古代の日本語

古代から日本語には五十音図が存在しましたが、あ行には「あ」と「お」しかありませんでした。

伊勢神宮の古代文字

2024-05-26 08:49:29 | 古代の日本語

今回からしばらくは、『ついに現われた幻の奉納文 伊勢神宮の古代文字』(丹代貞太郎・小島末喜:著、小島末喜:1977年刊)という本の内容を詳しくご紹介していきたいと思います。

この本は、伊勢神宮に奉納され、神宮文庫に保管されていた「神代文字」を丹代貞太郎氏が模写して解読し、小島末喜氏が実物を写真撮影して出版したもので、これらの資料は古来「かみのみたから」とよばれて大切に継承されてきたものだそうです。

小島氏の序文によると、奉納文にわざわざ判り難い古代文字を使った理由は、「日本の神代の神々は、外来宗教と外来文字を嫌われたが故に、神前への奉納文は神の好まれる和文字にしたと察せられる。」(恩師の霊言)からなのだそうです。

第1回は、物部大連尾輿の奉納文です。現代では、この人物は「もののべのおおむらじのおこし」とよばれていますが、実はこれが間違いであることがこの奉納文から明らかになります。

ちなみに、前回は、6世紀中頃に仏教が日本に伝来したことをご紹介しましたが、日本紀には、第二十九代欽明天皇の十三年(西暦552年?)に百済から仏教が公式に伝わり、蘇我稲目がこれを受け入れるよう主張したのに対して、物部大連尾輿と中臣連鎌子が反対したことが書かれています。

このことを、尾輿が仏教を政争の道具にしたと批判する人(例えば親鸞聖人)もいますが、彼がわざわざ古代文字でこのような奉納文を書いていたということは、実は彼が本心から日本の神々を崇敬していたことの証明ではないかと思われるのです。

なお、著作権を尊重するため、掲載されている画像を転載することは控えました。実物の画像にご興味のある方は、国立国会図書館デジタルコレクションというサイトにログインしてご覧ください。

【古代文字の奉納文】

番号
読み
解釈
古代文字の種類
おほくにぬしのおほかみ 大国主大神 阿比留文字
すせりひめのみこと 須勢理毘売命 肥人書
ものへおほむらしをこし 物部大連尾輿 阿比留文字

なお、阿比留文字については、本ブログの「古代の五十音図」という記事を参照してください。

また、肥人書については、「世界の秘密 不思議コラム-25.肥人書」を参照してください。

まず1行目ですが、古事記や日本紀には「大国主神」と表記されている有名な神様の名前が、6世紀には「おほくにぬしのおほかみ」(大国主大神)とよばれていたことが分かります。

また、2行目の「すせりひめのみこと」(須勢理毘売命)は大国主大神の正妻です。

古事記によると、大国主神が中心となって日本の国を作り堅めたそうですから、その夫婦の神様の名前を古代文字で書いて神宮に奉納するということは、日本の神々に対する信仰心の表明ではないかと思われます。

そして、3行目は奉納者の署名で、「ものへおほむらしをこし」に相当する人物は物部大連尾輿と考えられますから、物部は「ものへ」(あるいは「ものべ」)であり、また、氏名に「の」を挿入することもなかったということです。

今日では、習慣的に古代人の氏(うぢ)と名の間にやたらと「の」を補って読みますが、織田信長を「おだののぶなが」とは言わないように、本来はあるがままに読むのが正しいということです。

この習慣は、武内宿禰(たけうちのすくね)という人名に影響を受けているのかもしれませんが、本ブログの「武内宿禰」でご紹介したように、この場合は実は人名ではなく、下三文字(内宿禰)は称号で、「氏(うぢ)の宿禰=氏長」を意味していますから、氏と名の間に「の」を補っているわけではありません。

物部についても、現代人が普通に読めば「ものべ」となりますから、阿比留文字に濁音を表記する機能がないことを考慮すれば、物部大連尾輿は「ものべおほむらじをこし」と読むのが正しいということになります。

また、玉造部(たまつくりべ)や弓削部(ゆげべ)などといった呼称から類推しても、物部が「ものべ」だったことは間違いないと思われますから、このことが、この奉納文が偽造されたものではないことを証明していると考えられるのです。

そもそも、物部を「もののべ」と読む理由は、万葉集において枕詞的に使われる「もののふの」という言葉が「もののべの」から生じたと考えられ、これらの言葉に当てられた漢字表記が以下のようになっていることが理由のようです。

【万葉集における「もののべの、もののふの」の漢字表記】

万葉集の番号
漢字表記
作者
制作年代
50
物乃布能
7世紀末
76
物部乃 元明天皇 8世紀(和銅元年)
264
物乃部能 柿本人麻呂 7世紀後半
369
物部乃 笠朝臣金村? 7世紀後半
478
物乃負能 大伴家持 8世紀(天平十六年)
543
物部乃 笠朝臣金村 8世紀(神亀元年)
928
物部乃 笠朝臣金村 8世紀(神亀二年)
948
物部乃
8世紀(神亀四年)
1047
物負之 田辺福麻呂 8世紀
1470
物部乃 刀理宣令 8世紀
2714
物部乃
3237
物部乃
3276
物部乃
3991
物能乃敷能 大伴家持 8世紀(天平十九年)
4094
毛能乃布能 大伴家持 8世紀(天平二十一年)
4098
毛能乃敷能 大伴家持 8世紀
4100
物能乃布能 大伴家持 8世紀
4143
物部乃 大伴家持 8世紀
4254
物乃布能 大伴家持 8世紀
4266
毛能乃布能 大伴家持 8世紀
4317
母能乃布能 大伴家持 8世紀

しかし、これらは年代不明のものを除けばすべて7世紀後半以降の作品ですから、6世紀に物部が「ものべ」だったとしても不都合はないでしょう。

拙著『神代文字と五十音図の真実』でも指摘しているように、神代文字で書かれた文献には、その内容の正当性に疑問を感じるものも多いのですが、以上の検討結果から、この奉納文は、内容に非の打ちどころがなく、古代の日本に文字があったことを証明し、6世紀の神名と人名の読み方を明らかにしていることから、国宝級の価値がある資料だと思われます。

それにしても、1500年近く前に書かれた奉納文が、何度も模写されて現代まで伝わっていることは、本当に素晴らしいことであり、これらのお宝を守り続けた人々がいた日本という国を、同じ日本人として私は誇りに思います。

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