古代の日本語

古代から日本語には五十音図が存在しましたが、あ行には「あ」と「お」しかありませんでした。

周辺諸国の名称3

2022-01-02 10:29:16 | 古代の日本語

「魏志倭人伝」に音写された三世紀の日本語をご紹介しています。

前回、前々回の解読結果から、邪馬台国周辺の20か国のうち、解読できなかった国は、4:都支国、6:好古都国、7:不呼国、8:姐奴国、9:対蘇国、11:呼邑国、12:華奴蘇奴国、14:為吾国、16:邪馬国、17:躬臣国の10か国となりました。

これらの国名については、『大日本読史地図』に該当しそうな国や縣が見当たらず、四世紀以降に名称が改変された可能性もありますから、これらを解読するには稲荷山古墳の鉄剣のような参考資料が新たに発見されるのを待つしかなさそうです。

(都支国については、郡支国と書かれた写本もありますが、それでも解読はできませんでした。)

なお、華奴蘇奴国に関しては、もしこれを「かなさな」国と読むことができるのであれば、埼玉県北部にある金鑚神社(かなさなじんじゃ)と関係がありそうです。

この「かなさな」の意味については、『原日本考』(福士幸次郎:著、白鳥書房:1942年刊)という本に、「外皮を鉄でまとった所の、果物や穀物の如き形状のもの、即ち鈴のこと」であると書かれています。

つまり、かな=金(かね)で、金属を意味し、さな=実(さね)で、かなさな=金属製の実=鈴ということになります。

鈴は、鏡とともに祭祀の道具として非常に重要視されていたようで、『日本考古学大系 漢式鏡』(後藤守一:著、雄山閣:1926年刊)という本によると、鏡のふちに鈴をつけた鈴鏡(れいきょう)が日本各地で発見されているそうです。

また、鈴鏡の分布は、関東地方から中部地方に集中していて、鈴の数については、5つの鈴をつけた五鈴鏡が最も多いようです。

次の写真は、武蔵国児玉郡青柳村大字新里(現在の埼玉県児玉郡神川町新里)で発見された五鈴鏡で、新里の南西端は金鑚神社から直線距離で1.5kmたらずのところにあります。

五鈴鏡
【祭器として用いられた五鈴鏡】(『日本考古学大系 漢式鏡』より)

さらに、金鑚神社のホームページによると、近くを流れる神流川(かんながわ)周辺では刀などの原料となる良好な砂鉄が得られたそうです。

以上のことから、金鑚神社を中心とする地域に、金属の製錬・加工に従事する技能者たちを集めて鈴や鈴鏡を生産した国があったとしても不思議ではないでしょう。

このことは、大和朝廷の支配が二世紀末までに関東一円に及び、已百支国や鬼奴国が東北や関東にあったとした前回の考察とも整合がとれます。

そこで、華奴蘇奴の読みについて考えてみると、以前に奴国を「な」国と読み、蘇奴国を「さな」国と読んでいるので、問題は華の発音ということになります。

『明解漢和大字典』には、華の漢音は「くわ」、呉音は「げ」と書かれています。

また、『実用支那語発音辞典』(石山福治:編、大学書林:1937年刊)という本によると、華の現代音は「hua」(ほわ)だそうです。

華の現代音
【華の現代音】(『実用支那語発音辞典』より)

さらに、本ブログの「雄略天皇の和名」という記事でご紹介したように、獲(くわく)は「わ+K音」の場合の「わ」を表記していました。

したがって、華は「わ」を音写した文字である可能性が高いと思われるのです。

ただし、古代の日本人の発する「か」の音が、魏の役人には「わ」と聞こえた可能性があるかもしれないと思い、方言にそういった痕跡が残されていないか調べてみました。

すると、『方言採集手帖』(東条操:著、郷土研究社:1928年刊)という本には、地方によっては語頭の「か」を「は」や「あ」に訛ることがあると書かれていました。

そうであれば、古代の日本人が語頭の「か」を「は」(kha、あるいは、kfa)と発音し、それを聞いた魏の役人が華(kwa)と書き写したのかもしれません。

他に該当しそうな国や縣が存在しないことからも、華奴蘇奴国が「かなさな」国である可能性はとても高いと思われるのです。

次回も「魏志倭人伝」の続きです。

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