があったが、しょせん、内輪のジョークとはそんなものだろう。
ふと気が付いたが、結婚記念日である。しかも10年目。そんなことをChristianにしゃべったら"That's crazy."と言われた。そしてこの"That's crazy."は「日本語ではなんと言えばいいのか」と尋ねられた。「"クレージー"と言えばいい」と伝えたのだが、「そうじゃない」と返され、なるほどと思った。「今日は10回目の結婚記念日だよ」に対して「それは狂っている」などという反応は、仲のいい友人同士にしたってどう考えてもおかしい。"That's crazy."は多少の賞讃や祝福を込めた驚きの表現なのである。"You're crazy."とは全く違うのだ。その場にいて、話者の顔を見ていれば、その気持ちが分かるからいいが、字面だけを見て英語の勉強をしているとそうはいかない。実際、僕自身も"That's crazy."を訳せと言われて思い浮かんだ日本語は「クレージー」であった。去年は陶器婚式で、英国製のティーカップを買ったが、今年は切りのいい10年目で錫婚式である。何かしたいとこだが、現在妻は地球の裏側に住んでいる。そっとしておくことにしよう。それにしてもあの結婚式から10年が経ったとは驚きだ。次の10年はもっと速いかもしれない。「一昔」という日本語を初めて肌で感じた。
Karenがjournal clubで、"It's a leap of faith."と何度も言っていた。聞き慣れない表現だったので後で調べてみると、僕の辞書には「不確かでも思いきって信じてみること」と書かれており、イディオムであることが分かった。必ずしもそうとは限らないようだが、科学論文に対するコメントとしての"It's a leap of faith."は、「証拠が不十分なのに」というような批判が込められることが多い。国立がんセンター研究所の日本人グループによる研究だったが、確かにKarenの口調はそんな感じだった。そしてみんなの槍玉に挙げられ、いい論文でもないのに、多くの時間が費やされた。話が逸れるが、"faith"の形容詞"faithful"がどうしても通じなくて困っている日本人女性を助けてあげたことがある。カタカナ読みで「フェースフル」なんて言ったって通じるわけがない。最後の"l"だけでなく"f"も"th"も、日本語にない子音のオンパレードだ。それからもう一つ、二重母音が入っている。僕の妻もこの辺りがしっかりしていなくて、地下鉄の一日券"day pass"を買うにも、全く通じなくて苦労していた。
Laylaが日本の映画を見に行くという。何かと思ったら米国の"Letters from Iwo Jima"で、「僕も近いうちに見るつもりだ」と言ったら、誘ってくれたのでついて行くことにした。カナダで映画館に行くのは"Fahrenheig 9/11"以来2回目になる。正直言って僕にはとても聴き取れないので、祖国で日本語で見るつもりだったのだが、まあ、公開中に映画館で見るのもいいだろう。しかしそんなことは杞憂だった。詳しく知らなかったのだが、俳優は日本人、台詞も日本語である。みんなが英語の字幕に見入っている間に、僕だけは映画をそのまま楽しむことができた。その中で「二度あることは三度ある」という諺が一つの"memorable quotes"になっている。どう訳されていたか、字幕など見ていなかったが、後でウェブサイトで調べてみると"Everything happens in threes."となっていた。映画を見ている最中にふと気付いたが、隣にいたのはメリケンDavidだ。米国人と日本人が仲良く隣に座ってこんな映画を見ているなんて、なんとも平和な時代である。LaylaとDavidは"Flags of Our Fathers"と比べて、こっちの方がずっと良かったとの感想で、日本人としては嬉しい限りである。カナダ人Helenも含め「なぜ彼らは戦わずに自決しなければならないのか理解できない」というのが、北米人全ての率直な感想で、矛先が唯一の日本人である僕に向けられる。それをうまく説明することこそが、国際人としての日本人なのだろう。時間の長さを全く感じない2時間半だった。"Everything happens in threes."ということで、もう一回、映画館に足を運ぶことになるかもしれない。
単純なミスによる大失敗で落ち込んでいたChristianだが、ちょっと時間が経った頃、"You're one sandwich short of a picnic."と言ってやった。これは「間抜け」とか「頭がおかしい」とかそんな意味で、ずっと前に彼から言われた表現である。その時はもちろん意味など分からなかったし、彼も僕が理解できるとは思っていなかったので、ご丁寧に説明してくれたが、ついに言い返してやるチャンスが来たというわけだ。ところで、Christianはよく"He's crazy."や"She's one sandwich short of a picnic."などと言い、真面目な顔をして陰口をたたく。高校の時の英語教師早坂が「陰口はいいことだ」と言っていた。一つに、相手を傷つけることがない。そしてより重要なことは、「俺はあいつみたいにはならないぞ」という決意の表明だからだという。これが彼から受けた最大の教えだったかもしれない。極度の近眼に加え、目を疑うほどの巨漢の持ち主で、いい教師だったかどうかは分からないが、英語の深い知識に対して多くの生徒が尊敬の念を持っていたのは事実である。あの齢と体ではもう生きてはいないだろうな。毎日のように生徒を「間抜け」扱いしていた早坂が懐かしく思い出された。
Teresaから送られてきた電子メールの冒頭に"The battle has been won."と書かれていた。その日の朝「職場の冷蔵庫が臭うので掃除をする」と言っていたが、それに関するメールだ。意味不明だったので近くにいたChristianに聞いてみたら、英文法なんて何も知らないのに、珍しく巧みに解説してくれた。単に"We've won the battle."を受動態にしただけの文で、「戦いに勝利を収めた」つまり「冷蔵庫がきれいに、臭わなくなった」ということである。逐語訳すれば「戦いは勝たれた」というまことに意味不明な日本語になるが、彼らは妙な表現を使うものだ。頻繁に使われる表現らしいので、このまま覚えておくといい。受動態で書くか能動態で書くかに関して、近年、特にビジネス界では、受動態を避けることが強く促されていているようで、Microsoft Wordなんかを使っていると能動態で書き直すよう全く御節介なメッセージが出てくる。科学論文では、受動態で書くことが当たり前のようなことがよくあるし、受動態はしっかりと生きている。しかし、この表現の態が変わるとどうニュアンスが変わるのか、僕にはよく分からない。
木曜日の夜、職場のsocial gatheringがあった。端的にいえば飲み会である。こっちではお酌なんかしないし、他人に「飲め」などと強要したりすることもない。日本でよく見かけるいわゆる「酔っぱらい」の状態まで酔うことは良しとされていない。なかなかいい飲酒環境である。僕は日本人なみについつい早いペースで飲んでしまい、アルデヒドを代謝する酵素が壊れていることもあって、すぐに顔が赤くなり、そんなに酔ってもいないのに「もうやめておけ」と言われるほどである。そんな席でChristianから"I can read you like a book."と言われた。これは「考えていることが手に取るように分かる」という表現で、youというのは実は、話の流れからして僕だけでなく、彼の知っている日本人みんなを指している。彼がどれだけの日本人を知っているのか定かではないが、「日本人は嘘をつくのがへただ」とも言っていた。同意しかねる発言だが、確かに僕らは英語で話すのに必死になっていて、また外国人相手ということでなみなみならぬ誠意を持って対応しているのかもしれない。軽く嘘がつけるくらいまで、頑張って会話する能力を上げねばなるまい。そして、外国人だからといって、また自分が英語が下手だからといってひるんではいけない。
毎朝、「オハヨウゴザイマス!」と日本語で挨拶してくれるChristianだが、今朝は"Good morning."と言っても何も返ってこなかった。珍しいこともあるもんだなと思ったが、"Everybody has blue days."ということで、特に気に留めていなかったのだが、しばらく経って彼の方から"I screwed up."と切り出した。「ねじを巻いた」と言われても、僕は理解できなかったのだが、話を聞いてみると、全く残念な話で、彼の落ち込んでいる理由がよく分かった。半月ほど前に、大きな研究奨励金に応募したのだが、書類の不備を理由にはじかれたとの連絡を受けたそうだ。どうしてそんな単純なミスをしたのかまで問いたださなかったが、採用される可能性が大きかっただけに悔しさもそうとう大きいことだろう。一ヶ月に及ぶ苦労が、たった一つのミスで消えてしまうとは。調べてみたら、"screw up"には「しくじる」という意味があるようで、"I screw up."や"I screwed up."で、「大失敗をしでかしてしまった」という口語になる。
ふとつけたテレビで映画をやっていて、若い女の子が、彼女の友人を妬みながら、以前のboyfriendのことを"Now he's all over her."と言っていた。状況から意味は察せられるが、この文を見ただけでは何を言っているのか良く分からない。調べてみると「人にやけに好意を示して」という意味を見つけたのできっとこれだろう。本当に通用するかどうか、実際に使ってみたところ、じゅうぶんに通じだ。僕がその意味で"be all over"を使うことは笑いの対象になったので、それなりの俗語であるようだ。さらに"Christian, you're all over Tara."と言ってみたら、もうできてしまった二人に対して使うのは不適切で、これからデートをするような男女が対象だと教えてもらった。ちょっとしたからかいが込められているのだろう。"be all over"はそれ以外にもいろいろな意味があるようだが、こんな使い方も挙げてくれた。"Brazil is all over Japan."は、サッカーの試合で、始終、ブラジルがボールを支配しているような状況をいう。去年のドイツW杯であのままBrazilにゴールを許さず勝っていれば、こうやってことある毎に馬鹿にされずにすんだろうに。
同意を示す表現で"So do I."というのがあるが、これは倒置のいい例で、学校の英語でも習う。しかしなかなか口から出なかったが、カナダに来てよく耳にしていると僕の口からも出るようになった。"I do too."と言ってもいいし、もっと簡単には"Me too."でいい。否定文に対する同意となるとちょっと複雑になり、"Neither do I."になる。"I don't either."でもいいし、簡単には"Me neither."である。"too"と"either"と"neither"の使い分けを理解して練習しておきたい。今日の夜、Christianが「俺は帰るぞ」というようなことを言うから、"So do I."と応えたら、聞き返されて、「そういう場合は"So am I."と言え」と直してくれた。きっと"I'm leaving."か"I'm going home."だか、そんな表現を使ったのだろう。一般動詞とbe動詞を区別しなければならないのは、本当に厄介だ。何かに応える時もそうだし、自分で疑問文を発する時も、どちらかを選ばなければならない。情けないことながら、未だにこの選択作業を無意識のうちにすることができない。
世間は狭いという話で、Taraが"Six degrees of separation."と言っていた。「六次の隔たり」と訳されるようだが、"Six degrees of separation is somewhat synonymous with the idea of the small world phenomenon."とWikipediaには書かれている。そういえば先日、プレゼンテーションで「Wikipediaによると」と喋ったら、妙に受けた。同じジョークを日本語で使ってみたりすることがあるが、概して外国人の方が笑ってくれる。下手な英語でジョークなんか言うから受けてくれるだけかもしれないが。ところでこの"six"、英語を習い始めた頃から僕には「シックス」というよりもむしろ「セックス」に聞こえる。娘が英語を話すようになって、彼女の発音を聞いていると、やはり「セックス」に聞こえる。それでChristianとAndrewに僕の"six", "sex", "seeks"などの発音をチェックしてもらったのだが「何の問題もない」と言われた。ではいったい何が問題なのか。下手な英語が通じるTorontoから東へ遥か1000km以上も離れたPrince Edward島でその一端が分かった。Charlottetownのサンドウィッチ屋で、娘のために牛乳を頼もうと"Milk, please."と言うと「飲み物は何にするか?」と尋ねられた。"Milk."と答えると、また同じ質問が返ってくる。「だから"milk"にしてくださいって何度も言っているでしょう」と言ったって、通じない。けっきょく別な人が出て来て、ようやく僕らが牛乳を欲しがっていることを理解してもらえたが、なぜこんなことが起こるのか。僕は"six"は気に留めていたからうまく発音できていたのだが、"milk"に関しては練習が足りなかった。娘に注文してもらえば良かったのだが、日本語の「イ」は彼らには「イー」に聞こえ、かつ最後の子音なんてどうでもいいから、僕が"l"の発音を頑張れば頑張るほど彼らには"meal"と聞こえるのだ。だから「飲み物は何にするか?」というとんちんかんな会話になる。日本人の発音する"dinner"や"sit"も、彼らにはおかしく聞こえることが多いらしい。どこかのウェブサイトに「エィ」を素早く発音すればいいと書かれていたが、これはけっこう的を射ている。
Appleからの電子メールに"Put some colour on."という文句が書かれていた。iPod shuffleの宣伝であるが、"colour"の綴りが"very Canadian"である。そこで英語が主要言語の一つになっている国のAppleのウェブサイトを調査してみたところ、米式の綴りを使っているのは米国だけであることが分かった。国ではないが、香港も米式。そして、多くの国が自国の言葉を使っているにも関わらず、日本は日本語を使っておらず、米国かぶれの"color"となっている。意外にも、米式の英語は世界で独り歩きしているような印象だ。Anneが「"color"なんていう綴りを見ると、ちょっと気持ち悪く感じる」と言っていたのを聞いて以来、僕自身もカナダに何年も住んでいることもあって、英式の綴りに移行してしまった。他にも、"neighbour"や"centre"など数え上げればけっこうある。発音は米式になっても、学校では英式の綴りを教えるので未だAmericanizeされていない。困ったことにHTMLでウェブサイトを記述している時に、文字に色をつけようとついつい"colour"とタイプしてしまうと、ブラウザは受け付けてくれない。やはり国際語として機能している英語は米語であることを思い知らされる。英語を母国語とする人の3分の2は米国人であるらしいから、やはり米国は侮れない。Steveの書いた英文の中で"favourite"が米式になっていたのを見たことがあるから、着実に英式が蝕まれているのは事実だろう。しかし、カナダに住んでカナダの英語に接した証を残すべく、極力、僕はカナダ式を使い続けようと思っている。ちなみに"put on"は「身に着ける」という意味で、"separable phrasal verb"と呼ばれる。反対の意味の"take off"も同様だが、「離陸する」という意味で使う時は"non-separable phrasal verb"になる。
スキーに行く前も体調が悪かったが、スキーから帰って来てもまた体調が悪くなった。単なる風邪だと思うが、スキーに行っている間だけでも調子が良かったのには救われた。一方のChristianは今でこそ元気になったようだが、着いた翌日まで頭痛だの何だので苦しんでいて、その翌日、"I took that medicine and I was out like a light."と言っていた。その薬に睡眠薬が入っていたのかどうか知らないが、薬を飲んだら、明かりのスイッチを切るとぱっと消えるように、「すぐに寝入った」という意味である。日本語で「ばたんきゅう」と言ったりするが、それに相当するだろう。調べてみると"go out like a light"としてもいいらしいが、少なくとも彼には通じなかったので"be out like a light"を使うことにしよう。それにしても最近、周りで体調を崩している人は多い。この週末にしつこい風邪を治してしまいたい。