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JAL516便炎上とキャプテン・ラスト(臨時)

2024-01-03 | 日本の将来
昨日(2024/1/2)午後5時50分ごろ、何気なくTVのスイッチを入れたとき、画面の映像に目を奪われた。その光景は、画面中央で突然の大爆発、その中から火だるま状態で滑走し続ける大型旅客機、絶望的な画像だった。

繰り返し放映される画面のテロップに「乗客乗員全員脱出」とあったが、到底信じられなかった。

しかし、午後9時ころには各社のニュースからJAL516便の乗客乗員379人は全員無事脱出したと知った。海保機につては、極めて残念ながらキャプテンが重症、残る5人の乗員は死亡、亡くなられた方々にはこころから哀悼の意を捧げた。

見るに堪えない映像だったが、救いは炎上する機体から脱出る人々の姿・・・あゝ、本当に助かっと。

一夜明けた今朝1月3日、筆者は「Yahooのニュースに次の記事を見つけた。

この記事対するコメント=594件

594件のコメントの筆頭はmhg********さんのコメント、その内容は次のとおりである。

mhg********
脱出映像を見るとCA2人とパイロットと思わしき方1名が最後に1番後ろのシューターから降りてきておりました。
パイロットと思われる方は機長でしょうか。コックピットに1番近いドアから脱出せず1番後ろまで回って残った乗客が居ないか確認したんでしょうね。
規則に則ったのでしょうが自分の命も危うい中しっかりと対応されて素晴らしい。
返信37件 共感した1万 なるほど361 うーん185

上のコメントは、まさにキャプテン・ラスト(Captain Last*)そのもの、筆者はmhg********さんのコメントに賛同する。516便クルーの仕事はExcellent Job、その結果は「全員生還」を実現した。また、英米インド各国のメディアが彼らを称賛するニュースもうれしい。【参考*:韓国客船沈没に思う(臨時)

現在の政治経済情勢は暗いが、これらの称賛に日本もまだ捨てたものではないと元気が湧く。

次回は「日本のバリアフリー遅れ」(現世代から次世代への脱皮)に続く。

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船乗りが見た時代の変化---日本行政のデジタル化遅れ

2023-01-25 | 地球の姿と思い出
幻のコンパクト・シティー(5)から続く。

前回の投稿「コンパクト・シティーと鉄道ネットワーク」(2021-09-25)を最後に一休み、1年以上もご無沙汰しました。

さらに、当ブログを開始した2010年8月から今日まですでに12年以上、50万文字を超えました。内容の重複や冗長もありましたが、今後は簡潔を心掛けて不定期で当ブログを続けます。これからも変わりなくお付き合い下されば幸いです。

思えば2004年夏のバンコクでの心筋梗塞、幸いにも命拾いをしました。また2016年に脳梗塞、リハビリの甲斐あって今年もつつがなく歳を重ねました。

“つつがなく”とは言うものの筆者のこころには日本に関わるさまざまな気掛かりがあります。その第一は「行政のデジタル化遅れ」、第二は「バリアフリー化遅れ」、第三は「国土交通・・・」など、個人では対処できない将来に気をもんでいます。

先ずは第一の「デジタル化遅れ」から始めます。以下は高齢ジイサンの心配事ですが、なにかのご参考になれば幸いです。

---◇◇◇---

1.デジタル化遅れ
日本行政の「デジタル化遅れ」はよく耳にする話題である。しかし、どの記事からも「周回遅れ」の度合いを知ることはできなかった。そこで、筆者の経験を頼りに「周回遅れ」の程度を考える。

(1)事例
1)2020年:東京都のコロナ感染者数集計システム 
分かり易い例として、行政機関の東京都庁のシステムを取り上げる。

2020年6月頃、筆者は新聞でコロナ感染者集計システムがトラブルを起こしていることを知った。それは、Fax送信のダブり、漏れ、遅れ、コンピューターへの手入力ミスなどで感染者数が正しくないというトラブルだった。人海戦術特有の人為ミスと多忙な担当者たちへの多大な負荷がトラブルを増幅した。
 
70年代には“データは発生源でデジタル化すべき”がコンピューター業界の合言葉だった(日本では少々遅れて80年代の合言葉だった)。⇒故にPOS端末開発(Point of Sales売上が発生する現場=スーパーのレジで使うスキャナーの意)に繋がった。

コロナ患者集計システムは、インターネットやオンライン・データベースが普及した昨今、「紙に書かれたデータ(報告書)をFaxで送信」という時代遅れのシステムである。これこそ「周回遅れ」の原因である。

2)1966年:アメリカの大学・研究所
1966年秋、筆者が入学した大学の授業「制御工学」では学内外のコンピューターをオンラインで利用した。当時のアメリカでは、すでにコンピューターの遠隔利用が実現、約16,000人(現在47,000人∔)の学生は誰でもコンピューター利用はOKだった。もちろん理系&一部の文系は必須、その他の文系は選択科目だった。

3)1976年:日本の製造業(電気通信法の改正で実現したシステム)
筆者は1976年の日本でNCU(Network Control Unit, 今では博物館入り)で販売データ収集システムを開発した。電話代が安くなる毎晩20時以降に北海道の営業所から順次九州まで当日の販売実績を自動的に本社コンピューターに送信した。もちろん営業所は真っ暗、無人のデータ送信だった。なお、簡単な技術だったが、1976年の日本メーカーには無理、アメリカ製ハードを営業所に導入して無人送信を実現した。

このシステム開発で見積もったが、公衆回線使用vs専用回線使用は約十万円/月vs約1,000万円/月だった。完成後の実績は月額10万円前後(公衆回線)だった。日本の電話代(通信費)は昔から高く、疑問も多い。

(2)「周回遅れ」の程度
1)試算1:東京都庁 vs アメリカ大学・研究機関
◇2020年=東京都のコロナ感染者数集計システム
◇1966年頃=アメリカの大学・研究機関のコンピューター【参考:汎用デジタル・コンピューター
  「周回遅れ」の程度=2020年-1966年頃=54年以上(約半世紀)

2)試算2:東京都庁 vs 日本の製造業(筆者の経験)
◇2020年=東京都のコロナ感染者数集計システム
◇1976年=日本製造業の日次販売データ収集システム【参考:Feasibility Study(実現可能性の検討
  「周回遅れ」の程度=2020年-1976年=44年

3)試算3:コンピューター教育の遅れ(1976年頃の日本企業の新卒社員)
◇1976年ころ、試算2の会社は毎年二百数十人の技術系社員(国立大卒多数)を採用、筆者は彼らに「大学でコンピューターを学んだ人の挙手」を求めた。毎年5~6人の挙手があったので、勤務終了後の自由参加講習会(筆者講師)を設定、彼らを教育した。日本の「コンピューター教育遅れ」を痛感した。
教育内容:FORTRAN技術計算言語、CSMP連続系/GPSS離散系/ECAP電子回路分析言語
筆者の記憶:1976年の日本国公立大学ではコンピューター関係科目は選択科目だったと記憶している。

(3)行政システムの特徴
コンピューター利用の第一歩は業務改善/改革の構想設計から始まる。しかし、この段階で、行政システムは難題に直面する。

一般に、構想設計では、現状を如何に改善/改革するかを考える:改善は別として、業務改革には現状を無視、自由な発想で臨むことが多い。時にはなにも知らない新人からハッとするようアイデアがでることもある。

しかし、役所の業務は「国民に法令の遵守を求める」や「法令に沿った手続き」が基本である。つまり、役所の業務には法令の“縛り”がある。この“縛り”が行政の「デジタル化遅れ」の元と考える。また、法令の改正などは、先の長い話になるので、ついつい後回しになることもあると考えられる。

加えて、改革の先頭に立つべき国会議員でSTEM感覚がある人は少数派、当然ながら多数決には弱い。また、デジタル庁は発足から日が浅く、その実績は先になる。あれやこれやと考えるが「周回遅れ」の挽回はおぼつかない。

しかし、日本は八方塞がりばかりではない。

第一に、かつての経済大国日本のビジネス取引は常に内外のシステムとオフライン/オンラインのインターフェースを通じて活動している。たとえば、欧米規格のバーコードも自動識別され、日本国内で正常に機能する:つまり日本のビジネス・システムは鎖国でなく“ガラパゴス化”はしていない。

次に、少子高齢化も追い風にできる。現在の継ぎはぎだらけの行政システムは非効率だが、過剰人員でなんとか支えられている。しかし本当に人口が減少すれば、たちまち行政がマヒする恐れがある。この危機を避けるために、デジタル化「周回遅れ」の挽回どころか、さらに一段上の「デジタル化」が必要である。これは国民一人ひとりの課題である。

なお数ヵ月前の経験だが、スーパーのサービスカウンター設置の画面でマイナポイント手続きができない状態になっていた(初期エラー? 容量オーバ? スーパーの担当者は原因を説明できなかった)。そのため、希望者は区役所での手続きを求められた。結果として区役所で1台の画面を前に、手続きの待ち時間が2時間以上になった・・・行政が目指すデジタル化とその運用性とのギャップを感じた。

以上が筆者の認識だが筆者には手遅れ、時の流れに逆らわず次の世代に期待する。

その期待では、何よりも国の存亡にかかわる歴史的国難、災害、スポーツ、科学技術の開発などで実証済みの「諦めない日本人の遺伝子」が本領を発揮する・・・これは精神論でなく実行力、次世代の人々もまたその難題を間違いなく克服すると信じている。

次は「2.バリアフリー化の遅れ」に続く。


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幻のコンパクト・シティー(5)---コンパクト・シティーと鉄道ネットワーク

2021-09-25 | 地球の姿と思い出
幻のコンパクト・シティー(4)から続く。

先月(8月) の一服を終えてふたたび、幻のコンパクト・シティーに逆戻りである。

(1)現在の鉄道ネットワーク
最近、東京新聞で興味深い記事を見た。それは日本の無人駅を示す地図だった。

東京新聞朝刊(2021.9.12)の紙面を下に再生すると図1のようになる。

図1の列島地図には赤い部分が多い。赤色は無人駅が61%以上の地域、たとえば、北海道の駅総数(JR+民鉄)は512駅、うち365駅71.3%が無人駅、地図は赤色になる。

       図1.都道府県別の無人駅と駅総数(国交省調べ、2019年度)
  
  出典:東京新聞朝刊、2021/9/12

ちなみに、この記事では無人駅を図2のように定義している。

図2によれば、無人駅は簡易委託駅も含むので、人けが全くいない田んぼの中や人里離れた谷間の無人駅だけとは限らない。路面電車の始発駅以外の駅は、街なかでも昔から無人、違和感はない。

        図2.無人駅の定義
        
        出典:東京新聞朝刊、2021/9/12

次の図3はJRと民鉄の無人駅内訳である。筆者の勝手な想像だが、JRの無人駅は主に過疎化の反映、中小民鉄の無人駅は路面電車駅や観光路線ではないかと思う。

         図3.無人駅の内訳
        
        出典:東京新聞朝刊、2021/9/12

次の表1は、見づらい図1を補足する意味で、図1のデータを表形式にまとめた表である。
         
       表1.図1.の補足データ(図で見づらい数値の抜粋)
       

2019年度の国交省調べの駅数は無人駅数4,564、有人駅総数9,178、無人化率50%である。コンパクト・シティーの姿を考える筆者にとっては、東京新聞のこの記事は一つの参考になった。

大雑把にいうと全国の駅総数は約1万、ここ10年でこの数字が大きく変化したわけではない(2019年9,178駅vs2009年9,613駅、運輸政策研究機構)。また、2009年の無人駅のデータ(国交省調べのグラフだけ)によれば、無人駅率は約44%(目視・・・母数不明かつ19年の無人駅率約49%で表1と異なる)だったので2019年の無人駅は2009年から数%の増加、少し増えた程度である。

筆者の見通しでは、今後は駅と列車運転の無人化が大きく増加すると思う。ここに無人駅と無人運転にまつわる筆者の体験を紹介する。

【無人駅と無人運転の参考事例】
①概要
 筆者の自宅近くを走る都市型交通システムは無人運転である。車両はタイヤ車輪の5両編成、全長40mのコンパクトな列車である。営業距離10.8km、14駅のうち始発と終着の2駅は終日有人、中間の1駅はパートタイム有人、他の11駅はインターフォンだけの無人駅である。改札機のトラブルには有人駅社員が対応、トラブルはほとんどない。
 東北3.11地震では数時間運休したが、安全確認を終えて当日中に運転は有人で復旧した。
②日常の運転
 通勤時間帯の運転間隔4~6分(朝夕計7時間)、他の時間帯は6~10分である。75歳以上の年間所得に応じて格安パスを発行、利用回数と乗車区間は無制限である。
③運行の信頼性と事故
 1983年の開業以来、38年間の無人運行で事故は2019年の1回だけ、事故後は有人運転、自動運転再開までに約3ヶ月かかった。車両の電気回路トラブルだったが、全車両の改修に時間が掛かった。
 有人かつ間引き運転中は数十台の路線バス(定員50~60人)による代替輸送があったが、始発駅のバス停が混乱、その周辺も毎朝交通が大きく渋滞した。
④感想
 全長40m程度の無人運転車両(定員263人)の4分間隔運転に何十台もの路線バスによる代替輸送は太刀打ちできなかった。この経験で、列車の輸送力と定時性は、バスやトラックに比べて圧倒的に優れていると思った。開業から38年間の無事故は日本ならではの話、少子高齢化の今後では疑問符が付くかも知れない。

(2)鉄道ネットワークへの期待
鉄道の路線距離やスピードなどの世界ランキングでは、日本の鉄道は上位を占めているわけではない。しかし、戦後から今日までの日本の近代化を振り返るとき、鉄道ネットワークが果たした役割の大きさに気付くとともに、その資産価値は将来も有望だと思っている。

ヨーロッパの先進国には遅れがあったものの、1872年に日本初の鉄道が新橋-桜木町間に登場した。以来、わが国の鉄道ネットワークと工業の近代化は“鶏先か卵先か”の関係で発展してきた。さらに、幸いにも人口ボーナス効果もあって、国土が狭く人口も1億人程度にもかかわらず、日本のGDPは一時世界第2位を記録した。

さらに思い出すが、名神高速道路は筆者が学生時代に初めて開通したが、その後は急速に発展、今では高速道路ネットワークはやや過剰なまでに全国をカバーしている。

また、日本の鉄道ネットワークの運行時間は、世界のだれもが驚くとおり、極めて正確である。新幹線から山奥のローカル線までどこでも時刻表通りに列車が走る。これは、経営やマネージメントの努力もさることながら、根が真面目な日本人ひとりひとりの“なせる業”である。長い人生で今までこんな国は見たことがない。

話題は変わるが、筆者には鉄道や道路に関する知識はなにもない。しかし、上下分離方式という言葉はおぼろげながら理解している。

むかし、ヨーロッパのターミナル(終着駅)で見た急行列車はロンドン発、パリ発、ベルリン発などの客車を連結していた。一編成の列車に世界各地の文化を凝縮するのはお伽話のようだと思った。レールの“上”を走る列車の1両目はイギリスの客車、2両目は言葉や食べ物が違うフランスの客車、、、列車の“下”にある線路(レール)や信号はミュンヘン駅があるドイツの持ち物、こように鉄道の経営は上下が別々だと理解した。いわゆる“上下分離”の考え方である。

要約すると、“上”は車両やその運営(会社)、“下”はレール、信号や電気、レールや敷地などのインフラである。上下分離方式では、上下を別々に経営するが、全体として上下一体で輸送事業という大役を達成する。以上が筆者の理解であり、主観的な客車が運ぶ文化や運用ソフトから成る“上”、客観的な風景やレール[=金物:ハードウェア]から成る“下”、“上下”のソフトとハードが一体となって機能する非常に巧妙なシステムである。交通ネットワークの上と下の関係は血液(上)と血管(下)の関係に似ている。

日本は新橋-桜木町の鉄道以来、百数十年の歳月で鉄道ネットワークを自由奔放に延伸させてきた。その間に人口増加が減少に転じ、国家の存亡を左右する人口動態が大きく変化した。大げさだが、血が逆流するほどの変化と認識すべきである。

ここで考えるべきは、人口動態の変化が現在の鉄道と道路の輸送ネットワークに与える影響と対策である。

続く。


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64東京オリンピックからの変化---臨時

2021-07-25 | 地球の姿と思い出
今回は、幻のコンパクト・シティーから外れてオリンピックの思い出に触れる。

64東京オリンピック(1964/10)のとき、筆者は「ほのるる丸」の三等航海士として北海を航海していた。

夜の当直は3人、North Sea Pilot(北海水先案内人*)、筆者およびクォーターマスター(Quartermaster:操舵手)の3人は消灯したブリッジ(船橋)でレーダーとデッカ**を使ってロッテルダム(オランダ)を目指していた。
【*参考:北海を航行する外国大型船は、国際法によりNorth Sea Pilotの乗務が義務付けられていた。北海入口にあたるドーバー海峡(英)でNorth Sea Pilotが乗船、本船(自船)が北海を離れるまで船長&航海士をサポートした。契約のパイロットは英海軍艦長経験者だった。ハンブルグに停泊中のことだったが、筆者が書類を小脇に階段を駆け上がろうしたとき、階段を下りようとする非番の彼と鉢合わせになった。とっさに道を譲ろうと筆者は立ち止まったそのとき、彼は“Job First”と言って道を譲ってくれた・・・駆け出しの筆者より大先輩のNorth Sea Pilotに“Job First(仕事優先)”と道を譲られたあの場面は今も忘れない。】
【**参考:デッカ(Decca)航法=欧州海域の電波航法、ノルマンディー上陸作戦の潜水艦が利用したのは有名。測位精度が非常に高いので濃霧の河川航行も可能だった。】

北海では各国の大型貨物船が追いつ追われつ、先を急いでいた。そこは国際物流の檜舞台、海上衝突予防法が言う「船舶が輻輳(フクソウ)する海域」そのものだった。特に夜の航海では神経を張りつめる。今も思い出すが、消灯した真っ暗なブリッジでNorth Sea Pilotが「今のTokyoはオリンピックで大変だが、われわれは毎日がオリンピックだ」とつぶやいた。いらい今でも、“オリンピック”という言葉を聞くたびに、他船の船影をオレンジ色で点々と映し出ずレーダー画面が瞼に浮かび上がってくる。

あれから約半世紀以上も経った今、この地球にはいろいろな変化があった。

数えきれない些事はさておき、人類史上最大の変化、と言うより最大の進展は、人類がコンピューター技術を手にしたことにある。

筆者の理解では、類人猿以来の木器や骨器、石器、火、土器、金属、文字、化学、機械、採取、狩猟、農耕、電気、コンピューター、宇宙、、、これらの中でも人間の脳機能を超高速で補完するコンピューター技術の意味は非常に大きい。その本質は計算・記憶・判断の超高速大量処理である。たとえば、人の暗記力を重視する教育システムとは異質の世界である。

コンピューターのハード・ソフト・通信機能は在来のテクノロジーと合体して新しい分野に発展し始めた。つまり脳機能を得た在来のテクノロジーが相互に連携することも可能、そのシナジー効果(相乗効果)も期待できる。したがって、その行く先は昔の常識に縛られることはない。

たとえば1980年代の「在宅勤務」は、なぜか日本では言葉だけに終わってしまった。しかしあの「在宅勤務」は40年も遅れて、しかもコロナ禍が切っ掛けで、テレワークに名前を変えて日本で日の目をみた。もちろん、今後の日本ビジネスはリアルタイムで世界の檜舞台に参入する。そこには間違いなく新しい展望が開ける。

1980年代から今日まで、40年に亘ってテレワークを阻害していたもろもろの障害は、幸か不幸か、コロナ禍で一気に霧散した。「密」を避けるためには「背に腹は変えられない」とばかりテレワークが進んだのは幸いであるが、さまざまなネットワークのオンライイン化は多くの可能性を秘めている。

蛇足だが、テレワークは単に仕事やりかたの変更だけでなく、雇用や組織の形態、都市機能、交通・通信網、法制度、対外関係などに影響する。

これらの分野には、日本の目前に迫る少子高齢・人口減少問題が影を落とすが、すべてがネガティブではない・・・言葉上の人口減少=頭数(headcount)の減少は一見“先細り感”につながる。しかし、頭数は少ないがその背後にはコンピューターが控えているので彼らは迅速にニーズに対応できる。

従来の産業構造では、人口減少には“先細り感”がある。しかしデジタル社会では、省力化や自動化による人口減少には“先細り感”はない。たとえば、紙の住民台帳(=本質的には江戸時代の大福帳)がデジタル住民台帳(=データベース)に変化するのは、最新テクノロジーの流れに沿った動きである。また、化石燃料の内燃機関から電動モーターへの動きもしかり、世はすでに未知のテクノロジーに向かって動き始めている。ここで忘れてはいけないことは、このような変化の本質に即した諸制度、たとえば、先ず法制度の改革である。

「ほのるる丸」以来、筆者が見てきた世界の感想だが、目が届きにくい大所帯では万事が緩むのでまとまりがある(well-organized)少数が望ましい。その少数は、適材適所が生み出す少数精鋭であり、目線が低い。目線が低いと重心が低い船のように荒天に強くなる。

改めて地球を振り返ると、将来のキーワードはやはり“コンパクト”だと思っている。

次回は、メンタル・タイム・トラベルに返り「幻のコンパクト・シティー(5)---徒歩圏内の便利な広場」に続く。


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メンタル・タイム・トラベルからの覚醒(臨時)

2021-06-25 | 地球の姿と思い出
今回は、右目の白内障手術で入院するためにメンタル・タイム・トラベルを中断した。

久しぶりにメンタル・タイム・トラベルから覚醒して現世を眺めると、相変わらずのユルユル社会が目の前に広がっている。そのいくつかをピック・アップすると次のようなものである。

(1)ウガンダ選手団のユルユル検疫通過(全国ニュース2021.6.20.)
ウガンダのオリンピック選手たちが来日、コロナ陽性者を成田に残して、残る選手たちは何ごともなかったように大阪・泉佐野市までバスで移動した。聞きしに勝る検疫のユルさ加減をニュースの映像で知った。これが日本の検疫の実態、これではダメと思った。コロナで亡くなった人びとを想うとき、この怠慢に怒りがこみ上げる。

筆者が知る東南アジアのある国ならば、同じ便で到着した乗客は全員が濃厚接触者、空港から3週間の完全隔離施設に直行、完全隔離後にはさらに2週間の自己管理が求められる。当然、違反者には罰金が科せられる。

(2)五輪アプリ開発費73億円を38億円に半減(全国ニュース2021.6.1.)
デジタル庁は五輪アプリ開発費73億円を約半額の38億円に削減したという。筆者はこのニュースに、元値を半額に削減してお茶を濁すのかとあきれてしまった。

いまさら手遅れだが、Feasibility Studyを踏まえたシステム構想とその開発費を予実で管理すべきである。

デジタル庁は国の存亡を左右する重要な役所である。その任務を果たすべく、国民に疑問やあらぬ妄想を抱かせないように科学的な姿勢で仕事を進めて頂きたいと切望する。

(3)ワクチン希望者受付の混乱(筆者体験2021.5月中旬-6月中旬)                 
今話題のワクチンに関する混乱である。希望者の殺到でシステム・ダウンと電話回線のパンクが発生したのは、昨年の騒動(10万円給付の混乱など)と同様だった。

日本のワクチン接種は遅れたが、いざ始めてみると「接種会場が足りない」「接種申込みの受付がパンクした」「打ち手が足りない」など計画性の甘さを露呈した。毎度の騒動は、お役所のユルユル計画性に起因する。その好例はインターネットや電話回線のパンクである。軍事クーデターのように通信網と道路網を遮断されては身動きができない。しかし今回は、回線パンクを回避した知恵ある自治体もあったと聞く。

このユルユル体質には、状況変化に即応するシステムが必要だが生まれたてのデジタル庁には荷が重すぎる。次善の策として、簡単にダウンしない“コンパクト”で柔軟なシステム(ハード+ソフト+データ+人)を模索しなければならない。やはりキーワードは“コンパクト”、コンピューターが支える日本独特の“コンパクト”である。

次回は、メンタル・タイム・トラベルに返り「幻のコンパクト・シティー(5)---徒歩圏内の便利な広場」に続く。


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幻のコンパクト・シティー(4)---バリア・フリーとセルフ・サービス

2021-05-25 | 地球の姿と思い出
幻のコンパクト・シティー(3)から続く。

(5)自由な移動への願望
数年前(2016/10)に脳梗塞で歩行が困難になった。バランス感覚を司る小脳の梗塞で歩行どころか、ベッドの端に腰を掛けても激しい目まいに襲われた。

まず頭に浮かんだのは、今後は自立歩行が困難、ベッドの足元に揃えられた靴を見て、この靴を履いてこの病室を出ることもないだろうと覚悟した。昨日までの自由歩行、その「有り難み」が身に染みたが後の祭りだった。

しばらくすると車椅子で検査やトイレに行けるようになった。しかし、そのたびごとに介護師さんや看護師さんの助けが必要---自分の不自由ばかりか、周囲の人の助けがなければ動けないことに気付いた。

この時、数ヵ月前(2016/7)に訪れたヒューストン大学(UH)のキャンパスを思い出した。

(6)「なぜエスカレーターがなくエレベーターだけなのか?」
当時は気にしなかったが、1966年に入学したUHのキャンパスにはエスカレーターがなかった。

           UH学生センターStudent Center1F
           
           出典:University of Houston HP, Campus Map

上の写真は現在の学生センターの1階である(Student Center:地図中央)。この建物にも昔からエスカレーターはなかった。

下の地図はUHのキャンパス地図(UH Campus Map)である。

           UH(University of Houston)キャンパス地図
            
           出典:University of Houston, Campus Map(建物クリックで建物の写真表示)
           
【キャンパス地図の概要】
①キャンパスの面積=約270万㎡(縦横約1.6km、日本の皇居230万㎡よりやや広い)
 (現在、上の地図には134棟の建物があるが、筆者の知る限りではエスカレーターを見たことがない。
  2016年夏にiD Techに参加する孫と一緒に筆者たちが泊まった学生センター向かいの8階建てヒルトン
 にもエスカレーターはなかった。)
②建物出入り口はスロープと自動開閉ドアでバリア・フリーになっていた。
 (古い建物の観音開きドアも自動開閉になっていた。)
③障害のある学生専用のセンター(Center for Students with DisAbilities:紫色建物)は専門的な支援
 を学生たちに提供する施設である。
 (センターのコンピューター実習室では、障害のある学生へのIT教育に力を入れている。失読・書字/計算障
 害の学生にも対応している。アメリカは障害者へのコンピューター支援先進国だった。)
④車椅子利用者の移動はUHキャンパスだけでなく、市内の公共交通機関とも連携している。
 (METRORail(路面電車)、METROBus(バス)、METROLift(マイクロバス)は車椅子乗車に対応)
          
           METROLift(マイクロバス)への乗車サービス 
            
           出典:METROLiftのHP
           筆者コメント:METROLiftに電話すると利用場所までマイクロバスが迎えに来る。
           利用料は路線バスと同じ、1.25ドル/回、回数券、定期券あり。

UHキャンパスにはエスカレーターがないが、ヒューストン市内のショッピング・モールにはエスカレーターが随所にある。しかし、必ずその横に大型のエレベーターがあり、エスカレーターに不安のある人や車椅子の人が利用する。

ちなみに、1960年代はアメリカのベトナム戦争時代だった。筆者の勝手な想像だが、戦争で負傷したが大学で新しい将来にチャレンジしようとする人もいただろう。そのようなケースへの対応が「なぜエスカレーターがなくエレベーターだけなのか?」だったと筆者は自問自答、納得した:「大学の姿自体」が貴重な先生だった。

(7)セルフサービス
古い記憶になるが、船乗りの頃、ドイツのハンブルグからタクシーで繁華街に向かうことがたびたびあった。タクシーはベンツの武骨な箱型車だったが、エルベ川を渡るとき川岸のエレベーター・ステーションで頑丈なリフト(車専用エレベーター)を呼び出し、地下トンネルでエルベ川を対岸に渡った。この時、リフトの操作はタクシー運転手のセルフサービス、セルフサービスだから深夜でもいつでも自由に川を渡れる仕組みだった。リフト内の蛇腹式引き戸を開け閉めするドライバーの後ろ姿を今も思い出す。

個人主義のセルフサービスは「据え膳」より「自由」を好む。しかし、その「自由」は「自分の身は自分で守る」、「自分の道(人生)は自分で決める」、「他人の道は妨害しない」などに通じる。しかし、「他人への善意ある支援」か「見て見ぬふり」は重要な分岐点になる。この分岐点において筆者は「他人への善意ある支援」の方向に舵を切る。その先には「見て見ぬふり」の代りに「行動」がある。

幸い、UHのキャンパスは障害のある学生が電動車椅子で単独で自由に行動できる世界、言い換えれば「他人への善意ある支援」を前提にするセルフサービスの世界だった(注:電動車椅子は高価だが補助金がでる)。もし彼らにトラブルがあれば通りがかりの人が手助けをする世界でもあった。この時は見て見ぬふりはNG、黙って手を差しだす勇気の出番になる。

(8)デジタル化の遅れにバリア・フリーの遅れを追加
ここで日本に目を移すといろいろなことが見えてくる。

2021年5月の日本では、エレベーターなしの低階層集合住宅やアパートが意外に多い。エレベーターの有無は屋上に機械室がないので直ぐ分かる。

また、人が集まる駅や大型商業ビルにはエスカレーターが完備しているが、エレベーターは小ぶりである。小ぶりなためか、地下商店街などの片隅に身を潜めているように見える。今流に言えば、ビルの片隅でなく、人流が多い正面などに多目的トイレとともに堂々と配置して欲しい。

ここで、急に知人の後悔を思い出した:彼は30年ほど前に5階建ての立派な集合住宅を買ったが、その公営住宅にはエレベーターが付いていなかった。彼いわく“買ったときは思いもしなかったが、足腰が弱くなるにつれて、5階もの階段を毎日上り下りするのが辛くなってきた”と。もし筆者なら深刻な問題になる。

参考だが、エレベーター関連の法令を調べてみると、高さ31m超えの建物に非常用昇降機(エレベーター)設置を義務付ける建築基準法や複雑なバリアフリー新法、さらに地方自治体条例などがある。資料によると、高さ31mの建物は10階建てのビル相当とか、素人の筆者には理解できない「エレベーター設置義務」である。詳しい内容については、次のエレベーターの設置義務は法律や条例に従う(設置届についても解説) を参照されたい。

「エレベーター設置義務」については素人の出る幕ではないので筆者は退散するが、足腰が弱る高齢社会においては大変な問題だと思う。

今まで筆者は日本社会のデジタル化の遅れに気を取られていたが、バリア・フリー化の遅れにも気付いた。バリア・フリー化もデジタル化と同様、高齢社会の基本的なニーズである。【参考:2040年頃には65歳以上の人口が4割近くに増加する。】・・・もし高齢者の3割に歩行障害があると仮定すれば、その数は1,100万人(3,700万人x0.3)、2045年の日本人口9,700万人の一割以上の数字になる。そのとき日本に何が起きるか、想像するだけでも先は暗い。

続く。

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幻のコンパクト・シティー(3)---デジタル・センター(DC)

2021-04-25 | 地球の姿と思い出
幻のコンパクト・シティー(2)から続く。

ときどき丸い地球を遠くから眺めると、その球面にバーコードのような縞模様が浮かんでくる。日本列島の縞模様の左側は奈良・平安時代らしい。よく見るとその縞模様は超LSIらしく、いろいろなデータが見え隠れする。

奈良時代の縞は緑色、遠足で行った若草山の色である。平安時代はサクラ色、女流作家たちに由来する色だが牛車や“丸干しイワシ”も見える(紫式部の好物?)。江戸時代には大店と大福帳が見える。店先で番頭や丁稚・女中たちが甲斐々々しく働いている・・・バーコードを辿るメンタル・タイム・トラベルは楽しく、時を忘れる。

(3)大福帳からデジタル・データベースへの脱皮
2020年代初頭の日本では、行政のデジタル化が大きく遅れていた。ペーパー(紙=書類)を中心とするシステム、たとえば住民台帳は江戸時代の大福帳*とそっくりだった。大福帳という言葉で思い出すが、1970年頃の“時代遅れの生産管理システム”は“大福帳システム”と揶揄された。いま思えば、製造業と行政には同じ日本でも50年ほどのギャップがあったと云える。
【参考*:大福帳=江戸商家の売買勘定元帳、それは近代簿記の総勘定元帳(G/L:General Ledger)に該当する。近代の複式簿記では決算時にはG/LからB/S(貸借対照表)、P/L(損益計算書)、C/F(キャッシュ・フロー計算書)などの財務諸表を作成する。G/L、B/S、P/L、C/Fは中高校生レベルのエクセル(表計算ソフト)でほぼ自動的に作成できる。】

さらに余談になるが、あの頃はコロナ対策の一つとして"持続化給付金”があった。コロナ禍に苦しむ事業主を救済する給付金だったが、申請から支給までのペーパー・リード・タイム(paper lead time=書類処理時間)が月単位の遅さだった。中には資金繰りが付かず無念の廃業もあったと聞いた。その理由は、申請内容を書類の山に埋もれて人手で精査、担当者たちの激務も空しく時間を浪費した。もし、適切に整備されたコード体系とデータベースがあれば、数秒で済むような作業に思えた。

このような苦い経験を踏まえて、現在(2030年代初頭)では行政システムの再構築も進んだ。即時性に優れたオンライン・データベースを中心とする行政手続きが実現、日本もようやく世界の平均に追いついた。歴史を振り返ると、日本の2020年代は大福帳からデジタル社会への転換期だった。

(4)デジタル・センター(Digital Center)
ペーパーからデジタルに脱皮した国政は、全国数千ヵ所に展開するコンパクト・シティーにデジタル・センター(Digital Center)を開設した。ここに言うコンパクト・シティーは差し渡し500mほどの広場、そこでは大概の用事を徒歩で済ませることができる便利な場所である。

広場の一角を占めるデジタル・センター(DC)では行政、ATM、郵便、公共サービスの手続きをワン・ストップ(one-stop)で済ませることができる。もちろん、事前予約は不要、多少の制約はあるが年中無休である。デジタル・センター(DC)の1階にはコーヒーや軽食のフード・コートがある。人が出入りするところには必ず“食”があるのは有史以来の習わしである。

2階には数十台のオンライン画面が並び、だれでもその画面を利用できる。もちろん、画面操作が不慣れな人はヘルプ・デスクに助けを求め、また手続きの相談もできる。当然のことだが、ヘルプ・デスクは有資格者、秘守義務を負う人たちである。

行政手続きでは、昔は人が役所に出向いたが今は人が画面に役所を呼び出す形に変化した。見かたにもよるが、日単位の仕事が今ではエラー・チェックを含めて数十秒から数分で完結する。当然だが、手続きをする人と役所双方にとってこの変化は画期的、特に役所の機能、陣容、立地の見直しの切っ掛けになりそうである。

役所でコンピューターが人に代わって動(働)き始めた・・・デジタル化で先行する工場、倉庫、車両運転では無人化は稀ではない。

多くの公務員(2018年、国家&地方計約330万人)が働く役所のデジタル化は、単にそこに働く人の問題だけでなく、法制度、国家資格の見直し、さらにはその日本社会への波及効果が大きい。その様子は、山肌のあちこちに起こる小さな雪雪崩(ユキナダレ)が誘発するであろう次の変化には未知数が多い。

その一部は次のような形で顕在化する:
◇ペーパー・ワークのデジタル化:手作業の減少と人口減少の補てん効果、余裕時間の増加
◇オフィスの省スペース化:テレワークによる組織のコンパクト化、不要事業所・什器の整理
◇オフィス・アワーの変化:通勤客の分散と流れ、都市機能(オフィス・店舗街)の変化
◇専用/汎用各種ロボットの導入:ロボットの役割広範囲化とロボット言語の標準化
◇都市機能と交通網の見直し:人/日用品の混載移動ネットワークの構築
◇進出先とのテレワーク促進:国内外スタッフ間の協業(経営視界の即時性/高密度化とコンパクト化)
・・・
続く。


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幻のコンパクト・シティー(2)---日本社会のデジタル化

2021-03-25 | 地球の姿と思い出
幻のコンパクト・シティー(2)から続く。

(1)2020年ごろの行政システム
2020年代の初頭、日本の行政システムは多くの国から周回遅れだった。その状況は、日経クロステック“日本のデジタル敗因 IT人材がベンダーに偏りすぎ”(2019年11月25日)が示す2つのグラフで明らかである。

まず、下のグラフは産業別のIT従業者数を日米で比較している。(項番は赤丸の番号に等しい。)
1 米国では「学術研究、専門・技術サービス」で働くIT人材が多い。
  筆者の経験でも、研究開発(R/D)やエンジニアリング・サービスは最先端のハード&ソフト
  を駆使する人材が多かった。
2 日本の製造業のデジタル化は世界のトップクラスに引けを取らない。当然、それを支える
  IT人材層も厚い。
3 「公務」0.5%、「教育・学習支援」0.3%は無きに等しい数字である。結果として、図2.が示す
 ように行政手続きのオンライン化は最下位の30位である。

図1.IT人材が従事するIT産業以外の産業内訳(日米比較)
 
日本と欧米4カ国で比較した、IT産業と非IT産業に属するIT人材の割合。日本が突出してIT人材がIT産業に偏在している。総務省による国勢調査と労働力調査、各国の労働統計から内閣府が作成した(出所:内閣府)
出典:日本のIT(情報技術)人材がIT産業に偏りすぎ・・・日経クロステック、2020/11/25

 図2.行政手続きのオンライン化(2018年)
 
経済協力開発機構(OECD)加盟30カ国における行政手続きオンライン化の利用状況で、日本は最下位だった。経済協力開発機構(OECD)の調査を基に内閣府が作成(出所:内閣府)
出典:日本のIT(情報技術)人材がIT産業に偏りすぎ・・・日経クロステック、2020/11/25

ここで、図1.と図2.を筆者の主観を交えて次のように総括する。

日本では「製造業」の自動化とデジタル化を支える人材層は厚い。さらに、製造現場の担当者からの改善提案も質が高く、件数も多い。ここ数十年の比較になるが、外国では油まみれの製造現場に足を運ばないIT担当者も多い。しかし、日本ではITと現場は一体であり、IT担当者の専門知識+現場の工夫を織り込むデジタル化は本物である。”本物”が日本製造業の最大の強みである。

他方、「公務」と「教育・学習支援」は「製造業」とは対照的である。激しい国際競争にさらされない公務と教育は、みずからを改革しようとする意気込みに欠け、「製造業」とは180°の違いがある。

図1.と図2.を示す記事のタイトルは“日本のデジタル敗因 IT人材がベンダーに偏りすぎ”となっているが、筆者の意見はさらに厳しい。

"ベンダーに偏りすぎ”は官公庁の“丸投げ体質”、学校における“IT技術教育の遅れ”は教育界の“紺屋の白袴”に由来する。官界と教育界の行く手には、「デジタル化の遅れ」という不名誉な大きな壁が立ちはだかっている。

(2)社会のデジタル化
今は2030年代の初め、自らの改革を忘れた行政は20年代初めには混沌としていた。

住民番号、マイナンバー、健康保険番号、年金番号などてんでバラバラなコード体系はシステム以前に統廃合すべき問題だった。また、バラバラのコード体系はそのままに、地方自治体が独自にシステムを開発するのは泥の上塗りだった。おまけに、その開発費も異常に高く、場合によるが筆者の目には一桁以上の桁違いがあると思った。

もし、価格が高ければ高いほど立派なシステムを開発できるのであれば、それは容認できる。しかし、筆者の経験ではシステム開発では、価格と価値は正比例するとは限らない、むしろ逆のケースが多い。

当然のことだが、システム機能が複雑になると開発費が大きくなる。ここで注意すべきは、開発の外注が多くなると外注先の直接費以上に間接費も累積して、全体の開発費が雪だるまのように増大する。また、外注を含む開発管理のスパンが広がると、目が届かない死角も増えてシステム品質の低下と機密漏洩の危険性が高くなる。もちろん、品質保証と機密保護には抜き打ち検査も含むが、開発の商流が外国にまで拡散すると周到な管理は時間・労力・コスト面で負担が大きくなる(特に臨機応変に単独行動ができる適任者は限られる)。

・・・最近も国会(2021年2月の国会中継)の質疑応答で知ったが、オリンピック関係で入国する外国人の現在位置管理システムに73億円という話があった。6400億円のマイナンバー・システムに比べれば、たった73億円のとるに足りない金額?しかし、73億円のシステムに居並ぶ国会議員のだれ一人も疑義を唱えなかったのにガックリした・・・失礼だが国会議員のSTEM感覚はゼロ(零)?
 江戸時代の“読み書きソロバン(=デジタル・コンピューター=テクノロジー)”は男女庶民の民度を世界トップ・クラスに高めた。当時の武士・僧侶の先見性は立派、“読み書きソロバン”という人間の基本的な素養を身につけた日本人は明治の“文明開化期”というテクノロジーの色濃い変化を短期間で吸収、創意工夫を加えて、後に日本を世界有数の工業国に発展させた。今でも世界各地のみやげ物屋の店頭で日本人観光客が見せる暗算力は光っている。
 しかし、今の日本人の“読み書きソロバン”はかなり劣っている。まず、“ソロバン(STEM感覚とIT技術)”は贔屓目に見てもかなり低い(例:図2.のOECD30ヶ国中最下位程度)。また、“日本語の読み書き”については、筆者を含む日本人のビジネスマンの文章力(日本語)とプレゼンテーション能力(日本語)は、欧米人が上に見える(アメリカ流の教育では小学低学年からコミュニケーション能力を重視する)。・・・大学入試でnative並みの4技を目指す英語教育よりも、日本の国語教育を強化すべきである⇒外国語習得にはシッカリとした母国語力が必要と世界のあちこちで耳にした。経験だが日本語システム仕様書(A4版1万頁弱でシステム規模は「中の下」程度のビジネス・システム)の英訳で自動翻訳は役に立たなかった。もちろん、個々の教育者は立派な人たちだが、教育界という集団になるとなぜか日本の教育は色褪せて、そのレベルもかなり落ちてしまう・・・・・ボヤキの切りがなくなるので、この辺で切り上げる。

繰返しになるが、今は2030年代の初め、20年代のデジタル庁のプロジェクトに国民のIT技術教育があった。

その具体策は、国民のIT技術教育はもちろん無料、さらに実務経験習得を国家予算で支援した。その莫大な国庫出費は、世界の平均に追いつくために必要なデジタル教育費、デジタル化を甘く見た国家に課せられた代償だった。

参考だが、社会のデジタル化が進展するにつれて頭脳労働(デジタル労働)の職種が増加、求人条件も性別年齢勤務形態前職不問が一般的になった。

結果として、パソコンなどを駆使する人材は若い世代に限らず、70歳過ぎの女性も珍しくはなくなった。もしかすると、彼女はデジタル労働でますます頭が冴えて、頭脳とこころが若返り、社会も活性化、化粧&アパレル業界が活性化、、、これらの変化がさまざまな業種に波及、新しい仕事も芽生え始めた。

幻のコンパクト・シティー(3)---デジタル・センター(DC)に続く。

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幻のコンパクト・シティー(1)---テクノロジーとデジタル社会

2021-02-25 | 地球の姿と思い出
「コンパクト・シティーの姿(13)から続く。

はじめに、今回から当ブログのタイトルを「コンパクト・シティーの姿」から「幻のコンパクト・シティー」に変更します。その理由は、これから先の話には筆者の遠い昔と現在の記憶や未来への空想が入り混じるからです。つまり信憑性(シンピョウセイ)に問題ありでタイトル変更、この点をあらかじめご了承ください。

---◇◇◇---

1.テクノロジーとデジタル社会
(1)テクノロジーの歴史
初期の人類(猿人)が石器を使い始めたのは前期旧石器時代(約200万年前-約10万年前)とされている。また、確かな証拠はないが、この時代に火の利用も始まったと見られている。

前期旧石器時代は中期・後期旧石器時代、新石器時代に続き、さらに世界各地にいろいろな文明が発祥した。一例はメソポタミア地方でBC3100年頃に栄えたシュメール人の都市国家だった。メソポタミアを含む世界各地の文明は言うまでもなくメソポタミア・エジプト・インダス・黄河文明の4大文明である。

メソポタミア・エジプト文明に少し遅れてBC800年頃からギリシア各地に都市国家が生まれ、古代ギリシア・ローマ文明へと発展した。

古代ギリシアのアリストテレス(BC384-322)*やアルキメデス(BC287?-212)**たちに端を発した機械学は、18世紀中期の産業革命で急速に発展、画期的な発明が続出した。
【*参考:アリストテレスの機械学(Mechanics)は「梃子[テコ](2、3章)」や「2つの滑車(18章)」などの原理を説明している。しかし、機械学はアリストテレスの著作でなく、アリストテレスが創設したペリパトス派の後輩たちの著作との説もある。詳しくは岩波書店「アリストテレス全集12小論考集、「機械学」和泉ちえ訳(pp.407-414)、岩波書店、2015年版参照、なお、全集12機械学の解説で和泉ちえ先生はアリストテレス説を支持している(p.408)。】
【**参考:ペリパトス派の流れを汲む数学、物理、天文学者、エンジニア&発明家。「アルキメデスの原理(浮体の浮力)」やスクリュー・ポンプ(揚水機)は有名だが、彼も梃子の原理を説明している。】

産業革命時代の主な発明は、蒸気機関(J.ワット:1764年)、蒸気機関車(G.スチーブンソン:1825年)、発電機(M.ファラデー:1831年)だった。これらのテクノロジーはエネルギー源と移動技術において社会のインフラを劇的に改革、産業の近代化に大きく貢献した。さらに、1900年代半ばにはデジタル・コンピューター(ペンシルベニア大学ENIAC:1946年)が現われ、人類は宇宙に進出、サターンV(NASAのアポロ計画:1969年)で月面着陸に成功した。

200万年以上も昔の石器を起点に、人類は数学を含む自然界の原理・原則を実用化するテクノロジー(科学技術)を手にした。そのテクノロジーにコンピューターが参戦、人類を月世界にまで運んだ。この先が楽しみになる。

(2)近代製造業の足取り
ここで近代製造業の歴史に目を移すと、産業革命による生産効率の向上は画期的だった。きっかけはA.スミス(1723-90年)だった。彼は国富論(1776年)で分業(Division of Labour:ピン・メーカーの工程分割⇒手作業の専業化)が生産性を大きく改善したと報告した。

手作業の専業化⇒習熟⇒作業効率向上&品質安定・向上⇒機械化・自動化⇒多量生産:この流れを実現した。

この「多量生産」はやがて「少品種多量生産」と「多品種少量生産」、さらに「受注生産(オーダーメイド(和製英語)/Custom-made)」という3つの生産方式に発展した。「受注生産」の製品は豪華なヨット、水力発電機、建造物など、なかには重厚長大な製品もある。

ここで気付くことだが、ソクラテスの「都市の専門化」以来人類が得意としてきた「勘と経験」にコンピューターが加わり、テクノロジーの利用範囲が急激に広がった。その広がりは、自然科学の領域を越えて社会科学や芸術にまで広がった。今や「勘と経験」だけでなく「感性と感覚」の領域でもコンピューターは大きな役割を果たしている。それ故に、STEM教育がますます必要になる。

話は変わるが、あちこちで見かける工場では、生産管理に必要な数値計算と作業をコンピューター・システムが担っている(例:MRP)。結果として近代工業では省力化率がかなり向上した。また、駅や空港でシステムがトラブルを起こすと、その影響は広域に及ぶ。作業量の大きさから手作業での復旧はほぼ不可能である。進んでいる、遅れているは別として、現代社会ではデジタル化はすでに必須事項になっている。

(3)デジタル化と社会の変化
コンピューターのハード技術は1950年代から猛烈なスピードで発展した。その猛烈さは「軽薄短小」どころか、わずか40~50年で真空管やトランジスターの電子回路を半導体でIC(集積回路)に微細化した。その変化をみれば誰でも驚くが、日常生活ではデジタル化に起因する変化に気付くのは当事者だけ、ほとんどの変化は見落とされたり、忘れ去られたりすることが多い。

筆者が知る限りだが、デジタル化の進展で消えた物や職業は次のようなものである。しかも、まだ消滅していないが、その候補は多い。

---◇◇◇---

これはは本当の話だったが、ある大きな製造会社に数十人の原価計算担当のソロバン部隊が存在していた。コンピューターを知る筆者には信じられない話だった。先日、国会中継の答弁で日々発生するコロナ患者の集計は手作業と知った。まさか電卓部隊では?と疑った。

以下はやや専門的になるが、今では消滅したもの、変化したものは次のようなものである:
80欄カード(プログラム作成)、カード・パンチ機&パンチャー(データ作成)、リレー式交換機&交換手、タイプライター&タイピスト、製図板(11㎡/台)⇒PC画面で代替、NCテープ⇒CAD/CAMでNC自動運転、財務会計:本社&海外現地法人決算のデジタル化⇒仕事が激減、オフィス・ワークのデジタル化&e-mail⇒国内外関係者が全員参加・・・e-mailのTo/CCから外れると本人は蚊帳の外(肩叩き?残酷)、コピー機能付きホワイトボード⇒国内外で好評、プレゼンテーション&ハンドアウトのデジタル化と海外事務所自宅参加のテレコンファレンス⇒非常に効率的(安価、気軽、迅速、海外出張の減少)、、、、、

---◇◇◇---

デジタル化に遅れた日本だが、政府もようやく重い腰を上げた。しかし、日本社会とデジタル社会との相性は未知数、いろいろな疑問が湧いてくる。

テレワークと日本型の「役員・部長・課長・主任・従業員」というピラミッド型組織は両立するだろうか?もしピラミッドが崩壊し始めるとなにが起こるか?などなど、、、

続く。


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コンパクト・シティーの姿(13)---そのイメージはクラスター(例:葡萄の房)

2021-01-25 | 地球の姿と思い出
「コンパクト・シティーの姿(12)から続く。

2021年の幕開けを機にデジタル化の方法論を卒業、メンタル・タイム・ラベルに出かけることにした。

1.コンパクト・シティーのイメージ
(1)クラスター
最近は、新型コロナウイルスで感染者のクラスター(Cluster)という言葉がすっかり日常語になった。このクラスターという言葉は、別の意味で筆者には懐かしい。

またもや、半世紀も昔の話だが、それはクラスター分析(Cluster Analysis*)のクラスターである。この言葉は多変量解析やマハラノビス距離(Mahalanobis Distance…Social Distanceではない)など、統計分析手法とつながっている。筆者はこのクラスター分析で消費者行動(Consumer Behavior)を分析した。
【*補足説明:たとえば、さまざまな特徴(=多くの変数、つまり“多変量”)を持つ消費者をマハラノビス距離の大小で類似性を判定、類似性が高い消費者を同一グループに分類する。マハラノビス距離で分類した“葡萄の房のような小さなグループ”をクラスターと呼ぶ。】

しかし、現在の筆者にとっては、クラスターは新型コロナや多変量解析とは全く無関係、ただ単に葡萄の房のように見える人の集団をクラスターと見ている。

(2)コンパクト・シティー
筆者が思う「コンパクト・シティー」は、いろいろな用事を一ヶ所で済ませることができる便利な場所である。その場所の広さは目が届く範囲、せいぜい数百メートル程度、コンパクト(Compact:小型)な場所である。

そこには長い待ち行列や大きな人混みはない。車の騒音はなく、ラウドスピーカーや喧騒とは縁のない世界だが、人通りは絶えることはない。

筆者の記憶には、ヨーロッパの旧市街地やアーケード街、小さな田舎町(Etona, CA, USA)の数百メートルのメイン・ストリート、欧州や中近東の青空市場などが浮かんでくる。また、見たことはないが歴史書などの絵で見る地中海の都市国家(City/City-state)もコンパクト・シティーだったかも知れない。

その中心地は車道と歩道の区別がない石畳の広場である。乗用車やバンが建物のそばに駐車しているが、人々は車に頼ることなく徒歩で用事を済ませる。信号は無いが、近代的な路面電車(トラム)が静かに走っている。

筆者の記憶だが、2000年頃の日本はマイナンバーの普及が遅れていた。しかし、(以下、筆者の想像だが)健康保険や運転免許証へのマイナンバー導入で普及率が100%に達した。

特に、生体認証を含むセキュリティー・チェックで個人認証の信頼性が向上、コンパクト・シティーのインフォーメーション・センターで受ける多様なサービスは便利である。市民の相談にも応じる公共サービスのヘルプ・デスクは充実している。サービスは質・量ともに向上したが、人口減少に比例して公務員数は激減し、生産性も向上した。

(3)コンパクト・シティーのネットワーク
個々のコンパクト・シティーは単独で存在するのではなく、人や物資、エネルギーや情報を運ぶ通路で互いに結ばれている。葡萄の房を支える蔓(ツル)のように、交通網、送電網、給水網、通信網などのネットワークである。このネットワークは、非常事態に強い代替ルートを備えている。

コンパクト・シティーの一角には、必ず鉄道/LRT/バスのターミナルがあって、郊外や他都市を接続している。このネットワークは人・物・情報のサプライ・チェーンでもある。

たとえば、日本には世界に類まれな鉄道網がある。国と共に成長した路線網と高度な鉄道技術および正確な運用は、三位一体の貴重な有形・無形の資産である。この鉄道網は成長期の日本に大きく貢献したが、今後の人口減少期においても別の能力を発揮すると考える。その別の能力とは何か?その答えはわれわれの課題である。

鉄道網を始めとする交通網の見直しの他にも、コンパクト・シティーの周辺に多くの課題が眠っている。その課題の発掘と解決は国家レベルのタスク・フォースの仕事に値する。・・・将来の人類文明のあり方にも影響すると思えば、胸が膨らむ。

続く。


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クリスマス休暇のお知らせ(2020-12-25)

2020-12-25 | 地球の姿と思い出
「コンパクト・シティーの姿(12)---日本の行政システム」から続く。

今日は12月25日のクリスマス休暇、投稿はスキップします。

なお、筆者は今月初旬に左目の白内障手術で入院しました。手術後にまず、眼帯のすき間から見たPC画面の文字がクッキリ、安心しました。また、街路樹の葉っぱ一枚々々が見えて、新しい人生のスタートです。右目の手術が楽しみ。

ここで心機一転、新年からは筆者が描くコンパクト・シティーをメンタル・タイム・ラベルで漫遊するつもりです。そこは過去と未来が混在する地球、水平線の彼方に過ぎた航跡と行く手に広がる未知の海原です。

「コンパクト・シティーの姿(13)---その姿はクラスター(Clusterの例:葡萄の房)」に続く。


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コンパクト・シティーの姿(12)---日本の行政システム

2020-11-25 | 地球の姿と思い出
コンパクト・シティーの姿(11)---から続く。

(1)住民票コードと個人番号(マイナンバー)
現在の行政システムには国民一人ひとりを識別するコードが二つある。一つは2002年8月に作られた住民票コード、11桁の数字コードである。もう一つは、2015年10月に住民票コードを元に作られた個人番号、またの名はマイナンバー、12桁の数字コードである。

総務省の説明によると住民票コードには戸籍関係のシステムの利便性を高める目的があるという。利便性の向上はデジタル化すれば当然の効果、手書き戸籍台帳のデジタル化にはもっと大きな可能性がある。

他方、マイナンバーは社会保障・税制度関係のシステムで使用されるという。もちろん、社会保障・税制度関係のデジタル化は、国家の重要な目的の一つ、今ごろまで着手しなかったのは「周回遅れ」以上の感がある。

国家システムを筆者の微々たる経験で云々するのは分を超えた暴論、しかし「デジタル化」という言葉を聞くとつい持論が出てしまう。ここは、しばしご容赦いただきたい。

もちろん筆者の価値観だが、住民票コードに対するマイナンバーは屋上屋に見える。二つの数字コードの一方は冗長、もしデータベースが一つの場合はいずれか一方のコードは蛇足、場合によっては混乱のもとになる。また、もし筆者がどちらか一方を選択するならば、11桁のコードを選択する。理由は、覚えるわけではないが、無意コードは短いほど良い。

(2)二つのデータベース
国民をユニークに識別するコードが二つ、つまり住民票コードと個人番号(マイナンバー)が存在するということは、筆者の推測に過ぎないが、二つデータベースが存在すると思える。しかし、機密保護とメンテナンス/バックアップを考えるとき、なぜわざわざ二つのデータベースを構築するのかはわからない。

(3)継ぎはぎだらけのレガシー・システムからの脱却
思えば成人以来、筆者は船乗りを起点にいろいろな世界を歩いてきた。その途中で、アメリカの大学でコンピューターの知識も身に付けた。それは1960年代から90年代の知識、コンピューター技術が急速に発展する時代の知識だった。

次つぎと進歩する技術で、新規に開発したシステムも数年で時代遅れになってしまう。その結果、変更に変更を重ねたシステムは継ぎはぎだらけ、新機種への乗り換えが困難なレガシー・システムになるものもあった。

継ぎはぎだらけのシステムやレガシー化したシステムの刷新では、象徴的な二つのケースがあった。一つはコード体系とデータベースの刷新、もう一つは分散システムの一元化だった。

【コード体系とデータベースの刷新】
 初期のデジタル化では多くの有意コードを使用した。たとえば、品目コードの1桁目は製品グループ、2桁目は品目分類=完成品、部品、原材料、、、などと各桁に意味がある有意コードだった。しかし、事業の急速な拡大により、有意コードに使用する英数字が不足、新品目の採番余地が逼迫した。
 この窮地を打開するため、経営陣はコンピューター・システムの刷新を決断した。その内容は、コード体系、データベース、基幹システムの刷新だった。もちろん、新品目コードは無意数字コードに変更、その変更を世界の取引先にも予告、変更への対応を要請した。
 このシステム刷新には約8年の歳月を費やした。
 
【分散システムの一元化】
 ある生産販売会社の経営陣は、世界各地の事業所がてんでに開発したシステムを一掃、本社が開発する新システムへの集約を決断した。その目的は、「レガシー・システムの刷新」「経営視界の改善」および「顧客ニーズへの迅速な対応」だった。
 目的を達成するために、多言語一元化データベース、世界共通システム、国際通信ネットワークを構築、各事業所のシステム開発を禁止した。世界に分散する事業所を一元的に管理するこの統合システムも8年近くの歳月で実現した。
 
これらの出来事は何十年も昔の話、すでに水平線の彼方に過ぎた去った思い出である。しかし、そこで学んだことは今も筆者の記憶に新しい---データベースは一元管理が望ましい、分散システムは集約するのが望ましいと。

---◇◇◇---

気づけば筆者もすっかりコンピューター技術と疎遠になった。そこで複雑な日本の行政システムに気を揉むのは健康によろしくないと判断、今後は気楽なメンタル・タイム・トラベルに出てコンパクト・シティーの姿を描きたい。

最後に「デジタル庁」にはこころから声援を送りたい。

続く。


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コンパクト・シティーの姿(11)---汎用デジタル・コンピューター

2020-10-25 | 地球の姿と思い出
コンパクト・シティーの姿(10)---日本のITの傾向と対策:対策から続く。

(3)デジタル・コンピューター
筆者が初めてコンピューターを知ったのは1966年のヒューストン大学、キャンパス地下のコンピューター・センターには数台の汎用デジタル・コンピューターがあった。機械室前のカード・リーダーとプリンターに、男女の学生たちは行列を作って、次々と自分のプログラムを流していた。学期末には行列がしばしば地上の芝生にまで延びたのを覚えている。

当時の日本の大学にはコンピューターのコの字もなく、ゲバ棒の紛争花盛りだった。残念だったが、日本とアメリカの大学の違いを知り、“竹槍でB29爆撃機に立ち向かう鉢巻き姿の日本人”が脳裏をよぎった。大学は大学でも、片や精神論、片やテクノロジー、両者は別ものだと思った。

制御工学の授業で、先生が教壇にソニー・テクトロの画面を持込み、モデム(MODEM)で画面を学外のコンピューターに接続、振動のシミュレーションを学生たちに説明した(このシステムはTSS=Time Sharing System)。あの時、先生が日本のソニー・テクトロは画面の解像度が良いと言ったのを誇りに思った。

なお参考だが、ヒューストン大学と学外のコンピューター(研究機関)との接続はアーパーネット(ARPANET)*の奔り(ハシリ)だった。
【*参考:ARPANET(Advanced Research Projects Agency NETwork)は大学・研究機関を接続するコンピューター・ネットワークを実現しようとする米国のプロジェクト。このプロジェクトを起点としてコンピューター&通信技術が実用化されて、現代のインターネットに発展した。1960年代の簡易なオンライン・ネットワークは、MODEM(音響カプラー:デジタル⇔アナログ信号変換器)やNCU(Network Control Unit:デジタル信号同士の接続;e.g.音声同士の接続=電話)で実現した。】

66年以来、ユーザーとしてコンピューターとはいろいろな形で付き合ってきた。卒業後、日本の就職口はコンピューターの営業だけ、営業には自信がなかったので、アメリカの石油会社に就職した。当時の日本では、コンピューターは一般社会にはあまり知られていない存在だった。

60年代のアメリカでも、汎用デジタル・コンピューターの導入は学校や大企業が中心だった。大学の実験室ではアナログ・コンピューターをあちこちで見た。中には電話交換器のようなアナコン(アナログ・コンピューター)もあり、一般の学生が簡単に使えるものではなかった。また、デジコン(デジタル・コンピューター)とアナコンを結合したハイブリッド・コンピューター(Hybrid-computer)もあった。

参考だが、コンピューター・センターにIBMの最新型(System360)があった。System360の360は方位の360°、System360は全方位、つまり技術系、制御系、事務系すべてに利用できる汎用コンピューターという意味だった。この汎用化でコンピューター利用の分野と利用者層の間口が広がった:
たとえば、理系から文系に、数値計算から文章解析や翻訳・故障診断・インテリジェンス(Intelligence)に、研究室や教室から一般社会に、研究者や学生から老若男女・子供に、現在から過去と未来に、在来の分野から未知の分野に、人類から他の動植物に、地球から他の天体に、、、これらの事象は、すでに2000年代初頭から地球規模で実績が出始めた。

なお余談だが、筆者は360°という言葉に日本とアメリカの大学の違いを感じた⇒日本では、男女、年齢層、職種階層などの多くに固定概念があった。しかし、ヒューストン大学工学部修士課程の同級生には若い母親や中堅会社員、先生より経験豊富な部長もいた。そもそも現役や二浪と言った無意味なレッテルや独特な先入観もなかった・・・人の生き方は人それぞれ、その進路は全方位の360°で何でもOK、他人に迷惑を掛けない限り自由であり、そこに発展もある。

この点で方位360°のアメリカの大学は新鮮だった。他方、日本の大学は幼稚園の延長であり、中身よりカタチ(形)にとらわれた、柔軟性に欠ける存在に見えた。たとえは、社会人でも学べるヒューストン大学の受講科目登録や図書館利用ルールに便利さと公平さを実感した。それが1960年代の民主的なアメリカだった。

話を戻すが、1970年代に入って、汎用デジタル・コンピューターは計算スピードと記憶容量が大きく向上した。この頃、大型汎用デジタル・コンピューター(別名:メイン・フレーム)が一般企業に出回り、「大型汎用デジタル」という言葉が省略されて、単に「コンピューター」と呼ばれるようになった。また、給与・会計・販売・金融・クレジット・カードなどの事務系データ処理で多用されたEDP(Electronic Data Processing:電子データ処理)も死語になった。・・・筆者の理解だが、21世紀になって「デジタル」という言葉が「デジタル・コンピューター(Digital Computer)」の代名詞になった。

80年代には、工場や事務所でオンライン端末の導入が進み、商品コードのバーコード化が始まった(EAN欧やUPC米、JAN日は少々遅れた)。百貨店や量販店にPOS(Point-of-Sales:バーコード・リーダーなど)が普及、人手作業と伝票の削減に貢献した。確かアメリカのレストランだったが、レジで女性がメニューのバーコードをペンでスキャン、しかしチップは手入力だったのを覚えている。

あの頃は顧客ニーズの多様化が進み、その消費動向の変化に工場は多品種少量生産で対応した。従来の少品種多量生産から多品種少量生産への移行はコンピューターの活用なしでは実現できなかった。

たとえば、従来の在庫台帳(紙台帳)は“実用に耐えるデータベース**”に進化した。その進化は、江戸時代の大福帳由来の紙台帳からオンライン・データベースへの脱皮だった。しかし、業務の効率化と法制度の見直しに消極的だった日本の役所は、この時流に乗り遅れて、いまだに紙の台帳類を抱えている。
【参考**:70年代のメイン・フレームの処理速度(CPUの計算スピード)は数MIPS(=1秒間に数百万命令を処理する速度)だった。そのような汎用コンピューターで、たとえば、原材料・仕掛品・完成品など約100万品目のオンライン・データベースを構築すると画面応答時間(レスポンス・タイム=画面に結果を表示するまでの時間)は1秒程度だった。その1秒の待ち時間を、ユーザーたちは実用上”気にならない程度"と容認した。】

また、電話交換機もコンピューター化(=デジタル化)が進み、電話交換嬢たちは仕事を失った。さらに筆者の経験だが、社内のオンライン化でデータ入力も利用部門のセルフサービスになり、システム部門所属の25名のキーパンチ嬢(データ入力)が5名に激減した。

ちなみに筆者の記憶だが、彼女たちの1日平均キータッチ数=約11万タッチ(機械集計)⇒別人再データ入力でエラーダブルチェック⇒11万/2=5.5万タッチ(Key Touch:英数字カタカナ記号の場合は1key touch=1文字)程度。彼女たちは主に会計伝票やプログラムのデータ入力(当時はカンジ入力が少なかった=ジュウショシメイはカタカナが多かった時代)、これらを考慮して推定すると、一人平均5.5万字のデータ入力X25名X21.5日/月≒約3,000万字(英数字仮名)/月のデータ量だった。なお、当時のキーパンチ嬢の勤務形態は45分入力作業、15分休憩(腱鞘炎予防など)、標準的なキータッチ速度=5~6タッチ/秒だった。

また、筆者の別の記憶だが、当時コンピューターで処理していた会計伝票は約20万枚/月だった。以上、25名のキーパンチ嬢たちの仕事量を概算した。なお、これらの仕事は、オンライン化で各職場の事務担当者に分散・吸収した。以上、参考まで

またこの頃、女性プログラマ10名を社内公募、適性検査合格者に社内コーディングと外注ソフトハウス管理(主に仕様書&納品ソフト検収)を担当させた。ついでに、システム部門が率先して会議の昼食弁当代など、1万円以下の部門間振替伝票を廃止(自部門負担)するなど、無駄な会計伝票も削減した。

OAやペーパーレスによる業務の合理化は工場から配送センターの管理にも広がった。さらに生産管理においては、自社独りのコンピューター化だけでは不十分、主要取引先との情報流と物流を制御するコンピューター・ネットワークが必要だった。コンピューター、特にデータベース技術のランダム・アクセス(Random-access)は、縦割り組織を越えて情報を縦横斜め方向に直接的に連携させた。ときには、人間が意識する組織間の垣根や縄張りを無視することもあり、それが切っ掛けで組織改革につながることもあった。

そのようなトータル・システムを指向する生産管理システムは、広域通信ネットワーク(WAN=Wide Area Network)の開設と製造現場への端末機の導入などでコンピューターと工場の一体化を進めた。結果として、工場の生産性向上が目に見える形で現れた。WANも死語になって久しいが、60年代から2000年の間に、人類は多くの仕事***をコンピューターに任せて身軽になった。あの2000年までの40年間は、次の時代への躍進準備期だったと思っている。
【参考***:ヒューストン大学の記憶だが、簡単な最適化問題(20変数、10連立不等式)の最適化計算は、手計算(40時間/週、50週/年)で46.2年掛かると参考文献にあった。同じサイズの問題を60年代のコンピューターで計算すると、1分少々で最適解が得られた。⇒参考文献=Robert W. Llewellyn, “Linear Programming,” Holt, Rinehart and Winston, 1966, page 11】

(4)70年代の先進工場
工場の自動化については、幅広い知識と経験が役に立つ。この意味で、自社の自動化担当者たちと異業種の他社との相互工場見学をセットアップした。時には遠方の工場見学で日帰りバス旅行を実施した。他社の工場を訪ねるのは楽しく、視野も広がる。今も記憶に残る印象的な工場をここに紹介する。

1)高度な自動化工場
 広い工場内で機械だけが稼働、巡回のオペレーターをところどころに見るていどだった。金属材料の電気精錬から最終製品の出荷までの一貫生産で世界の需要に対応していた。自動化は機械・電気・コンピューターの知識をもつ生産技術者たちが独自の技術で工場を自動化した。
 製品は世界的に有名だが、製品設計、工程設計、自動化機械の開発の総合力も他社を大きく引き離していている。現在、この会社は物流拠点の無人化?も達成している(TVのCMかなにかで見た)。

2)高度な無人化配送センター
 大規模な無人配送センターで日本全国の需要に対応、しかし、フル稼働ではなく半日稼働に能力を絞って運転していた(半日稼働で十分)。電柱ほどの高さの平面をX-Y軸方向に移動する無人エレベータ、自動走行するコンテナー列車に向かって商品が飛び出す装置(切出しシューター)などが印象的だった。 
 倉庫開発にともない折り畳み式コンテナー(オリコン)の特許を取得した。開発担当者の話:最終工程の箱詰め梱包は残念ながら有人になった(5~6人の女性)。もちろん、特許は(オリコン)だけではなかった。

3)先進工場の共通点
 70年代の自動化技術は、製造する製品の特長に応じて自動化工場を実現していた。
◇自動化機器とその運用は、既製品では間に合わないので自社の担当者が試行錯誤で開発した。
◇担当者は機械、電気、コンピューターの3つに明るく、彼らの地道な努力が自動化を実現した。
◇特許申請もあった。

以上、70年代でも工場系の「コンピューター化」はかなり進んでいた。しかしお役所は、相変わらず今も先端から遠く遅れている。

(5)70年代の「時代遅れの法律」
Factory(工場)の自動化と同様、Office(事務所)のOAやペーパーレスにおいては、日本のOfficeには非常に厄介な問題が存在した。それは時流に遅れた法律、テクノロジーの進歩と旧態依然とした法制度とのギャップがコンピューター化の足かせになった。

しかし、このギャップは単なるコンピューター化の不都合に留まらず、我が国の憲法・安全・存続に関わる重大なトピックである。当然ながら、話が長くなるので、ここでは2~3の卑近なケースを例示するに留める。

1)下請代金支払遅延等防止法(1970年代の法律、現在は不明)
 70年代後半に主要外注先に注文情報をオンラインまたはFax(コンピューターから送信)で送信した。しかし、この法律は、発注者に紙の注文書発行を義務付けていた。生産管理においては「Time is money(時は金なり)」であり「速やかな情報伝達」が要である。もちろん、紙注文書発行のムダを承知でシステム化に踏み切ったのでデータ送信の後に紙注文書をプリント、先方に郵送した。
 なお、商法では7年間の証憑保管義務があるが、これも非現実的な規制である。紙データの保管だけでは、その日のデータの動きを詳細に分析できない。しかし、更新時間を記録したコンピューター・データは時間の動きを再現できる。したがって、バックアップ・データの保管が現実的である。

参考までに次の事例を紹介する:
事例1.
 1981年、アメリカの法廷に8年前(1973年)のバックアップ磁気テープを提出、数億円の損害賠償を免れた。膨大な紙データに替わる磁気テープで73年の生産実績を再現、当方の主張が認めれた。
事例2.
 約15万枚の伝票から1枚の紙伝票(金額約10万円)を期限内に抽出する必要が生じた。約10名のパートタイマーを急募、1日8時間1週間、保管庫の伝票を調査したが問題伝票を発見できなかった。コストパフォーマンスの観点で作業を中止したが、多量の証憑書類を倉庫(複数)に保管することに、実用性があるのかと疑問に思った。

2)印紙税法(1970年代の法律、現在は不明)
 印鑑と共にペーパーレスに馴染まない法律だが「泣く子と地頭には・・・」で仕方なかった。抜け道?もあったが、まじめに処理した。当時、違反で当局から数億円の罰金を科せられたニュースが話題になった。

3)昔から高い日本の電話代(通信費)
 海外との電話会議の都度、アメリカに電話を掛け直してもらい電話代を節約した。時には数十分に亘る会議、アメリカの担当者自宅やシンガポール工場の参加もあり、電話代はバカにならなかった。・・・日本の業務システムにおけるオンライン化の遅れや電話会議(Teleconference)が普及しなかったのは、高い通信費が一因と思っている。
【参考:電話会議やテレビ会議をテレコンファレンスと云うがテレコンファレンスは一種のテレワーク、今後はテレコンファレンスやオンライン・リアルタイム・システムによるテレワークが増えると思う。
 なおコンピューター用語では、“オンライン”の対語は“バッチ”(Batch:一括処理)である。その特徴は、“オンライン”では結果を“画面”に表示、“バッチ”では“紙”に印字する。また、“バッチ”の“紙”は印鑑やFaxと相性が良い・・・“画面”か“紙”か、いずれを好むかは民族の風俗習慣・文化に関係があるのかも知れない。】
 今日でも、公衆回線料、専用回線料、ケータイは「濡れ手に粟」のビジネスに見える。高額な通信料は、サービスを提供する側と受ける側の双方、すなわち日本企業の「低生産性」や「デジタル化の遅れ」の一因だと思っている。

現在の「デジタル化」のターゲットは行政と行革であるが、その「デジタル化」の阻害要因は「Technical Feasibility」でも「Economic Feasibility」でもない。行政の「Operational Feasibility」が最大の障害である・・・「デジタル化」にマッチした行政と社会を構築するには、まず時代遅れの法律を見直すべきである。言うまでもないが、その見直しにはSTEM感覚を身に付けた若い人材が必要である。・・・「デジタル化の遅れ」を辿ると「法律の遅れ」が出てきた。

さらにもう一つの注意すべき点は、70年代の「コンピューター化」と現在の「デジタル化」には大きな違いがある。それは、人口が急激に減少し始める2045年頃までの残り時間である。2020年の現在、2045年まではわずか25年、2040から2050年頃の人口激減に耐えうる「デジタル先進国」になれるかどうかが問題である。

見直すべき法律は山ほどあるが人材不足、法律の見直しなしの新システム設計には進歩がない。残り25年は、国会の動きから見ると焼け石に水、いかに切り抜けるか?難問である。

続く。


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コンパクト・シティーの姿(10)---日本のITの傾向と対策:対策

2020-09-25 | 地球の姿と思い出
「日本社会のITの傾向と対策:傾向」から続く。

(2)日本のITの傾向と対策:対策
前回に述べたとおり、日本のITの傾向は分散型、その傾向は公共システムにも色濃く表れている。言い方が悪いが、中央が黙っているので地方自治体はてんでバラバラにシステムを開発・運用しているといえる。

これは極めて非効率的、無駄な作業も多いと見られる。

10万円給付のオンライン申請が混乱したのは記憶に新しい。あちこちの自治体でオンライン申請停止が相次いだ。ランダムに発生するトラブルに自治体は人海戦術で対処した。

忘れてはいけないが、2045年代以降は大幅な人口減の時代、中には消滅の危機に陥る自治体があるかも知れない。さらに、その頃の日本では健常な働き手の比率も減少し、異常事態への対処を人海戦術に頼るのも難しくなる。最悪、トラブルのドミノ現象が起こり行政崩壊もありかも知れない。

しかし、行政崩壊ばかりはなんとしても回避しなければならない。

そのような危機を想定するにつけ、菅新内閣の行政刷新担当大臣とデジタル庁には大いに期待する。

ここ十数年、自治体システムの標準化と集約化を目指す動きがあちこちに見られる。デジタル化が遅れ日本社会だが、自治体システムを本気で整理統廃合すれば、近代的なシステムを構築することが可能である。デジタル技術が発達した昨今、近代的なシステム構築の成否は、やる気と決断の問題である。

---◇◇◇---

最近、Yahooで「自治体システム 標準化」を検索した。いくつかの検索結果をここに紹介する。
標準仕様書案等に関する全市区町村及び事業者への意見照会について 2. 自治体 システム等標準化検討会開催要綱の改正について 3. 新たな自治体情報
セキュリティ対策に係る検討について

総務省トップ > 組織案内 > 研究会等 > 自治体システム等標準化検討会(税務システム等標準化検討会) > 税務システム等標準化検討会(第1回). 税務システム等標準化検討会(第1回)...

2020年4月8日-地方自治体が基幹業務システムに使うコストを3割減らす――。政府は「5年の計」で自治体における基幹業務の標準化と共通クラウド化を進め、コストダウンを図る考えだ。自治体情報システム市場はどう変るのか。

2020年7月21日-高市早苗総務相は21日に東京都内のホテルで開催した政令市の市長が集まる指定都市市長会に出席し、自治体の情報システムの標準化について「国の主導的な支援で推進していきたい」 ...
等々・・・以上で検索結果の紹介終了

菅政権でようやくデジタル庁の設置が決まった(時限組織?本当ならば甘い)。筆者の目にはデジタル庁の創設は「遅すぎる」と映る。・・・今日の日本政府を民間企業に例えると「本社にIT部門がなく、出先機関(地方自治体)は全体像なしでやむを得ず日常業務のコンピューター化を進めている」ように見える。

---◇◇◇---

分散したシステムの標準化と集約化という言葉は、筆者の頭には遠い記憶を呼び戻す。

1990年~98年にクラウドを利用した集約システム(=一元化システム)の思い出である。技術担当者が雲の絵を描いて、空を指差しながら国際通信網をクラウド(cloud)と呼ぶと説明したのを覚えている。

あのタスクフォースは、欧米アジア太平洋地域に事業所を展開する企業が、各国がてんでバラバラに開発したシステムを本社に集約する仕事だった。規模は小さかったが、業務ルールの標準化と整理統廃合を進め、経営情報の透明性と一元化を実現した。

世界のあちこちで生産する製品の生産計画、在庫・配送計画の効率化を実現した。また、各国のシステム開発を本社に集約したので、システム要員の人材不足も緩和した。効率の悪いシステム開発、システム品質のバラつき、トラブル解消の迅速化、データベースの一元化とオンライン更新による精度向上なども実現した。

このプロジェクトの結果として、筆者は今でも象徴的な次の3つ言葉を思い出す。
①魔法の鏡
白雪姫の話には世界一の美女を映し出す魔法の鏡がある。一方、世界全体の経営情報をリアルタイムで表示するパソコン画面が、現代の魔法の鏡に思えた。
②負荷の平準化
Daytime(昼間)は太陽と共に東から西に移動する。同様に、米州→アジア太平洋地区→欧州の事業所がDaytimeを迎える。コンピューターの負荷がDaytimeの移動と同期すのは当たり前、しかし、その動きは不思議だった。
③「仕事が無くなった」
 新システム稼働後の各国子会社の仕事量は減少した。特にその変化は経理部門に現れた。
 以前の月末月初は、自国用と本社用の財務報告書作りで繁忙を極めた。日本の経理主任はネジリ鉢巻きで徹夜を辞さない態勢だった。しかし、新システムは自国用(日本法規)と本社用(国際会計基準)の財務諸表は同時作成、月末月初はほぼ定時終業になった。雑用もすっかり少なくなり、本社への報告資料作成や本社への出張も少なくなった。「仕事が無くなった」のでパートの女性も去り、社員数も減少した。

最後の「仕事が無くなった」の補足になるが、手作業をコンピューターに任せれば、仕事が速く片付きミスはほとんどなくなる。コンピューターには部門間の壁がないので、自然に組織もコンパクト化する。

人口減少時代を目前に控えた日本、コンパクト・シティーだけでなくコンパクト組織の実現も喫緊の課題である。

続く。

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コンパクト・シティーの姿(9)---日本のITの傾向と対策:傾向

2020-08-25 | 地球の姿と思い出
「コンパクト・シティーの姿(8)---デジタル化とマイナンバー」から続く。

(1)日本のITの傾向
今年(2020)の2月以来、新型コロナウイルスで日本も世界的な混乱に巻き込まれた。その混乱は異常事態を招き、国内に潜在するいろいろな問題を洗い出した。

最初に、マスク、消毒用のアルコール、体温計用のボタン電池などが街から消えた。たとえば不織布マスクは簡単な製品だが、各国の需要でたちまち世界の生産体制は焼石に水の状態に陥った。医療現場では必須品のマスクだが、そのサプライ・チェーンは経済性優先、さらに経済性追求と同根の買占めと高値転売が発生した。そこに国民は不満を覚えた。

ところが、その不満に対する政府の対策は戦時標準品のような布マスクの配布だった。しかも、そのコストは数百億円、この経済感覚には、国民の不満は怒りに変化した。

思えば、日本が60年代からコツコツと蓄積した製造技術をケロッと忘れて、政府は訪日外国人の増加に目を奪われ、突然インバウンド需要歓迎に舵を切った。観光地や温泉街から地方の商業施設を訪れる訪日外国人や頻繁に入港する買い物ツアーの巨大な客船を熱烈に歓迎した。

しかし、「急ハンドルは転覆のもと」は自然の道理、インバウンドという分かったようで分からない片仮名が瞬く間に日本を席巻した。日本の観光地では日本人の影が薄くなり、日本は工業国だったことや自給率という言葉も忘れてしまった。

ここで、考えるべきことは、古くから日本が得意とする”もの造り”の実績と可能性である。かつての成長期では、工業地帯は油まみれで公害まみれの時期もあった。しかし、今後は高度なデジタル製造に大きな可能性がある。

日本にはデジタル製造の技術開発への投資が必要、大きな無駄とピンハネを省けば十分な原資はある。その投資には、Technical、Operational、Economicの3つ観点でFeasibilityをきっちりと検討すべきである。検討の結果がGoと出たとき、確信を持って進めば現在のサプライ・チェーンも変貌する。

サプライ・チェーンという言葉は、時代と共に変遷してきた。60~70年代はメーカー・レイアウト(Maker・out:和製英語?)と言い、自社工場と国内取引先の配置が主要課題だった。90年代にはロジスティックス(Logistics*注)に進展、配送センターも含む物流ネットワークの効率的な配送が課題になった。さらに、今日ではグローバルな物流&情報流ネットワークとデータベース化に進展した。
【*注):元々軍事用語、兵站(ヘイタン)/戦闘支援の意;Logisticsに無知な日本軍は米軍に敗れた。復員兵は、自分たちは勝っていたと言って帰国した。すなわち、各地の日本軍は闇雲に進撃したが武器弾薬食料の補給路を米軍に断たれ孤立、戦闘能力を失った。】

現在は、どこのメーカーがどのような製品を造っているかなどという情報は調達先開拓に欠かせないが、物流情報とは異質のデータベースも必要である。今後は、さらにIoTやAIとともに発展、その先には宇宙空間も視界に入ってくる。

しかし肝心なデジタル技術では、日本には胸を張る訳にはいかない弱みがある。その弱みは、筆者が感じる20~30年の遅れである。

たとえば、厚労省と都庁合作の前近代的なFax情報収集システムは「デジタル化の遅れ」の見本だった。また、マイナンバー(2015年交付)には6400億円も投資したにもかかわらず、銀行口座とのリンクは手付かずである。たぶんこの失敗は、人口減少が顕在化する2050年代には大きな「負の遺産」になると心配する。

話は変わるが、最近の報道に筆者は単純な疑問を持った。

いわく(曰く)、“43自治体がオンライン申請を停止した。”(日経20/6/2)とか54自治体が停止した。”(日経20/6/5)などの報道である。

なぜ自治体ごとにオンライン申請を停止できるのか?なぜ“一斉に”ではないのかと思った。

その疑問は、次のインターネットの情報で納得した。
  第1 目的
  自治体の情報システムは、これまで各自治体が独自に構築・発展させてきた結果、その発注
  ・維持管理や制度改正対応などについて各自治体が個別に対応しており、人的・財政的負担が
  生じている。・・・・・
  ・・・・・
  世界的に過熱するAI開発競争。そのなかで日本のAI開発は周回遅れになっていると度々指摘
  されてきました。・・・・・今回は、日本のIT公共事業の問題点について説明していきます。
  ・・・・・

これらの資料から、日本の行政システムは分散処理型であり、それぞれの自治体のシステム開発・運営を助ける多くのソフトハウスが存在するという状況が見えてきた。

このような状況は、筆者が過去に感じた”日米IT格差”とも符合する。ここに言う過去とは、1970年から2010年頃まで、経験したケースの数は少ないが、次のような傾向をいろいろな場面で見聞した。

米国:
1.米国の企業経営者はシステム構築、特に基本設計に直接参加してくる。
2.本社システム部門が全社のシステムを集中管理、筆者の知る限りだが、バンコクの米系工場でも
  米国本社のシステムをシェアー(共有)していた。バンコク工場はシステム利用だけ、システム開
  発とメンテナンスはすべてUS本社が責任をもって実施。本社と現地のシステム・コーディネーター
  は密接に連携していた。

日本:
1.日本企業の経営者はシステム開発・運営をシステム部門に任せきりだった(1社だけは例外)。
  部長以上の管理職の9割以上はIT音痴、時にはワープロによる文書作成を秘書に任せていると
  自慢げに公言する幹部に出会った。
  アメリカでは、この種の人物に出会ったことがない。
2.日本企業の海外工場は、現地でシステム開発、運用する分散処理型だった。海外のシステムは
  現地任せ、本社システムの現地支援・指導は見たことがない。・・・本当は大いに必要。しかし
  日本本社は海外システムに口出ししない。
  (放任?本社システム要員の不足?海外支援予算なし?言語障害?など疑問あり。)

さらに筆者の独断だが、日本企業の業務管理システムが分散処理に走った理由の一つは、専用回線の料金が非常に高かった*ことにあると思っている。
【*参照:「コンパクト・シティーの姿(2) 」(2020-01-25) 、③Economic Feasibility(経済性の検討)】

多くの企業は本社のシステムを地方支店や工場に延長せず、それぞれの事業所が本社とはオフラインでシステム化を進めた。また、日本企業に電話会議やTV会議が浸透しなかったのも高い電話代が一因だったと考えている。今でもケータイ料金は高すぎる。

対策に続く。


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