熊野醉軍

天に導かれるままに、旅紀行を綴っていきまする。

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血のつながる人間と縁が切れる時

2008-04-11 18:23:22 | LIFE and WORK
私と弟はあまり話す事はない。最近は運送業で腕力が私より強くなったからと
喧嘩も私には勝てると思っている。することはないが、正直、自分が本気で
すれば三十分もあれば余裕で息の根を止めることも出来る。天理を舐めては
いけない。彼は学生時代も社会に出てからも限られたコミュニティで生活を
続け、いわば「井戸に住み続けている蛙」であり、自分の物差しでしか何事も
計れない。ものごとの価値観、判断能力もその程度で、周りのレベルの低さも
知らず、結婚し、子供を作り、生活を営んでいることで立派な大人のつもり
だそうだ。呆れ果てる。 不満などは山のようにあるが今年に入る前までで
疑問に思うのは、切迫早産で生後十日で死んだ娘を父に頼み天理教で祭るように
依頼したにもかかわらず、お席を運びに行くこともなく信者にならない。それは
いいとして、月一度の月次祭、教会長が実家に来てくれるのだが四年近く一度
も参加したこともなく、いつするのか尋ねに来たこともない。家は実家から
わずか数分のくせに。仏教でも何でも自由にしなさいと言った結果がこれだ。
さらに甥の一人が障害児で原因不明だが発達が異様に遅い。まだ、乳児。
夏に床で眠りに落ちたら暑くても毛布などをかけるのが常識だが、自分達夫婦
の感覚だけで寒くないからと放置。体温調節が出来ない子を殺すつもりなのか?
彼らの結婚式、あちらの兄が働いているホテルで結婚式をあげてくれ、との
ことで不必要な金を使った挙句、あちらは金を出さないくせにこちらに何の
相談もなく親戚を思いっきり招待して全体の八割強を占めようとした常識の
かけらもない家族だ。ま、向こうのお父さんも亡くなられたことだし、私は
もう交流も持つ気がないからいいが。 そういった不満ばかりの背景の上、
今年だ。両親の還暦祝いに私は両親を天橋立に蟹旅行に招待した。わたしは
弟家族を呼びたくなかったが親が言うので自分達の金を払わせて参加させた。
車で来ると言うので別に移動だったが、雪のため、スタッドレスタイヤを父に
支払わせ、交通費、途中の食費はすべて母に払わせている。金に困っていない
のに、還暦祝いなのにこの有様。ホテルのアルコールなどの追加料金も自分達
から払うとくるかな、と思ったが何もなく、私が全て出している。
さらにその少し前の正月にもトラブっている。甥が障害児だから一、二分とは
いえ車で来ている。それはいいが、たとえ数百メートルだろうが運転するわけ
だから飲酒は許されない。しかも、クロネコヤマトの宅配ドライバーで
センター長らしいのにまったく自覚がなく情けない。酒を飲む気で来ている
のだ。さらに嫁の方も「私も飲む」という。わたしは激しく説教したが
「気分を害した」と帰ろうとする始末。この時は向こうについた両親の無責任
ぷりもなさけなかったが。もっと情けないのが弟の妻。自分から「じゃ、今日
は私はNちゃんが飲むので控えます」という考えすら出ないのかね。情け
ない奴等だ。
そして、最近、電器屋がオール電化の話を持って来て、電話で相談して来た。
父はちなみに大阪ガスだ。それだけでもありえない話。口車に乗せられて、
営業が口に出さない短所を列挙してあげたにもかかわらず、学生時代からずっと
父に助けられ、顔を潰して来て、また、顔を潰す。大方、妻の母に
「Nちゃんらのすきにしたら」といわれて決めたに違いない。ずっと、経済的
にも、生活面でも一番一生懸命してくれてる両親を軽んじて、むこうの親のいう
ことばかり聞く、弟とそれを当然と思う義理の妹にはもはや言う言葉がない。
向こうの家族も恥知らずな常識のない家庭だとずっと思って来たが、開いた口が
ふさがらない。 弟と仲がいいわけではなかったが、結婚相手に悪いと思い
できる限り付き合うようにして来たが、もうその必要もないだろう。
もう十分だ。彼はもう弟ではない。今、彼らのみに不幸ごとが起こっても
助ける気も参加するにもない。たとえ、告別式であっても。
もし、今のまま行くならば、将来の親の葬式にも参列させる気はない。
人の道を知らぬ者は、身内に必要ではない。
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