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熊野醉軍

天に導かれるままに、旅紀行を綴っていきまする。

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2007.01.02 3.室生龍穴神社①

2007-01-12 01:39:39 | 近畿(奈良)
 大野寺にいった後、とりあえず室生寺のもうすこし奥にいったところにある室生流血神社へといった。




 観光案内板によると「室生寺」よりも古く、室生寺が神宮寺であったこともあるらしい。かなり古いようだ。




 鳥居をくぐって、すぐ右にある「連理の杉」(別名 夫婦杉)。
 根がつながっているのか? 不思議だ・・・・



 ここには何があるのだろうか?神輿かね?

 では、前に進むことに。

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2007.01.02 2.大野寺②

2007-01-10 10:29:03 | 近畿(奈良)
 大野寺

 小糸しだれ桜の古木が2本と樹齢100年くらいの紅しだれ桜30本で有名です。桜の時期には行ったことはないがかなり美しいとのこと。

 では、入りましょう。



 三脚は禁止ですぞ・・・・ まあ、花見の時期の対策でしょう。



 こちらが本堂。確かに満開であれば美しそうだ・・・・
 が、個人的には、葉も花もない今の状態のほうが好きなのです・・・・・



 こちらに櫻の木々が並んでいきますな・・・・



 これは弥勒さんを拝むところです。



 屏風浦の岸壁には、高さ12mの弥勒如来が刻まれとります。
 これは我が国最大の磨崖仏だそうです。

 では、最後に龍を拝んでお暇しましょうか・・・・

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2007.01.02 1.大野寺①

2007-01-10 10:00:06 | 近畿(奈良)
 1月2日は、赤目四十八瀧へいく予定で家を出たが、途中、室生龍穴神社に行くことに変更した。まずは室生の大野寺へといった。

 (大野寺の前にある駐車場からの川の写真)

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2007.01.01 20 春日神社

2007-01-08 12:02:03 | 近畿(奈良)
 近鉄尺土駅の北出口を出たところに春日神社がある。
 正月で開かれていたので入ってきた。




 そういえば、その境内に道路のミラーの跡が・・・・
 ここは道路だったのか???

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2007.01.01 19 橿原神宮④

2007-01-08 11:57:22 | 近畿(奈良)
 そして、橿原神宮の鳥居の前を通り、橿原神宮前駅へと向かった・・・・

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2007.01.01 18 東大谷日女命神社

2007-01-08 11:54:17 | 近畿(奈良)
 畝傍山の東側の最もメジャーな登り口にある神社ですね。

 祭神の姫は、神武天皇の皇后です。






 ちなみに、M子師匠が撮ったぶれぶれの我が写真で終わり。




★東大谷日女命神社★ 奈良県橿原市畝傍町字唐院69

・延喜式内社。
・旧無格社
・祭神は姫蹈鞴五十鈴姫命。江戸時代には、熊野権現と称しており、祭神は、伊弉册尊だった。明治二十年(1887)頃から、当社を式内東大谷日女命神社であるとし、祭神を神功皇后へ変え、明治三十五年(1902)、姫蹈鞴五十鈴姫命に再度の変更。
・創立年代は不詳。
・当社を高市郡の式内社畝傍山口神社とする説もある。
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2007.01.01 17 橿原神宮③

2007-01-08 11:43:02 | 近畿(奈良)
 橿原神宮の西側にある末社の長山稲荷にも行ってまいりました。
 神宮よりも古いようですね。



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2007.01.01 16 橿原神宮②

2007-01-08 11:35:37 | 近畿(奈良)
 さて、とりあえず境内に入ったので参拝ですわ。



 なかなか人が多いでしょう・・・・



 本殿前ですが・・・・
 なかなか、最近は、愚か者日本人が多くて困ります。
 神社の境内では犬を散歩させないでください(連れて入るな)、と書かれているし、常識的なマナーでもあるのですが、一体何人の馬鹿日本人が犬を連れてきていたか。境内で便を指しているクズもおりましたし。この本殿写真の真ん中にもいるでしょう?

 大体、平和ボケといえばいいけども、最近、常識的思考ができなくなり、気が触れてきている日本人にはもはや、人とペットの区別も出来なく(区別をしないことが動物愛護というわけでは決してない)、伝統もルールも守れないアホが多い。大体、このようなことを海外の宗教的な場所で見かけることはまったくない、というだけでも如何に日本人が世界最低レベルか、ということがわかるものだ。
 まあそれはさておき・・・・・



 やはり正月、着物も多いですな。
 でもそれは春の出で立ちだろう・・・・



 おみくじを読んでいる人も多いですねえ・・・・・
 しかし、神殿は修復中だったんですね。シリマセンでしたわ。



 こちらも、犬を連れてはいってきている、マナーも守れない、馬鹿日本人の典型の一人です。犬は悪くないんだけれども、やはり神前に来るときは、神社の人が何も言わない、としても常識の範囲内でルールは守り、車の中に残してくるなどすべきだ。犬も家族です、とか言い張るんだろうが、それは神社のルールではない。犬を家族という人は海外にもものすごく多いが、皆さん、わきまえている。日本人だけが、寝ぼけたことをいっているのは有名な話だが・・・・


日本人は恥ずかしい民族だ。

 さて、そのあたりでM子師匠も戻ってきたので反対側へ行くことに・・・・・


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2007.01.01 15 橿原神宮①

2007-01-08 01:55:50 | 近畿(奈良)
 イトクの森を後にして・・・・
 東大谷日女命神社に行きそびれ、先に神宮を参ることに。
 M子師匠は初めてであったとのこと。

 とりあえず、参道の出店でクレープを買って食べてから神宮へ入った。



 3年ぶり?いや、4年ぶり・・・・だ。



 なかなか人が多いようだ・・・・
 まあ、奈良県の南中部だと橿原神宮が妥当な線だしな・・・・



 拝殿の姿がなかなかよい写真に撮れたな!
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2007.01.01 14 イトクの森古墳

2007-01-07 13:49:19 | 近畿(奈良)
 殉国碑のはずれにポツリと小さな社が立つ。
 名は、池田神社。イトクの森古墳の社だ。
 前方後円墳で30メートルほどあるらしい本当の古墳だ。



 名前からは懿徳天皇を思うが・・・・ 確か、御陵は別の畝傍山の麓の別の場所だったように思うが・・・・ この古墳については詳しく知らない・・・・

 そして、畝傍山のお姿を・・・・



 では、橿原神宮へと向かう!
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2007.01.01 13 殉国碑周辺

2007-01-07 13:44:21 | 近畿(奈良)
 畝傍山を下山して到着したところだ・・・・

「絆の錨」の脇の道であった・・・・・



 ここらあたりのもモニュメントを見ると海軍関連のものがほとんどのようだ・・・・




 航空母艦瑞鶴の火があるのは知らなかった・・・・・

 昔プラモデルを持っていたのを思い出す・・・・・

 そして、駆逐艦・・・・ 秋月・・・・・

 懐かしい名前だ。



 橿原神宮は祭神が神武天皇だから仕方がないが・・・・

 建国記念日に右翼の人たちはここに集合するらしい・・・・
 各地から・・・・・

 まあ、愛国ということであればいいことだが。
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2007.01.01 12 畝傍山頂、そして下山へ

2007-01-07 13:35:32 | 近畿(奈良)
 さて、畝傍山の山頂へ到着!




 この跡は、おそらく畝火山口神社の元々あった場所だと思われる。

 少し、山頂からの景色を・・・・




 晴天ではなかったので見晴らしは少し悪かった・・・

 しばし、休憩の後下山を始めた。
 最初の分かれ道で「イトクの森」方面へと向かった・・・・
 イトク天皇から取られたのだろうか???



 こういう箇所が多く、ブーツの私は滑りまくって危ないものだった・・・・



 この道から来る人は少ないんだろうな・・・・

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2007.01.01 11 畝傍登山

2007-01-07 13:26:29 | 近畿(奈良)
 さて、畝火山口神社の脇にある畝傍登山道から登り始めました。




 ブーツでちんたらと写真を撮りながら登る私をおいて、M子師匠は先に行っておりましたが・・・・・




 グロッキーが入っておったようなのでグミを渡して抜かしていきました・・・・
 本人曰く、肺炎で肺活量がノーマルの80%だから、と言っていますが、呼吸機能検査のデータを見たわけではないのでどれほどのものなのかは詳しくは不明・・・・

 とりあえず、ゆっくりと登ることに・・・・・




 頂上は近いはずだ・・・・
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2007.01.01 10 畝火山口神社

2007-01-07 13:13:57 | 近畿(奈良)
 夜中の初詣を終え、帰宅した後、また昼に親が橿原神宮へ行くというのに便乗していった。途中、畝傍山の西側にきたところで別れて、我々は畝火山口神社へ行き、畝傍山を登っていく道をとることにした。

 地名が大谷町だけに、大谷さんが多いところだ・・・・・



 右側に見える木々の見える所が畝傍山の登り口である。



 一組の初老の夫婦が自転車で来られていた。
 あと何組かの家族も来られていた・・・・
 だが、みんな橿原神宮に行くためか参拝客は決して多くなかった。





 ご祭神は、
 気長足姫命
 豊受比売命
 表筒男命
 の三神である。



 本殿に向かって右側にはこういう石もあった・・・・




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由緒
 
 畝傍山頂にあって畝火明神等とよばれていた。昭和15年橿原神宮拡張の際、現地へ戻った。
 皇室の舎殿の用材を切り出す式内の六つの山々の神の一つである。 飛鳥、石村、忍坂、長谷、畝火、耳無の名が『延喜式祝詞』に記載されている。
 他に夜支布、巨勢、鴨、當麻、大坂、吉野、都祁の八社が延喜式での式内大社である。

お姿
  朱色のきれいな神社である。畝傍山麓に深く鎮座し、木々につつまれた趣のあるお社である。檜、楓、樫の木が大きい。
            引用  http://kamnavi.jp/kmlist.htm
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 ここで巫女さんにお神酒を頂いたあと、畝傍山へと向かった。
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2007.01.01 9 橿原 河俣神社

2007-01-07 12:58:22 | 近畿(奈良)
 吉野山を発ち、169を走って橿原神宮を目指したが、
 橿原神宮はものすごい人ごみであったがために参拝を断念し、
 天理に行こうと曽我川沿いを走ることに・・・・・
 亡き祖母の住んでいた雲梯あたりで作戦変更し、宮参りに行った
 河俣神社へ・・・・・





 (情報)

橿原市雲梯町689

祭神
鴨八重事代主神


由緒
 式内社の高市御県坐鴨事代主神社に比定される。『大和志』では藤原京の大極殿跡の鴨公神社としているが、宇奈提と呼ばれた地は雲梯町しかないとされる。
 出雲国造神賀詞は、大穴持命が国土を天孫に譲って出雲の杵築へ去るに当たって、自らの和魂と子女の御魂を大和に留めて皇室の守護とすべき事を誓うが、 その中に「事代主の命の御魂を宇奈提」に坐せ・・」とあり、宇奈提は現在の雲梯(うなて)町である。
 日本書紀に、壬申の乱の時、「われは高市社にいる。名は事代主神」とし、顕わした予言は的中、天武天皇から勝利に功ありとされたとある。
 また曾我川西に木葉神社があり、川股八王子と記され、式内川俣神社三座に比定されている。 式内高市御県坐鴨事代主神社が河俣神社に、式内川俣神社が川股八王子(木葉神社)に比定される。

  北向きに鎮座。平野が広がり、畝傍山が左が上がった台形に大きく見え、二上山、葛城金剛山系がよく見える。鴨の祖神の鎮座地には似合っている。農産地である。
 氏子の老人会の清掃が行き届き、長い参道もきれいな状態で保たれている。大きい鎮守の杜であり、カシ、檜が多い。


(引用 http://kamnavi.jp/index.htm
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