琥珀猫のヘンプ

趣味で始めたヘンプアクセサリーをアップしています、時々仕事のこともつぶやいています

母の命日

2021-02-28 22:45:09 | 日記
今日は母が亡くなって4年目の命日
妹と実家に行き
都内から来る姪と合流して
お墓参りに行って来ました


今日はとても天気が良くて
岡の上のお墓からの景色が綺麗




いつの間にか梅も満開ですね
うちの近所は梅の林が沢山ありますが
どんどん伐採されて宅地になっています

今年も桜は早く咲きそうで
4月には葉桜になってそうですね

昨日、コロナのワクチンを打ちました
筋肉注射なので、今日になってから

腕が痛いです
発熱や頭痛用にと
カロナール500ミリグラム四回分もらいました
コロナやインフルエンザの時は
アセトアミノフェンしか使用しないほうがいいということですね
私の前の期日に接種した人は治験?の範囲だったらしく、アンケートとか
事後の調査があり、クオカードとか体温計を、もらえたらしい
すでに二万人が終わったらしく
私達はただの接種者になったよう

二回目のほうが副反応が出るらしい
これでコロナがおさまるといいですね

ジョンソン&ジョンソンから一回で済むワクチンも出たらしいです
数年後コロナもインフルエンザと同じ扱いになっているのかなぁー

明日は3月
月日の過ぎるのが早くなっている


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ヘンプイヤリング、ピアス

2021-02-26 22:17:28 | 琥珀猫のヘンプ
退職したり、部所が替わったり、結婚したり
春は人の上にも変化が起こる時
ちょっとプレゼント用に
イヤリングとピアスを作ってみました
コツコツパールのハートビーズのピアスは退職する人用に


これは移動する子と
急に結婚したという子に

チャムランさんのしっかりリネンホワイトを使っています



黄色が好きという子に



お試しの作品
チャムランさんが引っ越しのため3月、4月休業とかでセールをしていたので
買ってしまったヘンプ糸
ソフトリネンのホワイトを買い占めてしまった

さて、やまてんこのビーズとヘンプでせっせと作品作ろう‼️かな?
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やる気の出ない日々

2021-02-23 21:59:27 | 日記
仕事に行ってかえってきて、ご飯作って、ボーッとして、寝る、
休みの日もボーッとして、ご飯作って、ボーッとして、日がくれる

夕日をみて綺麗ねーと思う
朝起きると視線を感じる
ボーッとしていると茶トラの小次郎が頭をすりすりしてくるので撫でる
やめると にゃーーーと文句をいう

膝に乗ってこないだ琥珀ちゃんは
横で にゃっにゃっとなく鳴く
撫でるとお腹を見せてゴロゴロいう
やめると にゃっと文句をいう



ハウスがつぶれてきて、そこで寝るのがお気に入りの琥珀ちゃん


無理やり割り込み寝る小次郎、迷惑ーーって顔の琥珀ちゃん


結局独り占めした小次郎


最終的に、二匹で寝てる

ボーッとして、ねこに癒されて日が過ぎる

気がつくと梅が満開

2月がボーッとしているうちに終わる

仕事だけはちゃんとしていますよ
夜勤も、忌引きの人の分もしました
私も代わってもらったことがあるので

Instagramでヘンプ糸を売っているチャムランさんが引っ越し前の在庫減らすためにとセールしてますなんてですので
思わずポチポチとしてしまう

材料だけやまてんこ
あーーーやる気が出ない



メルカリもポチポチしてビーズが届いたので、チマチマちょっと作って
これでやめてしまってる
ピアスかイヤリング
丸カン着けてーーが面倒
まとめて着けようかなーー



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待望の本

2021-02-17 00:47:06 | 日記
あきないと世傳 金と銀の新刊がやっと出た
昨日ネットで検索したら2月15日発売!
早速本屋で買って
一気読み

読み終わりの清々しさは素晴らしい
8巻の終わりは
えーーーーー!!どうするねん!!で終わったから

読み終わり
早く次出ないかな?と思ってしまう


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鎌倉満福寺

2021-02-12 22:38:53 | 日記
ニュースを見ていたら
鎌倉の源義経縁の寺、満福寺が火事でとしていた
このお寺、今は亡き義母と義母の妹の美智子おばさんと三人で行った事があったなぁと
懐かしく思い出す
腰越港の脇道を入った所にあったかな?
義経が頼朝に宛てた手紙を書いたことで有名らしかった
弁慶が腰かけていた石?が庭にあったような?

美智子おばさんは夫のことをとても可愛がってくれたらしい
義母は日本画家で美術年刊なる所にも名前が乗っていた
が、しかし、母性愛に溢れるというタイプではなく、スパルタ的だったようで
思い通りにならないことを息子にぶつけていたらしく、それを感じていた美智子おはさんは、足げく姉の家にきて、義母の攻撃から何とか守ろうとしてくれていたらしいと夫が言っていた

義母は終戦の辺りに中野の女子美術学校に通っていた、その頃美術学校なんて所にいく女子は良家のお嬢様がほとんど
戦争の頃、横須賀に学徒動員されて働かされたと、横須賀に行った事があった
義母が働いたと言う工場跡は様変わりし
団地になっていたように思う

義母の知り合いには
ブリジストンの社長の奥様やどこぞ大学の学長の奥様、弁護士の奥様
それはそれは、上流階級の奥様方がいらした
結婚当初、銀座で個展を開くので
よくお茶だしなどの手伝いに行ってた
銀座の画廊での個展、ポツリポツリと見に来る人がいて
義母の知人の画家さんもきたりしてた
私は美術の才能なし
義母とその友人、女三人で寄れば、なんとやら、とてもエネルギッシュで
そして騒がしい人たちだった

夫はある時を境に
義母や義父と距離をおき
断絶状態を解消することなく
二人とも亡くなった

晩年、夫には内緒で息子を連れて義父や義母に会いに行っていた
いよいよ義父が危篤状態となったとき
夫は絶対に葬式には出ない

さて、私はどうするべきかを考えた
私は夫と結婚をした
夫の親族には特に恨みもなく結婚してからよくしてもらったが
しかし、私は夫の側にいなければならないのではと考えに至った

それから義父が亡くなったと連絡がきたが、葬儀には出なかった
義母も肝臓癌で亡くなったが
義父の危篤以後、義母の葬儀にも行っていない

夫と連れ添って31年、息子に嫁がいて
孫もいて、まあなんとか生きて行けそうだということが義母への親孝行なんだと思っている

断絶した親子関係を理解するのに時間がかかった

断絶するほどの思いを理解できなかった
親が思うより子どもは傷ついており、関係を、たちたいと言うことなのだろ

夫の事があってから
親と不仲とか断絶している人を
少し理解出来るようになった

ちょっと虐待に近いことをされていた夫を気にかけて、可愛がってくれた美智子おばさん、その他にも義母の兄弟や従兄弟がいたので夫は生き延びたらしい

そうした背景が解るまでずいぶん時間がかかった
満福寺の火事で鎌倉を歩いた頃を思い出した
義母が私の年齢の時に手に入れた鎌倉の家は義母亡きあと義父の借金などで人手に渡った

大船からモノレールで二駅くらい
鎌倉市山崎にあった家
義母の描いた油絵が沢山飾ってあった
非常に透明感のあるシュールな絵だった
彫金をしたり絵画教室を開いたり
私が結婚した頃、義母は今の私と同じ年齢ぐらいでエネルギッシュだった

鎌倉と聞くと義母や義父を思い出す




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