このあいだ私も遅ればせながら、今話題の「生物と無生物の間」を読んで見ました。
すごく面白かったですし、いろいろ考えさせられるし、とてもいい本だと思います。(最初に本屋の店頭で見かけた時は「いかにも売れそうな題名だな~」とヘンに勘ぐってしまって、わざと買わなかったのですが、その後あまりにも良い評判ばかり聞こえてくるので、「アマノジャクしてないで読んでみよう。」という気になりました。)
私には、「原子レベルで見て、どうして人間はそんなに大きいのか」という問いに対する答えというのが面白かったです。
それは「原子は勝手に無作為に動いているだけなので、大半の原子が法則通りに動いている場合でも、必ず数パーセントの原子はそれとは違う、または正反対の動きをしている。全体が大きくなればなるほど、例外の影響は少なくなる。」だいたいこういうような説明だったと思いますが、いつもファシズムに対して警戒おさおさ怠りないKobantoとしては、人間社会にまで枠を広げて考えてみたくなる印象的な仮説でした。
でも、この本の中で一番好きだったのは、最初の方の、アメリカの研究所とそこでの生活の思い出を綴った叙情的な文章です。雰囲気が「悲しき熱帯」の冒頭部分(木立の中の図書館、壁のスクリーンに映し出される途切れ途切れの8ミリフィルムの映像にじっと見入っている研究者たち、スクリーンには熱帯の未知の部族の映像が・・・・。何十年も前に一度読んだきりの本について確認もせずに書いていますので、全くの記憶違いの可能性があります。すみません。)にそっくり・・・と思った方は多いのではないでしょうか。
「レヴィ・ストロースの思想のほうはカイモクだけど、『悲しき熱帯』はよかったな~」という私のようなタイプの読者の方々は、まずあの冒頭部分のセンチメンタルな雰囲気に胸を締め付けれられ、その勢いで、メインの熱帯の部族の研究の方も「渾身のルポタージュ」として一気に読んでしまわれた事と思います。そういう方たちは大抵、フロイトとかユングとかの本も「奇談」レベルで楽しんでいらしゃるはず・・・。(だって、いろいろな症例の話が、あまりにも面白いんですよね~♪)
「生物と無生物の間」は、そういう(私たちのような)タイプの読者を想定しているような気もします。
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何よりも、昨夜の・・・は・・・。
今大会の100のヨットは同じ方向を向いていますよね。
しかし、このセーリングイヤー100のなかでは、
本人はともかく、へんな方に向いているのもいるでしょうね。
でも、次の日のレースで蘇って、本当によかったです。
「あきらめてはいけない」と思いました。