油屋種吉の独り言

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MAY  その67

2020-10-04 22:35:05 | 小説
 あまりに緊張したせいか、メイは前に進め
ない。
 (フリーズって、きっと、こんな感覚なん
だわ)
 ニッキに自分の体調のわるさを知らせよう
にも、メイの口から出てくるのは、まるで発
語を始めた赤子のよう。
 うう、ううっと言ったきり、メイはその場
に倒れこみそうになった。
 メイの様子がおかしいことに気づいたニッ
キがあわててそばに寄り、かろうじて、その
太い両腕で彼女のからだを支えた。
 「ごめんね。きみがこんなことになるのも、
ぼくの配慮が足りなかったんだ。こんな場合
緊張しないでという方がむりというもの。夜
だし、足もともわるいし。どうにかなんない
ほうがおかしい。でもね、メイさん。いいで
すね。気をしっかりもって。宇宙船のなかで
しばらく休みますから」
 「ええ、ええっ?あっ、はい」
 ニッキにからだをあずけた状態で、メイは
宇宙船の内部に入った。
 休む、という言葉が、メイの気持ちに多大
な影響をあたえた。
 ひきつったような神経が、一瞬、たわんだ
ようになり、そのぶん、メイに余裕を与えた。
 「いいですか。ちょっと失礼して。しばら
く目をつむっていてください」
 ニッキはそう言い、よしっと声をかけると
メイを横抱きにした。
 男らしい、がっしりした筋肉は、メイのや
わらかなからだに、新鮮な刺激を与えた。
 ニッキに抱かれていると思うと、メイはた
ちまち恥ずかしさでいっぱいになった。
 だが、自分の意識が、いまひとつしっかり
しない。
 このまますうっと奈落の底まで落ちていっ
てしまうに思えて怖かった。
 (彼にまかせるしかないわ)
 メイは、次の瞬間、まるで雲の上に横たわっ
たようにふわりとした感覚にひたったが、す
ぐに何がなんだかわからなくなった。

 ふいに鶏のさえずりが聞こえた。
 白い霧があたりをおおっている。。
 寒くはない。
 むしろあたたかく感じる。
 ザザッ、ザザッ。
 滝の音だろうか。
 土砂降りの雨の音に似ているが、それより
もっと大きい。
 突然、霧が動きはじめた。
 渓谷の様子が少しずつあらわになって行く。
 緑色の光の矢が一丸となって、メイの眼を
射た。
 痛くはない。
 メイの眼に、やさしく染み入ってくる。 
 何があるのだろう。
 滝のあたりがやたらと気になる。
 自分はいったい、どこにいるのだろうか。
 渓流のそばでひとりの男性が、滝を見つめ
ている。
 後ろ姿だ。
 後頭部から首のあたりにかけて、毛が伸び
ほうだい。
 髪はブロンドだが、ややくすんでいる。
 肩幅がひろい。
 かなりの年配に見えたが、そうでもないら
しい。
 何ゆえであろう。
 よろいのごとき上着を身につけている。
 上半身も、下半身も、よく見ると、五十く
らいの若さは保っている。
 どうして、この男に、こんなに親しみを感
じてしまうのだろう。
 メイはなんとかして近づき、声をかけてみ
たい誘惑にかられた。
 ふいに彼が動いた。
 彼の顔がメイのほうに向きそうになったの
で、メイは思わず目を閉じた。
 どれほどの時間が過ぎただろう。
 メイは、誰かの視線を、一心に受けている
いるように思った。
 (こわい。いったい誰だろう。自分の意識
がもどったのはとてもうれしいけど、なんだ
かとってもこわい気がする)
 雲の上にいるように思えたのは、どうやら、
自分がやわらかなベッドの上に寝かされたか
らだった。
 たが、かっと眼を見ひらくのは怖い。
 ついさっき、滝のそばにいた男が自分のそ
ばにいる気がした。
 ちょっとたばこくさい、あたたかな吐息が、
ふいにメイの顔にかかったので、メイはぎょっ
とした。
 

 
 
 


 
コメント
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