古代の日本語

古代から日本語には五十音図が存在しましたが、あ行には「あ」と「お」しかありませんでした。

日本紀の「可愛・哀・埃」

2021-07-26 14:03:26 | 古代の日本語

前回までは、古事記にあ行の「え」が使われていなかったということを検証してきましたが、今回からは、日本紀について同様の検証を行なっていきたいと思います。

これまで説明してきたように、あ行の「え」を表わす漢字は「衣、依、愛、哀、埃、榎、得、荏」の八文字とされていますが、日本紀を調べたところ、「衣、依、榎、得、荏」の五文字は日本語の音韻を記述している部分には使われていませんでした。

ところで、日本紀では新たに「可愛」という表記が「え」を表わすものとして登場しますが、これは古事記と同様に、イザナギ・イザナミ両神が互いに声を掛け合う場面で出てきます。

「姸哉可愛少男歟」(あなにゑやえをとこを)

「姸哉可愛少女歟」(あなにゑやえをとめを)

そして、「可愛此云哀」(可愛これを「え」という)という注釈がついています。なお、漢字の表記と読み方については、『国史大系 第一巻』(経済雑誌社:編、経済雑誌社:1897年刊)という本を参照しました。

これは、「え」が訓読みであることを意味しますから、前回論じたように、この「え」があ行に属するという証拠は存在しないと思われます。

さらに、前々回論じたように、「えをとこ」の「え」がや行の「え」である十分な根拠がありますから、「可愛」も、注釈で引用された「哀」も、や行の「え」に間違いないでしょう。

ところで、「哀」はもう一か所、顕宗紀に「蘆雚」というものが登場して、これに対する注釈の部分に次のように書かれています。

「蘆雚此云哀都利」(蘆雚これを「えつり」という)

「えつり」は、『日本古語大辞典』によると、木の枝等を編んだ簀(すのこ)のようなもので、枝連(えつら)の転呼だそうです。

そこで、「枝」の語源を『日本語源』で調べてみると、枝には彌(や=いよいよ)の意味があるので、や行に属すべきものと思われると書かれており、さらに『大日本国語辞典』にも、「枝」という漢字がや行の「え」を表記すると書かれているので、結局、「哀」はや行の「え」だと考えられるのです。

さて、再び「可愛」に戻りますが、これは天孫ニニギの埋葬地に関する部分にも次のように登場します。

「天津彥彥火瓊瓊杵尊崩。因葬筑紫日向可愛之山陵。」
(あまつひこひこほのににきのみことかみあがりましぬ、よりてつくしのひむかのえのみささぎにをさめまつる。)

そして、「可愛。此云埃」(可愛。これを「え」という)という注釈がついています。

したがって、注釈で引用された「埃」もや行の「え」に間違いないと思われるのですが、「埃」はもう一か所、神武紀に次のように書かれています。

「十有二月丙辰朔壬午、至安藝國、居于埃宮。」
(しはすひのえたつのついたちみづのえうまのひ、あきのくににいたりまして、えのみやにまします。)

この「埃宮」(えのみや)は、『日本古語大辞典』によると、地形に由来する名前であり、「え」の原義は「支」(え)で、河海沼湖の水の分岐湾入を意味するそうです。

つまり、「埃宮」の「え」は、前々回ご紹介した語根語ということになりますから、やはりや行の「え」だと考えられるのです。

次回は、最後に残った「愛」という漢字について検証したいと思います。

にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
にほんブログ村


古事記の「荏」

2021-07-18 22:16:56 | 古代の日本語

前回は、あ行の「え」を表わす漢字は「衣、依、愛、哀、埃、榎、得、荏」の八文字とされていて、古事記では「衣、依、哀、埃、榎、得」の六文字は日本語の音韻を記述している部分には使われておらず、「愛」は実はや行の「え」を表記していたということをお伝えしました。

そこで、今回は最後に残った「荏」という漢字について調べてみました。

この漢字は、「荏名津比賣」(えなつひめ)という人名に使われているのですが、『明解漢和大字典』(土屋鳳洲:著、石塚松雲堂:1926年刊)という本によると、「荏」の漢音は「じん」、呉音は「にん」で、「え」は訓読みですから、この「え」があ行に属するという証拠は存在しないと思われるのです。

というのも、『大日本国語辞典』によると、や行の「え」は平安時代の初期までは存在したものの、その後ことごとくあ行の「え」に変化したそうなので、古事記が書かれた時代には、「荏」はや行の「え」だった可能性があるからです。

このことは、古事記で音韻の表記に使われていない「榎」と「得」についても言えることで、「榎」の漢音は「か」、呉音は「け」で、「得」は漢音・呉音ともに「とく」ですから、仮にこれらが「え」の表記に使われていたとしても、それがあ行の「え」だったと断言することはできないでしょう。

ところで、昔は地名を人の名前として用いるのが一般的でしたから、この「荏名津」も地名に由来する可能性が高いと思われるので、同音の地名について調べてみました。

すると、『日本古語大辞典』には、摂津国住吉郡(現在の大阪市住吉区)の「得名津」(えなつ)という地名について、「江の津」(=入り江の港)の転呼であると書かれています。

「江」は、『日本語原』によると、や行の「え」であり、『大日本国語辞典』にも「江」がや行の「え」を表記する漢字であると明記されています。

もし、古代の人が「えなつ」という言葉から「江の津」を連想したのであれば、古事記に登場する「荏名津比賣」の「荏」は、や行の「え」に間違いないと思われるのです。

次回からは、日本紀について検証していきます。

にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
にほんブログ村


古事記の「愛」

2021-07-11 11:20:13 | 古代の日本語

前回は、奈良時代の初頭には、あ行の「え」が存在しなかったということをお伝えしました。

これは『日本古代語音組織考』という本に書かれているのですが、この本の著者の北里闌(たけし)氏は、明治30年にドイツに留学して哲学博士号を授与された秀才で、日本語の音韻や語源を深く研究した人物だそうです。

したがって、本の内容に間違いはないと思われますが、念のため、それが本当かどうか検証していきたいと思います。

奈良時代(西暦710年~784年)には、古事記(712年)と日本紀(720年)がつくられましたが、それらはすべて漢字で書かれており、和歌などの日本語の音韻も漢字で表記されていました。

そして、あ行の「え」を表わす漢字は、『大日本国語辞典』(上田万年・松井簡治:共著、富山房:1941年刊)という本によると、「衣、依、愛、哀、埃、榎、得、荏」の八文字だったそうです。

そこで、これらの漢字が使われている部分を、まずは古事記について調べてみると、「衣、依、哀、埃、榎、得」の六文字は、日本語の音韻を記述している部分には使われていませんでした。

次に、「愛」ですが、これは、国生み神話で有名なイザナギ・イザナミ両神が、次のように互いに声を掛け合う際に出てきます。

「阿那迩夜志愛袁登古袁」(あなにやしえをとこを)

「阿那迩夜志愛袁登賣袁」(あなにやしえをとめを)

これは、「ほんにまあ善き男よ」、「ほんにまあ善き女よ」という意味だそうです。なお、漢字の表記と文章の意味については、『古事記』(藤村作:編、至文堂:1929年刊)という本を参照しました。

ところで、日本語の意味について詳しく論じた本に、『日本語原』(井口丑二:著、平凡社:1926年刊)、および、『日本語源』(賀茂百樹:著、興風館:1943年刊)の2冊があります。

このうち、『日本語原』には、あ行の「え」について、この音に従う語根語はないと書かれています。つまり、「え」が語根(ごこん=言葉の最小単位)になりうるとしたら、それはや行の「え」だということです。

そうであれば、上に述べたように、「愛袁登古」(えをとこ)の「愛」は、「善い」という意味で使われているので、語根語だと考えられますから、「愛」はや行の「え」だと思われるのです。

さらに、『日本語源』には、「愛袁登賣」(えをとめ)の「愛」がや行の「え」であると明記されています。

なお、「愛」はもう一か所、次のような国名を表記するのに使われています。

「伊豫國謂愛比賣」(いよのくにをえひめといひ)

これは、「伊予の国をえひめ(愛媛)といい」という意味で、「えひめ」=兄姫のことだと思われますが、『日本語原』によると、干支(えと)の「え」は兄という意味で、これもや行の「え」であると書かれています。

加えて、『日本古語大辞典』(松岡静雄:著、刀江書院:1937年刊)という本には、「吉、善」を意味する「え」は、転じて「愛、長、兄」等の意となり、形容語尾「し」を添付した「えし」は「よし」と転じて活用されることが書かれています。

したがって、『大日本国語辞典』の記述に反して、「愛」はや行の「え」に間違いないと思われるのです。

次回は、最後に残った「荏」という漢字について検証したいと思います。

にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
にほんブログ村


古代の五十音図

2021-07-04 13:56:48 | 古代の日本語

現代の五十音図は、や行に「や、ゆ、よ」の三文字、わ行に「わ、を」の二文字しかないので、合計四十五文字しかなく、しかも、あ行の「お」とわ行の「を」は発音が同じなので、実は四十四音図ですが、昔はどうだったのでしょうか?

日本には、「神代文字」(かみよもじ)とよばれる古代の文字が伝わっており、『日本古代文字考』(落合直澄:著、吉川半七:1888年刊)という本に、その代表ともいえる「阿比留文字」(あひるもじ)の五十音図が載っているのでご紹介しましょう。

阿比留文字の五十音図

これは、現代人には見慣れない配置で書かれているので、これを次のように書き直してみると、その違いが明らかになります。

古代の五十音図

すなわち、古代の五十音図は、四十七音で構成され、や行とわ行に欠落がなく、逆にあ行には「あ」と「お」しか存在しなかったのです。

なお、わ行の発音は、「ゐ」はウィスキーの「ウィ」、「ゑ」はウェブカメラの「ウェ」、「を」は韓国の通貨ウォンの「ウォ」となります。

その後、奈良時代の初頭までに、や行の「い」とわ行の「う」があ行に移動し、次のような五十音図に変化したと考えられます。

奈良時代の五十音図

これは、『日本古代語音組織考』(北里闌:著、啓光社出版部:1926年刊)という本に書かれている図表から私が推測したもので、この本では、古事記と日本紀について、和歌などの日本語の音韻を記述している部分にどういう漢字が使われているかを分析しているのですが、あ行の「え」の欄が空白になっているのです。

そこで、次回からは、あ行の「え」が本当に存在しなかったのかどうか検証していきたいと思います。

にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
にほんブログ村