柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)は、飛鳥時代を代表する歌人で、三十六歌仙の一人としても有名です。
また、『玉川児童百科大辞典 21 別巻 世界人名辞典』(玉川大学出版部:編、誠文堂新光社:1968年刊)という本によると、彼は次のような功績を残したそうです。
1.長歌(五七五七五七・・・五七七)を、序詞・枕詞などを自由に使いこなして、最高の形式的完成にみちびいた。
2.それまで長歌に付属するものであった反歌(五七五七七)を長歌から独立させ、ひとつの詩としての完成にみちびいた。
3.叙事性と叙情性を一身にそなえた「万葉集」最高の歌人として、日本文学史の上に一時代を画した。
このため、紀貫之は柿本人麻呂を歌聖とたたえたそうです。
そして、旧暦の三月十八日は彼の命日とされ、『柿本人麻呂と鴨山』(矢富熊一郎:著、益田郷土史矢富会:1964年刊)という本によると、彼は死後まもなく神として祀られ、その千年忌にあたる享保八年三月十八日には、正一位柿本大明神の神階と神位が宣下されたそうです。
そこで、今回は柿本人麻呂の有名な歌を、『万葉集注釈 巻第一』(沢瀉久孝:著、中央公論社:1957年刊)という本を参考にしてご紹介します。
【万葉集第一巻 48番の歌】
原文
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読み
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意味
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東 | ひむかしの | 東の |
野炎 | のにかぎろひの | 野に陽光のかがやきが |
立所見而 | たつみえて | さしそめて |
反見爲者 | かへりみすれば | うしろをふりかへると |
月西渡 | つきかたぶきぬ | 月が西空に傾いてゐる |
原文の「東野炎立所見而反見爲者月西渡」は、まるで暗号のように難解で、古くは「あずまののけぶりのたてるところみて・・・」と読んでいたのを、国学者の賀茂真淵(かものまぶち)が現在のように改訓したのだそうです。
また、炎を「かぎろひの」と読む根拠としては、古事記の履中記に「迦藝漏肥能」(かぎろひの)という言葉を含む歌が登場することなどからの類推だとされています。
そこで、『紀記論究外篇 古代歌謡 下巻』(松岡静雄:著、同文館:1932年刊)という本を参考にして、該当する履中記の歌をご紹介します。
【古事記に収録された履中記の古代歌謡】
原文
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読み
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意味
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波邇布邪迦 | はにふざか | 埴生坂に |
和賀多知美禮婆 | わがたちみれば | 立って見わたすと |
迦藝漏肥能 | かぎろひの | 陽炎(かげろう)の |
毛由流伊幣牟良 | もゆるいへむら | 燃えのぼる一群の集落がある |
都麻賀伊幣能阿多理 | つまがいへのあたり | それは自分の妻の家のあたり(らしい) |
この歌は、古事記によると、履中天皇が、弟の反乱によって焼かれた難波宮を見て詠んだ歌とされていますが、歌の意味から考えて、まったく関係のない歌が挿入されていると考えられるそうです。
ここで、第三句の「かぎろひ」は陽炎(かげろう)を意味していて、柿本人麻呂の歌に出てくる「炎」(陽光のかがやき)とは異なるようです。
これについて、前回ご紹介した『新編日本古語辞典』(松岡静雄:著)には、カギルヒという単語が載っていて、次のように説明されています。
「カギルヒ(炎)-カギルはカゲ(光線)の活用(連體)形、ヒは日(太陽)-照射する太陽をいふ。」
つまり、古代において「かげ」は光線を意味していて、その連体形「かぎる」+「日」は、照射する太陽を意味するということです。
したがって、言語学者・松岡静雄氏の見解によると、柿本人麻呂の歌の第二句「野炎」は、「のにかぎるひの」と読むのが正しく、これなら陽炎(かげろう)と区別することができます。
なお、日の当たらない場所を意味する「かげ」という言葉も昔から存在していて、次のように漢字を使い分けていました。
【日影と日陰】(上田万年・松井簡治:著『大日本国語辞典』より)
ちなみに、松岡氏によると、「かげ」(影)は「かがやく」の「かが」から転化した言葉で、「かげ」(陰)は「かき」(垣)の転呼なのだそうです。
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