((ルート))
1.薬師寺 → 2.津島神社 → 3.浄照寺
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淨照寺に隣接して、本誓寺という寺がある。
ここは、田原本領主平野氏の菩提寺であったそうだ。二代目領主長勝が
教行寺跡地を二分して、淨照寺と本誓寺をこの地に置いたらしい。そして、
本寺は、平野家菩提寺になった。
①表門
②名札
すごく由緒正しいのがわかる・・・
③広徳院廟
・九代目領主平野兵庫助権平長発墓所。
・文政十二年(1829)家督相続。
・駿府城加番を勤める傍ら書にも通じ大和三筆と賞賛される。
・嘉永六年(1853)十二月二十六日、四十歳で没。
・霊廟は三回忌にあわせ、十代領主平野遠江守内蔵助長裕が安政二年(1855)
四月に建立。
・長裕は田原本藩が実高一万石であったために明治維新後、初代田原本藩主
となった。
④本覚院廟
・二代目領主平野権平長勝の墓所。
・長泰の長男で、寛永五年(1628)家督を相続し、田原本陣屋を築き、町を整備
菩提寺本誓寺建立など領内充実を計った名君といわれる。
・霊廟は五十回忌にあわせ、四代領主平野右衛門長英が享保二年(1717)十一月
に建立。
ただ・・・他の領主の墓はどこにあるんだろう、と疑問に思う。
ちなみに、本誓寺と淨照寺は境内が塀ではなく、ただ小さな溝で分けられて
いるだけだ・・・
最後にこの二寺の前の通りの写真。
★慈航山本覚院本誓寺★ 奈良県磯城郡田原本町茶町
・浄土宗の寺。
・開基は、鎌倉時代の伝承もあるが不明。
・江戸時代の田原本領主であった平野氏の菩提寺。
・正和五年(1316)花園天皇の勅願所として本覚院を号し、八幡町にあった
という。
・弘化二年(1845)知恩院宮尊超法親王、有栖川宮有縁のため本覚院の御染筆
の額を賜り、その由緒を持ち慶応3年(1867)門跡格の五本筋壁を許され
十カ寺の末寺を支配するに至った。
これにてこの日の旅は終了。
1.薬師寺 → 2.津島神社 → 3.浄照寺
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淨照寺に隣接して、本誓寺という寺がある。
ここは、田原本領主平野氏の菩提寺であったそうだ。二代目領主長勝が
教行寺跡地を二分して、淨照寺と本誓寺をこの地に置いたらしい。そして、
本寺は、平野家菩提寺になった。
①表門
②名札
すごく由緒正しいのがわかる・・・
③広徳院廟
・九代目領主平野兵庫助権平長発墓所。
・文政十二年(1829)家督相続。
・駿府城加番を勤める傍ら書にも通じ大和三筆と賞賛される。
・嘉永六年(1853)十二月二十六日、四十歳で没。
・霊廟は三回忌にあわせ、十代領主平野遠江守内蔵助長裕が安政二年(1855)
四月に建立。
・長裕は田原本藩が実高一万石であったために明治維新後、初代田原本藩主
となった。
④本覚院廟
・二代目領主平野権平長勝の墓所。
・長泰の長男で、寛永五年(1628)家督を相続し、田原本陣屋を築き、町を整備
菩提寺本誓寺建立など領内充実を計った名君といわれる。
・霊廟は五十回忌にあわせ、四代領主平野右衛門長英が享保二年(1717)十一月
に建立。
ただ・・・他の領主の墓はどこにあるんだろう、と疑問に思う。
ちなみに、本誓寺と淨照寺は境内が塀ではなく、ただ小さな溝で分けられて
いるだけだ・・・
最後にこの二寺の前の通りの写真。
★慈航山本覚院本誓寺★ 奈良県磯城郡田原本町茶町
・浄土宗の寺。
・開基は、鎌倉時代の伝承もあるが不明。
・江戸時代の田原本領主であった平野氏の菩提寺。
・正和五年(1316)花園天皇の勅願所として本覚院を号し、八幡町にあった
という。
・弘化二年(1845)知恩院宮尊超法親王、有栖川宮有縁のため本覚院の御染筆
の額を賜り、その由緒を持ち慶応3年(1867)門跡格の五本筋壁を許され
十カ寺の末寺を支配するに至った。
これにてこの日の旅は終了。