古代の日本語

古代から日本語には五十音図が存在しましたが、あ行には「あ」と「お」しかありませんでした。

あ行の「え」のまとめ

2023-07-22 10:50:53 | 古代の日本語

前回、前々回と、あ行の「え」が存在しなかったということを述べてきましたが、この主張の締めくくりとして、『国語・国文 第五巻第十号』(京都帝国大学国文学会:編、星野書店:1935年刊)という雑誌に掲載された「ア行のエの発生」(窪田寿子:著)という論文を簡単にご紹介します。

それによると、「え」を含むあらゆる語について逐一研究した結果、あ行と思われていた衣・依も含めてすべてがや行に属するものであるということを証明することができたので、「純粋な工といふ母韻は国語にはなかった」と結論付けています。

したがって、この論文は、本ブログの当初からの主張が正しかったことを証明してくれていると考えられます。

それでは、あ行の「え」に関するこれまでの考察をまとめておきましょう。

1.奈良時代の初頭には、あ行の「え」(母音の〔e〕)がなかった
 参考:本ブログの「古代の五十音図」~「日本紀の「愛」

2.平安時代初期の二つの「え」は、〔ye〕の甲乙二種類に相当し、平安時代にもあ行の「え」がなかった
 参考:本ブログの「あ行の「え」は存在しなかった」、「あめつちの詞

3.室町時代にもあ行の「え」がなかったことは確実で、江戸時代にあ行の「え」が誕生した
 参考:本ブログの「音韻の変遷

なお、甲乙二種類の区別について、『国語学概説』(阿部三郎:著、明玄書房:1966年刊)という本には、「当時も帰化人またはその子孫が学間の最高の指導者であったので、いわゆる百済音、呉音で現代では古音という観点からの区別ではないだろうか。」と書かれています。

これを私なりに解釈すると、日本語の音を漢字(万葉仮名)で記録する場合には、各自が好きな漢字を勝手に使ったわけではなく、帰化人またはその子孫が規則を定めていたということのようです。

そして、日本人が認識する一つの音韻が、帰化人には音声学的に二種類の異なる音として聴こえる場合があったため、それを甲乙二種類の漢字群で書き分けたということのようです。

最後に、「え」という平仮名の字源について興味深い説をご紹介します。

「え」は、一般的には衣の草書体からつくられたとされていますが、『女学講義 第三回後期第七巻』(大日本女学会:1902年5月刊)という雑誌の「文法」(今泉定介:講述)という記事には次のようなことが書かれています。

「・・・みづのえ(壬)のえは、兄の義にて、兄はえの仮字なれば、これを用ふべし。」

つまり、「え」の字源は兄という漢字だというのです。

ちなみに、干支(えと)は、厳密には十二支ではなく十干(じっかん)を意味し、五行の木・火・ 土・金・水(き・ひ・つち・かね・みづ)を兄(え)と弟(と)に分けて次のように表わします。

【十干】
甲(きのえ) 丙(ひのえ) 戊(つちのえ) 庚(かのえ) 壬(みづのえ)
乙(きのと) 丁(ひのと) 己(つちのと) 辛(かのと) 癸(みづのと)

したがって、みづのえ(壬)は水の兄という意味になるわけです。

さて、本題に戻って、『和漢五名家対照三体千字文集成』(書道普及会:編、大洋社出版部:1938年刊)という本で兄の書体を調べてみると次のようになりました。

兄の楷書体・行書体・草書体
【兄の楷書体・行書体・草書体】(書道普及会:編『和漢五名家対照三体千字文集成』より)

これを見ると、確かに兄の草書体は平仮名の「え」に似ていますね。

これに対して、衣の書体は次のようなものです。

衣の楷書体・行書体・草書体
【衣の楷書体・行書体・草書体】(書道普及会:編『和漢五名家対照三体千字文集成』より)

これらを見比べてみると、衣の草書体は最後の一画が余っていて、しかも、その直前の縦棒が長すぎるので、私には「え」の字源は兄の草書体だと思われるのです。

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あめつちの詞

2023-06-24 08:31:59 | 古代の日本語

前回は、あ行の「え」(母音の〔e〕)が誕生したのは江戸時代になってからだということを論じました。

しかし、多くの国語学者は、あ行の「え」が古くから存在したと考えており、当然ながら、それには動かしがたい証拠がありました。

それは、平安時代の初期には使われていたとされる手習い詞(ことば)、「あめつちの詞」です。

これは、『国語学史』(三木幸信・福永静哉:共著、風間書房:1966年刊)という本によると、次のような48音の文字列で、音の重複がないとされています。

【あめつちの詞】

読み
解釈
あめ つち ほし そら 天 地 星 空
やま かは みね たに 山 河 峯 谷
くも きり むろ こけ 雲 霧 室 苔
ひと いぬ うへ すゑ 人 犬 上 末
ゆわ さる おふせよ 硫黄 猿 生ふせよ
を なれゐて 榎の枝を 馴れ居て

これを見ると、最後の行に「え」が2つあり、先頭の「え」はあ行、末尾の「え」はや行と考えて、これが、あ行の「え」が古くから存在した証拠だとされているのです。

これに対して、『国語学の諸問題』では、その後の時代に手習いに使われるようになった「太為爾(たゐに)の歌」と「いろは歌」を例に挙げて、「え」が時代と共に次のように変化していることを指摘しています。

手習い詞歌
あ行
や行
あめつちの詞
え(榎)
え(枝)
太為爾の歌
え(衣)
いろは歌
え(江)

つまりこれは、平安時代の初期にあ行とや行に存在した二種類の「え」が、その後あ行だけになり、さらにその後や行だけになった(あるいは、あ行の〔e〕が〔ye〕になった)ことを意味していますから、これが本当なら、なぜそうなったのか説明する必要があります。

これについて、『国語学の諸問題』の著者の小林氏は、その説明が困難であることを指摘し、もともとあ行の「え」が存在せず、〔ye〕が二種類あったと考えるのが正しいと主張しているのです。

なお、〔ye〕が二種類あったと言うと、何を言っているのかと思われるかもしれませんが、『古代国語の音韻に就いて』(橋本進吉:著、明世堂書店:1942年刊)という本によると、実は奈良時代には「き、け、こ、そ、と、の、ひ、へ、み、め、よ、ろ」の12音(濁音まで含めると19音)が甲乙二種類に書き分けられており、発音が異なっていたと考えられるそうです。

これは、万葉集などにおいて、日本語の発音を表記するのに使われた漢字(万葉仮名)を分析して明らかになったそうで、例えば「の」は、「怒、弩、努」(甲類)と「能、乃、廼、笶、箆」(乙類)の区別があったそうです。

また、飛鳥時代の後期に編纂が開始された古事記には、「も」の音も甲乙二種類に書き分けられているので、もっと古い時代にはさらに多くの音が甲乙二種類に分かれていたかもしれないそうです。

そして、「え」については、「愛、哀、埃、衣、依、榎、可愛、荏、得」(あ行)と「延、曳、睿、叡、遥、要、縁、裔、兄、柄、枝、吉、江」(や行)の区別があったと書かれています。

これに対して、小林氏は、それはあ行の「え」が存在したはずだという先入観によるもので、実は〔ye〕の甲乙二種類の違いなのだと言っているわけです。

確かに、この小林氏の主張は論理的であり、説得力がありますね。

次回は、あ行の「え」に関するまとめです。

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あ行の「え」は存在しなかった

2023-05-27 08:57:59 | 古代の日本語

前回ご紹介した『国語学の諸問題』(小林好日:著、岩波書店:1941年刊)には、とても興味深いことが書かれています。

それは、国学者として有名な本居宣長(もとおりのりなが)が、字余りの歌は句のなかに「あ、い、う、お」の音がある場合だけであり、「え」の音がないことを指摘していることです。

これを具体的に説明するため、例として、平安時代の代表的な歌集である古今和歌集に収録された最初の歌をご紹介します。(参考文献:『古今和歌集』(藤村作:編、至文堂:1928年刊))

● 年の内に春はきにけりひとゝせをこぞとやいはむことしとやいはむ (在原元方)

解釈
読み
句の長さ
年の内に としのちに
春は来にけり はるはきにけり
一年を ひととせを
去年とや言はむ こぞとやいはむ
今年とや言はむ ことしとやはむ

この歌は、『古今和歌集 新古今和歌集』(平井卓郎:著、さ・え・ら書房:1963年刊)という本によると、「まだ(陰暦の)正月にもならない年内に立春になったことだ。同じ一年なのに、これを去年と呼んだものか、それとも今年と呼んだものか」という意味だそうです。

ご存じのように、和歌(短歌)の句の長さは基本的に五七五七七ですが、この歌は六七五七八となっていて、字余りとなった第一句と第五句にそれぞれ「う」と「い」が存在しています。

本居宣長は、こういったことを古今和歌集以降の歌集について調査した結果、平安時代には字余りの歌は該当する句のなかに「あ、い、う、お」の音がある場合だけであることを発見し、「え」の音がないのを不思議に思っていたそうです。

これに対し、『国語学の諸問題』の著者の小林好日(こばやしよしはる)氏は、「え」が古くから母音ではなかったと考えるとこの現象は容易に説明できると述べ、あ行の「え」が存在しなかったことを23ページにわたって論じています。

なお、平安時代には、悉曇学(しったんがく=サンスクリット語の仏教経典を読むための学問)が発達し、発音に関する知識も豊富になり、漢字の発音を借りて、次のような漢字の五十音図が作成されていたそうです。(参考文献:『音図及手習詞歌考』(大矢透:著、大日本図書:1918年刊))

平安時代初期の漢字の五十音図
【平安時代初期の漢字の五十音図】(大矢透:著『音図及手習詞歌考』より)

これを見ると、あ行の「え」に衣、や行の「え」に江という互いに異なる漢字を当てていて、一見するとあ行の「え」が古くから存在していたように思われます。

しかし、小林氏はこれについても、「エメ虫」という言葉が衣女虫と江女虫の二通りに表記されていることなどを例に挙げて、五十音図は悉曇にならって音韻を理論的に配列したものであり、実際には衣が江と同じ音、つまり〔ye〕だった可能性があることを指摘しています。

私はこのブログで、奈良時代の初頭にはあ行の「え」がなかったと主張してきましたが、今回の小林氏の考察によると、どうやらこの状態は平安時代以降も継続し、前回の最後にご紹介したように、江戸時代になってからあ行の「え」(母音の〔e〕)が誕生したということのようです。

したがって、前回ご紹介した音韻の変遷表は、次のように書き換えるのが正しいようです。

 
奈良時代
その後の音韻変化
変化した時期
あ行
a i u - o
a i u e o
江戸時代
や行
ya - yu ye yo
ya - yu - yo
江戸時代

そして、このことは、古代の五十音図のあ行には「あ」と「お」しか存在しなかったことを理解すれば、容易に受け入れることができるのではないでしょうか? (ここに阿比留文字の五十音図を再度掲載しておきます。)

再構成した阿比留文字の五十音図

次回も、『国語学の諸問題』の内容をご紹介します。

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音韻の変遷

2023-04-23 11:30:28 | 古代の日本語

今回は、音韻の変遷について解説するわけですが、その前に音韻の定義について、『国語学の諸問題』(小林好日:著、岩波書店:1941年刊)という本に書かれている内容をご紹介します。

まず、音声と音韻の違いですが、われわれが具体的に聞く音声は百人百様で、それに訛(なまり)とか気分とかさまざまな属性を含んでいますが、一方、音韻は人が繰返して経験したたくさんの音声から抽象され脳裡に構成されている概念なのだそうです。

これを具体的に説明すると、「でんぽう」(電報)、「でんとう」(電燈)、「でんき」(電気)の三語における「ん」は、音声学では〔m〕、〔n〕、〔ŋ〕の三つのちがう音声ですが、音韻としては一つの平仮名の「ん」が表わすように、一個の音韻であるというわけです。(〔ŋ〕は鼻に抜ける音(鼻音)を表わす発音記号)

そして、音韻は概念ですから、音韻変化は口先で起こるのではなく、人の頭のなかで起こるということを理解することが大事なのだそうです。

ところで、この「ん」は、前回ご紹介した阿比留文字の五十音図には存在しない音韻であり、古代においては「ん」という音韻は存在しなかったということになります。

その証拠に、大阪の難波(なんば)は、古くには「なには」と発音されていましたし、商人(あきんど)は「あきひと」、殆(ほとんど)は「ほとほと」、簪(かんざし)は「かみさし」、東(ひんがし)は「ひむかし」でした。

このように、原音が「ん」に変化してその直後の清音が濁音になることを撥音便(はつおんびん:撥は「はねる」という意味)といいますが、『たまがつま』(本居宣長:著、清水重道:編、柴山教育出版社:1943年刊)という本によると、撥音便は奈良時代の終わりからぽつぽつ現われはじめたそうです。

また、「ん、ン」という平仮名・カタカナの字源に関して、『日本随筆大成 第二期巻四』(日本随筆大成編輯部:編、日本随筆大成刊行会:1928年刊)という本には、「に」の音が「ん」になることが多かったことから、「ん」は「に」の連書(つづけがき)、「ン」は「ニ」の急書(するどがき)であると書かれています。

実は、「ん、ン」の字源は漢字であるという説(例えば、「ん」の字源は「无」、「ン」の字源は「尓」など)があるのですが、私には『日本随筆大成』の説のほうが説得力があるように思われます。

さて、本題の音韻の変遷ですが、『国語学概説』(阿部三郎:著、明玄書房:1966年刊)という本には次のようにまとめられています。(か行、が行、な行、ば行、ま行、ら行は変化なし)

【音韻の変遷】(阿部三郎:著『国語学概説』より)

 
奈良時代
その後の音韻変化
変化した時期
あ行
a i u e o
a i u ye o
a i u e o
平安時代中期
江戸時代(他文献より)
さ行
sha shi shu she sho
(s、ts、ch説もある)
sa shi su she so
sa shi su se so
室町時代末期
江戸時代
ざ行
ja ji ju je jo
za ji zu je zo
za ji zu ze zo
室町時代末期
江戸時代
た行
ta ti tu te to
ta chi tsu te to
室町時代
だ行
da di du de do
da dji dzu de do
da ji zu de do
室町時代
江戸時代
は行
fa fi fu fe fo
ha hi fu he ho
江戸時代
や行
ya - yu ye yo
ya - yu - yo
平安時代中期
わ行
wa wi - we wo
wa - - - -
平安時代末期

この表を見ると、奈良時代には、さ行は〔sha,shi,shu,she,sho〕、ざ行は〔ja,ji,ju,je,jo〕、は行は〔fa,fi,fu,fe,fo〕などとなっていて、前回のた行と同様に父音が一定ですから、この表も阿比留文字の五十音図が古代の発音を表記したものであることを証明していると考えられます。

なお、この表に示された音韻の変化は、日本全国で一様に起こっているわけではなく、前回ご紹介したように、古い発音が長く保存されている地方も存在します。

例えば、この表では、わ行の〔wi,we,wo〕が平安時代末期に消失した(正確にはあ行の〔i,e,o〕との区別が失われた)ことになっていますが、明治時代に出版された『音韻調査報告書』(国語調査委員会:編、日本書籍:1905年刊)によると、埼玉県入間郡飯能地方の人は〔wi,we,wo〕を正しく発音していたそうです。

また、この表には記載しませんでしたが、音韻の細かい変化は数多くあり、例えば、は行の音は、平安時代中期以降、わ行・あ行の音と混同されるようになり、粟(あは)が「あわ」、飯(いひ)が「いい」、食(くふ)が「くう」、蠅(はへ)が「はえ」、塩(しほ)が「しお」などとなったそうです。

ところで、この表のあ行の欄を見ると〔e〕が〔ye〕に変化していますが、これは平安時代中期にあ行の「え」とや行の「え」の区別がなくなったと書かれていて、加えて室町時代末期の「え」が〔ye〕だったという説が紹介されていることから、このように表記しました。

そして、『近代日本語の新研究』(杉本つとむ:著、桜楓社:1967年刊)という本によると、江戸時代には「え」が現代と同じ〔e〕になったそうです。(「お」も、室町時代には〔wo〕で、江戸時代に〔o〕になったと書かれています。)

次回は、実はあ行の「え」は最初から存在しなかったというを説をご紹介します。

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た行の発音

2023-03-25 09:04:10 | 古代の日本語

儒学者として有名な荻生徂徠(おぎゅうそらい)の随筆『なるべし』(荻生徂徠:述、箕輪醇:増補纂評、小林新兵衛:1894年刊)という本に、「ふるき詞は多くは田舍に殘れる事いとありがたき事なり」と書かれていますが、これは古代の言葉が方言に残されていることを指しています。

このことは発音についても同様で、『国語音韻論』(金田一京助:著、刀江書院:1932年刊)という本には、高知その他で現に「つ」を今なお〔tu〕に発音していると書かれていて、これは、高知県に古い日本語の発音が保存されていたためだと考えられるのです。

さらに、『土佐方言の研究』(高知県女子師範学校郷土室:編、高知県女子師範学校:1936年刊)という本には、高知県ではジとヂ、ズとヅを明確に区別して発音していると書かれています。(発音記号を使って厳密に書くと、高知県のヂは〔dʒi〕、ヅは〔dzu〕だそうです。)

つまり、た行やだ行の古代の発音は、現代とは異なっていたということです。

そこで、古い時代の日本語の発音を知る手掛かりを探したところ、『音図及手習詞歌考』(大矢透:著、大日本図書:1918年刊)という本に収録されている次のような五十音図がありました。

発音が表記された五十音図
【発音が表記された五十音図】(大矢透:著『音図及手習詞歌考』より)

これは寛治六年十二月(西暦1093年1月)に書かれたもので、この平安時代後期の五十音図を見ると、た行の発音は、

ツア、ツイ、ツウ、ツエ、ツオ

と書かれていて、ちょっと驚いてしまいますが、『日本民族とローマ字』(宮崎静二:述、標準ローマ字会:1964年刊)という本によると、これは次の音韻を表記したものなのだそうです。

タ(ta)、ティ(ti)、トゥ(tu)、テ(te)、ト(to)

つまり、当時のツの発音は現在とは異なるトゥ(tu)であったため、この音を父音として、父音(トゥ)+母音(アイウエオ)でた行の発音を表記していたというわけです。

また、『大日本国語辞典 す-な』(上田万年・松井簡治:著、金港堂書籍・冨山房:1917年刊)という本によると、奈良時代においても、チは〔ti〕、ツは〔tu〕だったそうです。

したがって、もっと古い時代においても、た行の発音はタ(ta)、ティ(ti)、トゥ(tu)、テ(te)、ト(to)だったと思われますが、確かにこの発音だと舌の位置が変化しないので、いかにも本来の発音という感じがします。

そして、た行の濁音であるだ行の発音も、当然ながらダ(da)、ディ(di)、ドゥ(du)、デ(de)、ド(do)だったということになります。

このことを裏付ける証拠としては、父親(ちちおや)を「てておや」と言ったり、疾風(はやて)が古くには「はやち」と発音されていたことが挙げられると思います。

疾風(はやて)とその古語
【疾風(はやて)とその古語】(上田万年・松井簡治:著『大日本国語辞典』より)

つまり、「ち」の発音が古代においては「てぃ」であったため、「てぃてぃおや」が「てておや」となり、「はやてぃ」が「はやて」になったと考えられるわけです。

それでは、た行の発音が現在のように変化した時期はいつ頃かというと、『新修国語要説』(東条操:著、星野書店:1943年刊)という本によれば、室町時代になってからなのだそうです。

ところで、古代のた行の発音がタ(ta)、ティ(ti)、トゥ(tu)、テ(te)、ト(to)だったということは、本ブログの「古代の五十音図」でご紹介した阿比留文字の五十音図が、古代の発音を表記したものであることを証明していると考えられます。(ここにその五十音図を再度掲載しておきます。)

阿比留文字の五十音図

つまり、この五十音図は、明らかに父音と母音から構成されていて、父音が途中から変化することは考えられませんから、必然的にた行はトゥ(tu)、ト(to)、ティ(ti)、テ(te)、タ(ta)となるわけです。

次回は、音韻の変遷について解説します。

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