古代の日本語

古代から日本語には五十音図が存在しましたが、あ行には「あ」と「お」しかありませんでした。

壱岐の「い」はや行だった

2021-09-19 10:29:16 | 古代の日本語

前回から、「魏志倭人伝」を地理学的観点から論じている『上代日支交通史の研究』の内容をご紹介しています。

今回は、対馬を出港してからの記述です。

原文
又南渡一海千餘里 また南に一海を渡ること100kmあまり
名曰瀚海至一大國 (海の)名は瀚海といい、壱岐国に至る。

ここで、著者の藤田氏は、「一大國」は「一支國」の誤りで、「一支=壱岐」であるとしていますが、そうであれば、対馬の中央部から西回りに航行すると壱岐まで約100kmとなるので、ここでも距離が正確に測定されているようです。

また、ここで注目すべき点は、「一」という漢字で「い」という声音を表記していることで、これは壱岐の「い」がや行の「い」であったことを意味していると思われるのです。

というのも、このあとに「伊都國」というものが登場するのですが、この「伊」はあ行の「い」なので、壱岐の「い」を表記するのにわざわざ別の漢字を用いたのは、発音が異なっていたためだと考えられるからです。

なお、壱岐は、古事記には「伊伎」と表記されていますが、これは本ブログの第九回の記事でご紹介したように、や行の「い」が使われなくなった奈良時代初頭の発音なので、当然のことです。

一方、日本紀では、壱岐は「壹岐」(国生み神話)、および「以祇」(継体紀の歌謡)と表記されていて、「壹」は「壱」の旧字体で「一」という意味であり、「以」は『大日本国語辞典』によるとや行の「い」です。

加えて、万葉集第十五巻の3694番と3696番の歌には、壱岐が「由吉」と表記されているので、壱岐の「い」がや行の「い」であったことは間違いないと考えられるのです。

次回も「魏志倭人伝」の続きです。

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