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熊野醉軍

天に導かれるままに、旅紀行を綴っていきまする。

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2006年10月29日 7 中村直三農功の碑

2006-10-29 23:00:07 | 近畿(奈良)
 拍子神社の裏にありました・・・

 読ませていただきました・・・・

 奈良県職員をしていたにもかかわらず、彼のことを知らなかった・・・

 恥ずかしい次第でございます・・・

 奈良の、そして、日本の偉大なる先人です。



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2006年10月29日 6 拍子神社

2006-10-29 23:00:06 | 近畿(奈良)
 奈良県庁の前を通り、依水園・吉城園方面に行く途中地下道を上がったところに小さな社があったので行ってみた・・・




 春日大社の末社だそうだが・・・・
 最初、白拍子関係と思ったら、雅楽系の神様だったらしい!

 しかし、このようなところにあったのはびっくりだ・・・ 
 今まで全然気づかなかった・・・
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2006年10月29日 5 興福寺

2006-10-29 23:00:05 | 近畿(奈良)
 今回は入っていませんが、前を通った時にとった写真です。


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2006年10月29日 4 興福寺三重塔

2006-10-29 23:00:04 | 近畿(奈良)
 では、国宝御開帳第二弾・・・・
 は、三重塔の一階層だ・・・・

 ここもはっきり行っていつも人がいないところだ・・・・
 だから非常に珍しい・・・・・



 南円堂から猿沢の池に下りる道の途中で右折すればある。
 ちなみに、写真下にいてる、赤い着物の人は古風な和服美人という感じでしたな!

 で、記念撮影・・・



 げっ・・・ 通りすがりの人と同じ大きさか???? というか、人が小さすぎたら駄目なのだ、と何度も師匠に教育しているのだが・・・・ ということで再び!



 それでいいですわ!

 そして師匠の写真も・・・・

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2006年10月29日 3 興福寺南円堂

2006-10-29 23:00:03 | 近畿(奈良)


 興福寺北円堂があるということはもちろん南もある訳だ・・・

 いつも閉ざされている北円堂と違い、西国9番霊場であるためか、いつも人が多い南円堂である・・・ 最終的に現存する建物は江戸時代に建てられたものという・・・・ 北円堂が好きなのだが、赤く塗られているこのお堂は安っぽく見えて余り好きではない・・・・

「南円堂
西国三十三所第九番札所として多くの参拝者で賑わう。弘仁4年(813)藤原冬嗣(ふゆつぐ)が父 内麻呂(うちまろ)追善の為に建てた。基壇築造の際には地神を鎮めるために、和同開珎や隆平永宝を撒きながら版築したことが発掘調査で明らかにされた。また鎮壇には弘法大師が関わったことが諸書に記される。
不空羂索観音菩薩像を本尊とし、四天王像が安置されている。興福寺は藤原氏の氏寺であったが、藤原氏の中でも北家が摂関の職に就くと、その祖である内麻呂・冬嗣ゆかりの南円堂は興福寺の中でも特別な位置を占めた。不空羂索観音菩薩像が身にまとう鹿皮は、藤原氏の氏神春日社との神仏習合を如実に物語り、藤原氏の信仰を集めた。創建以来四度目の再建で、寛保元年(1741)に立柱された。江戸時代の建物といっても、その手法はきわめて古様とされる。
毎年10月17日に特別開扉。 」
  ~~http://www.saikoku33.gr.jp/dai09/index.htmlより~~
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2006年10月29日 2 興福寺北円堂

2006-10-29 23:00:02 | 近畿(奈良)
 さて、では、奈良公園に入ってすぐにある興福寺でござる。
 普段は人がいないといっていい、この北円堂、個人的には、ひっそりとしているが荘厳な感じがして好きなのであるが・・・・ 久々に内部を公開するとあれば、客が多い・・・・ 



 少し違うお堂になったような錯覚に襲われるよ・・・・

 元々この北円堂は藤原不比等の1周忌に建てられたそうであるが・・・・

 皆さんご存知のように1180年、平重衡たちがなんと焼き討ちをしたときに興福寺は全焼しており、現存するものは全て鎌倉期に再建されたものであるらしい。

 中には弥勒如来像〈寄木造、鎌倉)、無著・世親菩薩像(寄木造、鎌倉)、四天王像(木心乾漆造、平安初期)などがござった・・・・  弥勒如来像は運慶の晩年の代表作だそうだ・・・・
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2006年10月29日 1 おお猫が!!!

2006-10-29 23:00:01 | 近畿(奈良)
 10月29日日曜日は、2001年以来の興福寺北円堂などの国宝御開帳があったので行ってきたのですが・・・・
 東向き商店街から北円堂に出る道に行くと、少し人の集まりが・・・
 見ると、小さな神社に猫が寝ている・・・・ 弁天さんだったっけ・・・・

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2006年10月7日 24 ムーンライト藤原京

2006-10-07 23:00:24 | 近畿(奈良)
 さて風も強くなり、ライトアップが19時からということで2時間ほどあったので、夕食に行くことにした・・・

 と、夕焼けが綺麗であったので・・・・




 そして、夕食・・・・

 で、19時に、出発した・・・・

 満月か?



 そして、ライトアップ・・・・

 まずは香具山



 そして耳成山



 畝傍山は見えない・・・・

 これが10回目にもなるのに、天気の問題もあるが、近鉄沿線にある建物などの他の明かりに負けて見えない程度の光を使っているとは、橿原市は程度が低すぎるし、イベントを成功させようという気概が感じない・・・・

 情けない・・・・
 光の色を変えてみたり、近隣住民に電気をなるべく使わないように頼むのも必要だろうが・・・・
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2006年10月7日 23 藤原京 パート2

2006-10-07 23:00:23 | 近畿(奈良)
 さて、ムーンライト藤原京が開催されるところまで来た・・・



 あの、木で囲まれているところは、太極殿跡である・・・・



 その真ん中は神社になっているようだ・・・というかこれが御神体?
 神社は鴨公神社というらしい。



 藤原京・・・ 平城京もだが・・・・
 大宰府政庁跡もだが・・・・ ただの整備された公園状態で何もない・・・・

 とりあえず、空の写真でも・・・・



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2006年10月7日 22 藤原京 パート1

2006-10-07 23:00:22 | 近畿(奈良)
 さあ、ちゃんと説明版もあり、地図にも示されている藤原京跡の2つのうちの小さいほうへ到着・・・ もちろんベンチがあるだけで何もない・・・・




 予定よりはるかに早くついたのであるが、この近辺であと訪れるところもないので休憩することに・・・・

 ということで、畝傍山の写真を撮っていた・・・・





 さすが畝傍山だ・・・ 
 一番高いだけある!!! (って、なんでやねん!)

 さらに右を見ると・・・・



 大津皇子まで・・・
 しかし、オーロラのように見えて美しい写真になったものだ・・・・・
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2006年10月7日 21 藤原京への道

2006-10-07 23:00:21 | 近畿(奈良)
 さて、藤原京へ向かうことにした・・・・
 しかし、このあたりにはコスモスが多いなあ・・・ さだまさし向けかもしれない・・・




 あとは、田圃か・・・



 いまだに名前がわからないこの植物も多いな・・・



 個人的にはかなり好きであったりする・・・

 まあ、それは置いておき、風が強く寒くなってきていたので進む、進む・・・

 立て札はないが、こういうところが時折目に入る・・・・
 おそらく、藤原京の跡が整備されたところのひとつなのであろう・・・・



 ちなみに正面は耳成山だ・・・・

 さらに進む・・・ と

 コスモス畑がある・・・ ブログで多くの人が取り上げているので非常に有名なんでしょうね・・・・




 左を見ると、雲の隙間から光が差し込み、畝傍山を照らしている・・・・



 美しいものだ・・・・

 さて、もうすこし進もうか・・・・
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2006年10月7日 20 畝尾都多本神社

2006-10-07 23:00:20 | 近畿(奈良)
 あやうく、先に行った神社を行く予定だったところと間違え、スルーしてしまうところであった・・・・ 見つけてよかったよかった・・・・

 
 

 なかなか古いところのようだ・・・・ さすが古代ロマンの都、奈良!

 

 こちらは拝殿・・・ 三つ巴の神社ですな!



 ご覧の通り、本殿はなく、御神体は玉垣に囲まれた空井戸だそうだ・・・
 不思議だ・・・

 後は摂社・末社を!

 まずは八幡宮!


 


 以下不明。。。。

 
 
 

 まあ、偶然にもこの日の朝にM子師匠が話をしていた女神様の関係の神社で何よりだ・・・・

 さあ、次はついに藤原京だ!

★畝尾都多本神社★ 奈良県橿原市木之本町114

・延喜式内社、大和國十市郡、畝尾都多本神社、鍬靫。
・旧社格は村社。
・祭神は啼澤女命。天照大神、春日大神、八幡大神を配祀。
・哭沢女神社ともいう。
・天香山坐櫛真命神社、坂門神社、畝尾坐健土安神社とともに、「天香山坐四處神社」と称される。
・神體は井戸。
・創建由緒等不詳。
・『古事記』神代巻に、伊邪那美神が火の神を産んで身罷った時、伊邪那岐命は悲しみ「『愛しき我が那邇妹の命を、子の一つ木に易へつるかも』と謂りたまひて、乃ち御枕方に匍匐ひ、御足方に匍匐ひて哭きし時、御涙に成れる神は、香山の畝尾の木の本に坐して、泣澤女神と名づく」とあり、『日本書紀』もほぼ同様の話を残し、樹下に坐す神を、啼澤女命と名づけたと記す。
・涙から生まれたとされること、神體が井戸であることから、泣澤の森の神は水神と推測され、また、近くに埴安池があったことが諸書に記されている。
・高市皇子を悼んで檜隈女王が「哭沢の神社に神酒すゑ祈れどもわご王は高日知らしぬ」と泣澤神社を怨んで詠んだ句が万葉集にあるが、これは持統十年(696)の事であり、そのときにはすでに鎮座していたことがわかる。
・藤原時代以降、当社がどのような歴史を辿ったかは不明である。
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2006年10月7日 19 畝尾坐健土安神社

2006-10-07 23:00:19 | 近畿(奈良)
 さて、前出の名のわからない寺の道を挟んで向かいにある式内大社である。
まったく人影もなく寂しいところだ・・・・




 我々奈良で生まれ育った人間にとっては・・・・
 ごく普通の神社だ・・・




 では、次へ向かおう・・・

★畝尾坐健土安神社★ 奈良県橿原市下八釣町138

・延喜式内社、大和國十市郡、畝尾坐健土安神社、大、月次新嘗、論社。
・旧社格は村社。
・祭神は健土安比賣命(波邇夜須毘賣命)。天兒屋根命、天照大神を配祀。
・近世、天照大神社と称した。
・当社南側の藪は若宮と称し、元の鎮座地であったといわれる。
・『日本書紀』神武天皇即位前紀己未年二月二十日条に「天皇、前年の秋九月を以て、潜に天香山の埴土を取りて、八十の平瓫を造りて、躬自ら斎戒して諸神を祭りたまふ。遂に区字を安定むること得たまふ。故、土を取りし処を号けて、埴土と白ふ」とみえる埴安に鎮座した土靈と考えられ、実際、『日本書紀』では土神埴安姫となっている。
・『日本書紀』神武天皇即位前紀戊午年九月條に、丹生川上に於いて天神地祇を祀られた時に椎根津彦、弟猾を遣わし、天香山社の埴土を取り、天平瓮、嚴瓮を造ったとある。埴土を取らせた場所から推測し、この社は山頂鎮座の國常立命神社あるいは山腹の現在の天香山神社とする説があり、この二社のうちのいずれかを当社の旧社地とする説がある。いずれにせよ、『日本書紀』神武即位前紀後段に、「天皇、前年の秋九月を以て潜に天香山の埴土を取りて、八十の平瓮を造りて、躬自ら齋戒して諸神を祭りたまふ。遂に区宇を安定むること得たまふ。故、土を取りし処を号けて、埴安と曰ふ」という記事より、この社は畝尾坐健土安神社であろうと思われる。
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2006年10月7日 18 香具山に背を向けて・・・・

2006-10-07 23:00:18 | 近畿(奈良)
 ちょっとした道中での写真です。



 これは赤紫蘇らしいですね・・・・



 これは・・・・なんでしょうか???



 これもわかんないや・・・・ 猫の尻尾みたいで好きですがね・・・




 これはホトトギスというそうだ・・・・



 これは忘れましたわ・・・・



 はるか先に見える低い山は耳成山ですね!



 こちらは神社の前にあった名も知らぬ寺です・・・
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2006年10月7日 17 天香山神社

2006-10-07 23:00:17 | 近畿(奈良)
 さてさて、大和三山、天香具山もほとんど終わりですな・・・・
 
 ようやく、天香山神社です・・・・

 まずは 天の真名泉だそうだ・・・・ 水があまり沸いていないのですが・・・・




 そして、拝殿を拝みます!



 天気の問題もあり、ひっそりとひんやりとしておりましたね・・・・
 ああ、思い出した・・・・・ 私の体は地下から出る電磁波に何らかの反応をするのか<世間でいう霊感・・・>、時折、デジタルカメラのディスプレイを通して何かが見えることが多いのですが、この日の前半に行った山之坊山口神社の神木の下に何か見えていたのを思い出しましたわ・・・ どう考えても日光の加減とは違うのです世ねえ・・・

 さあ、それはさておき・・・・

 本殿です!




 そうするうちに、M子師匠のお祈りも終了したので・・・
 表のほうへ・・・

 木の前に鳥居が・・・・ 神木でしょうな・・・・



 さらに立て札が・・・・




 小さな山の口にある神社ですが、色々とあります・・・・




 さあ、これで、天香具山もおしまい・・・・

 しかし、思うに、この神社は、耳成山口神社や畝火山口神社のように、この香具山の山口神社ということになるのだろうか????

★天香山神社★ 奈良県橿原市南浦町608

・延喜式内社、大和國十市郡、天香山坐櫛眞命神社、大、月次新嘗、元名大麻等乃知神、論社。
・延喜式内社、大和國十市郡、畝尾坐健土安神社、大、月次新嘗、論社。
・旧社格は村社。
・祭神は櫛眞命。本来、櫛眞知命とするのが正しいと考えられている。
・天香具山山頂鎮座の國常立命神社を天香山坐櫛眞命神社とする説があり、その場合、当社を畝尾坐健土安神社に当てる説がある。
・『延喜式』神名帳の京中坐神三座のうちの久慈眞智神には傍注にて、「本社坐大和國十市郡天香山坐櫛眞命神」とある。
・創建由緒等不詳。
・祭祀にあずかったのは中臣氏と考えられている。
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