船乗りの航跡

地球の姿と思い出
ことばとコンピュータ
もの造りの歴史と生産管理
日本の将来

「日本国紀」の感想1

2019-04-25 | 地球の姿と思い出
人生、年齢に関係なく突然に思いがけないことが起こる。80歳代に入ったので静かに暮らそうと思うのは、自分だけの思い込み、現実はそう甘くはない。

(1)即刻入院
少し体調が悪いので、定期検診を二日繰り上げて病院に行ったら、主治医から即刻入院と告げられた。突然の話に驚いたが、まずはそのまま入院した。歩いて検診に訪れた病院で、即刻入院とは、明日は何が起こるか分からない。

(2)入院と百田尚樹
レンタルの寝間着に着替えて病床につくと早速点滴が始まった。今回は幸い、命に別状はないらしく、緊張がほぐれるにつれて、前回の入院生活(2016/秋)を思い出した。

あの時は、小脳の梗塞でバランス感覚を失い、二度と歩けないと絶望の入院だった。

起き上がろうとすると目が回る状態での入院、すべてが絶望的、海外旅行はもちろん運転も断念した。しかし、やがてうら若き女性療法士さんから「永遠の0」を勧められて一気に読破した。続いて、別の女性看護師さんから「海賊とよばれた男」も勧められた。これら二つの作品から、生きていることへの感謝とさらに生きることへの希望が湧いてきた。百田尚樹作品に出会ったお陰と今も思っている。

今回は突然の入院だが、偶然にも「日本国紀」(百田著)とその「副読本」(百田・有本 香著)を読み始めた直後、「入院=百田」という図式が成立した。

(3)「日本国紀」(百田直樹著)と「副読本」(百田・有本香共著)への感想
1)誇り(pride)
「日本国紀」起稿の一つのキッカケは、「アメリカの歴史教育は、それを学ぶと、子供たちの誰もがアメリカを好きになります。アメリカに生まれたことを誇りに思う、喜びに思う、そういう歴史教育です(副読本、ケント・ギルバート談)。」だったという。

いま思い出すと、アメリカ人は身の周りに起こることをよく「誇りに」思う人たちだった。自分の家族、友人、学校、社会、アスリートの記録などに、活き活きとした顔で「誇りに思う」という話し手に、聞く方のこちらも話しに引き込まれて相手と同じように嬉しくなる・・・「誇りに思う」は「自慢」ではない。

一方、日本人は、たとえば立食パーティーなどでは、小さなグループをつくりがち、礼儀正しく控えめで目立たない。例外はあるが、海外で見る日本人はたいがい控えめ、欧米の空港のカウンターなどで口角泡を飛ばして自己主張をする日本人などはいまだかつて見たことがない。反面、「すみません」と訳もなく一歩引く人が多いのには歯がゆい思いがする。

英語とケンカは不得意な筆者だが、頑固な面があるので、仕事の上ではいつの間にか「ジジイの暴走族(日本語)」と陰口を聞かれたこともあった。しかし、頑固ジジイでもなんでもいいが、多種多様な人間が混在する外国では、時には「べらんめー!こちとらは、、、」と威勢よく日本語で啖呵を切りたくなることもある・・・訳もなく妥協すると信用が傷つく。

2)日本人のプレセンテーション能力
控えめで引っ込み思案のせいか、外国で接する日本人ビジネスマン*は概してプレゼンテーション下手である。その理由は、筆者の独断と偏見だが、他国と比べると「プレゼンテーションを重視しない」日本の学校教育にあると思っている。
【参考*:筆者の経験(1970年代~2012)だが、欧米東南アジアで接する日本人は99%以上が男性ビジネスマンだった。もし、近い将来に日本女性のビジネス参加が増えれば、“控えめで引っ込み思案”がそうでない方向に変化するかも知れない。なお、余計な話だが、観光地では日本人の男女比は反転する。特に、団体旅行では老若女性が圧倒的に多い・・・筆者の目には約8割以上が女性、中でも5~60代女性の服装は登山帽+リュック姿が定番、遠目でも直ぐに“ニッポン人様ご一行”と判別できる。】

アメリカで営業マンなどが「立て板に水」のように製品を売り込むのを見ていると、(アメリカの)大学時代のプレゼンテーションを思い出す。

ビジネス・スーツにネクタイ姿、階段教室でプレゼンテーションの実地訓練**だった。それは、ターム・ペーパー(term paper:小論文)などの発表の時間、聴衆は同級生や先生たちだった。プレゼンテーションの点数評価とコメントはターム・ペーパーの評価になる。
【参考**:プレゼンテーションの実地訓練では、発表内容、補助具の使用(例.OHP)、言葉使い、質問への即座の対応、発表の身のこなし、服装などが評価項目だった。
 アメリカの大学がプレゼンテーションを重視する理由について、筆者が1960年後半に耳にしたことだが、今も覚えている:昔、カーネギーメロン大学の理工系学生が研究結果を発表するとき、聴衆に背を向け黒板に張り付いてのプレゼンテーションだった。これでは、聴衆を引き付ける(hold attention)ことができない。そこで、理工系の学生に対して、プレゼンテーション能力を身につけさせる教育に力を入れ始めたと聞かされた。】

グローバル化が進む日本社会の学校教育に望むことは、まず日本語力(文章力と口頭表現力)ならびにプレゼンテーション力の強化である。

自分の思うことを自分の言葉でまとめ、人前で堂々と相手に伝える。時には型破りの考えがあっても良し、自由で伸びやかな話の中の一言が社会を大きく変えることもある。その一言はイノベーション(innovation)の源泉である。

「日本国紀」の感想2に続く。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする