熊野醉軍

天に導かれるままに、旅紀行を綴っていきまする。

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2007年10月10日 御所・吉野の旅 4 源義経隠れ塔と金峯神社

2008-11-23 15:15:08 | 近畿(奈良)
((行程))

1.巨勢山口神社 → 2.後醍醐天皇陵および長慶天皇皇子世泰親王墓 → 3.如意輪寺 → 4.金峯神社

→ 5.奥千本・西行庵 → 6.吉野水分神社 → 7.村上義隆公墓 → 8.東南院 → 9.吉野神宮

→ 10.蔵王堂 → 11.竹林院 → 12.櫻本坊 → 13.喜蔵院 → 14.村上義光公墓

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 車で奥千本に車をまわし、駐車場から金峯神社にはいる・・・

 変わった野草が入っている。




 そして、上ると源義経隠塔がある。




 果たしてこれが平安末期から鎌倉時代にかけて立っていた当時の建物とは思わない。それに、もしそうであったらば、
国宝か国の重要文化財であるはずだからね。まあ、いずれにせよ、鎌倉殿より追討される立場になったときにこの辺りに
来たのは、静御前が中千本でとらわれていることからも確実である。伝承では、義経一行が三日ほどこの近辺に潜んだとの事。

 そして、さらに100メートル弱歩くと金峯山寺蔵王堂奥の院といわれる金峯神社が建つ。ここは、社務所が数年前に放火され
全焼したが今は再建している。反対に同時期に全焼させられたかって神社はいまだに再建の目処が立っていない。義経憎しの
犯行なのか?

 金峯神社である。




★金峯神社★ 奈良県吉野郡吉野町吉野山1651

・祭神は、金山毘古神と金山姫神。日本書紀に「伊弉冊尊火神軻遇突智を生まむとしたまう時に悶 熱懊悩、咽ぐたりて
吐したまう此れ神と化為りましつ、名を金山彦という」とある。
・創立年代は不明。林道春の神社詳説には、古今皇代図説の記事を引いて「宣化天皇 の三年和州金峯山に明神出現、
安閑天皇の霊と称す」とあるが、詳かでない。吉野八社明神の随一であり、恐らく創祀は奈良以前にさかのぼると思わ
れる。
・延喜式神名帳には、吉野郡十座の神社の中に吉野山口神社・吉野水分神社とともに連ね、三社とも大社に列せられて
いる。
・金峯の神は一名金精明神とも呼ばれ、金峯山一連の峯々の地主神として、金鉱を守 護して黄金を司る神であった。
・式内社で名神大社。旧社格は郷社。
・『栄華物語』によると藤原道長が詣で祈願したとかかれている。


 社殿前で、M子師匠。



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