てのひらに日だまりを

amiの小さな手から生まれる、小さな小さな日だまり村をレポートします。

ヴィラ稲荷山の書類とSちゃん便り(2歳4ヶ月)(^^)

2011-07-21 00:46:20 | ブログ・食べログ

ヴィラ稲荷山(母の施設)から書類が届いたのは先月の末だったと思う

急ぎの書類に関してはすぐに書き込んで送ったんだけど

家に残った書類は母の今までの暮らしの情報について書き込んで欲しいとの内容

今までの母の「暮らし方」や「生活史」をできるだけ詳しく 介護の参考にしたい為

内容が重いので癒し系?のSちゃん写真UP 最後まで読んでいただけると嬉しいな

Caz10iyi

アジサイの花の前でおともだちと「指遊び」 「でんでんむしつくれたよー!」

どうしても書類に手がつけられず・・・20日間経った昨日やっと書いた

自分でも理由がわからなかったんだけど・・・書き込んだ後で・・・気がついた

母の・・・ということはもちろん私自身も係わってくるし結婚や出産や「介護」

10年日記を付けているので以前の情報には困らないけど忘れていたい事読みたくない事もついでに見えてしまう・・・

特に介護については最近やっと夜中に飛び起きたり夢を見たりが無くなってきたのに

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大好きなおとうさんの帽子をかぶって得意げなSちゃん「にあってるでしょ?」

母の何度かの「入退院」の時期や「認知症」を発症した時期等 できれば忘れていたい

以前テレビで認知症の母親を息子さんが介護されているドキュメントを録画しておいた

長男に見せたら あまりのことに眠れなくなったと夜中に起きてきた

長男はテレビの内容よりも見ながら話した私の介護実体験の方がショックだったらしい

母の認知症の方が進んでいたしテレビの息子さんは介護に専念することができ介護の資格も取られていた

書類を書くことによって介護がまざまざと よみがえり「どよ~ん」と落ち込んでしまった

Photo

リュックを背負ってるのかなあ なにか考え事をしてるみたい

昨日書かなければと思ったのはもうすぐ「生Sちゃん」が我が家にやって来るという楽しみがあり

少々落ち込んでも三男家族の元気な姿を見れば立ち直れると思ったからだった

今は仕事に集中したい時期・・・落ち込みをグズグズ持ち越してはいられない

母の人生は波乱万丈だったと思う・・・「引越し」も多く 今の施設で15回目ぐらい

女学校は東京 祖父が女学校へ行くのなら日本の中心でといって引っ越したらしい

私は「着物の図案家」の祖父や「洋服の仕立て職人」の父の血を色濃く受け継いでいると母からよく言われて育った

確かに今の仕事は祖父と父の仕事の延長線上にありそうだ・・・母が一番嫌がっていた結果なんだけど・・・数年前に「お許し」がでた(認知症発症後だったけど)

母の認知症発症は1995年(75歳)マダラボケ状態→2000年頃にはかなり進行

でも介護の申請ができたのは2005年(85歳) この6年間が一番辛かった

2007年(87歳)ヴィラ稲荷山入所→ 現在

4年前介護から開放された頃は心身ともに限界寸前になっていた

もう少し遅れていたらと思うと怖くなる・・・今このブログを書いている幸せがありがたい


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